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隣の芝生が青ければ隣に行ってみない?

生きるというのは、ないものねだりの連続だと思う。

「あんな風に出来るんだ、いいなあ」とか、「あの人みたいに仕事ができれば!」とか。よく目にする人、よく目立つ人を見て、憧れと焦りが混じった気持ちでそんな風に思うことがある。人と比較してしまう時は弱ってる時。けど、まったく比較しないで生涯を終える鉄人なんていないと思う。

その時の気持ちは「隣の芝生は青い」という言葉で語られたりもする。

その青さがほしいとねだる気持ち。ないものをねだってしまう時、意識的に真反対でいようと心掛ける。そう、あるものを誇ろうと意識する。自分のことは客観視するのはもちろん難しいけれど、何が出来て、何を経験してここまで来て、手元に何があるのか。何もない人なんていない。何かある、と信じてみる。

その何かを意識した上で、隣の芝生に行けばいいと思うのだ。分断しない。あの人と私は違う、とは思わない。何か共通点はあるはずだという立場をとってみる。たとえば、隣の芝生が違う業界ならば、その業界の人と仕事をしてみればいい。仕事までいかなくても話を聞きにいけばいい。その現場の近くに行くことは行こうと思えばできる。もしかしたら見えていたその青さは、苦しさの上澄みにある輝きなのかもしれない。

今こそ、隣に行ってみるタイミング。

すべての業界は隣接している。すべての文化は繋がっている。誠実な気持ちで隣に伺えばきっと受けいれてもらえるはず。ここ数年で盛んに言われるようになった「イノベーション」という『技術革新』を意味する言葉も、出会うはずがなかったモノ・コトが繋がることにある気がしている。

僕は、電通という会社でコピーライターという仕事をしてきて、ここ数年、隣の芝生に出掛け続けていた。会社を出て、社会に接続する。出掛けることで、自分とは何か、コピーライターとは何か、広告とは何か、自問自答する必要に迫られる。だって自己紹介しないといけないから。

自分の本業と、その隣を行ったり来たりすれば、大袈裟でもなく世界が広がっていく。映画のプロデューサーの仕事や、音楽の作詞の仕事。やってみて本業にも手応えが返ってくる。

「企画でメシを食っていく」という場をつくりつづけて5年になる。そこでは次々と「隣」と出会う。うわあ、ぎゃあ、と、心の中ではいろんな感情が渦巻く。でも、出会えたから、自分の今が愛おしくも思う。

11/3(祝・日)に開催する「企画祭〜湯気ある時間〜」

自分なりの「隣に行く」の試みのひとつ。境界を飛び越えてみる、行ったり来たりしてみる、その中にこそ次へのヒントがあると思う今日この頃。そんな感覚を分かち合えたらうれしいなあ。

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阿部広太郎
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