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量産型から対話型のコピーライターになろうと決めた日。

見つけてほしいという切なる願い。

ここにこんなにがんばってるやつがいるからどうかどうか見つけてよ。

頼む、と両手を組んで祈りそうなくらいの渇いた気持ちを抱きながら二十代の中盤を過ごしていた。

以前したこんなツイート。

「量産型」という言葉が大げさではないくらいに、当時、受賞を目標にして、書きに書いていた。広告コピーのコンテスト「宣伝会議賞」、若手コピーライターの登竜門。そこに、通るとご利益のある門があるなら、くぐりたかった。

仕事が終わった後、デスクで取り組んでいたところ先輩から声を掛けられる。

『その宣伝会議賞ってさ、出してもなかなか難しいよね』

冷ややかな目線。当時、なに言ってるんだ、やってみなきゃわからないじゃないか!と心の中で猛反発していた。

でも、先輩がそう言ってしまうくらい、賞に入るのはすごい確率というか、とてもむずかしい。

これは宝くじじゃない!いいコピーか、いけてないコピーか、二分の一だ…とは思うけど、弱気になってしまうと確率論に逃げたくなる。そもそもこれは無理な話なんだって。

社会人1年目、人事配属。25本のコピーを応募して、歯が立たなかったところからはじまる。

コピーライターの名刺を手にしてから出した200本。なにも変わらなかった。

悔しさを力にした翌年、すき間の時間はすべて言葉に向き合った、結果、1800本。手を目一杯伸ばしても、届かない現実。まだ足りないのか、と思った。

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これで最後にする、そんな気持ちで取り組んでいた。

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量と向き合うことはほんとうに大切だ、と思う。

あふれんばかりの大量の思いを受け止めてくれたこの賞に感謝しかない。

当時は、ウェブでの応募ではなく、出力した紙の郵送だった。ずっしり重かった段ボール今ではいい思い出。だけど、もうひとつ忘れられない思い出がある。

知らない番号から携帯に着信が入る。電話をとると宣伝会議賞の事務局から。

『阿部さんの書かれた「後は、僕のプレゼン次第」というコピーが受賞しました』

「え、え!?あー…はい、はい!書きました、はい、ありがとうございます」

電話を切る。急いでパソコンに戻り、書いたコピーを検索した。あった。ちゃんと書いてた…。安心した。嬉しかった。

も複雑だった。この結果を嬉々として報告する笑顔の裏顔には、痛みがあった。おい、ちゃんと書いてたってなんなんだよ。だれかに見つけてもらえたことはうれしい、けど、それは自分が逃げたくないと思っていた確率論だったんじゃないかって。

選ばれることを知ったら、選べる人にならなければいけない。

見つけてもらえたら、見つけられる人にならなければならない。

このままじゃいけないと強く思った。いつまでも量産しつづけて誰かに選んでもらうこと。そのタフネスは重宝されると思う。

でも、選んだ人が仕事の相手と対峙する。自分はその後ろで見ている。

それでいいのだろうか?そのままでいいのだろうか?

目指すべき姿ははっきりしている。目の前にいる仕事の相手と対話して、ここを言うべきだと信じたところを起点に「これがいいですよ」と自らが未来を導く言葉を差し出せる人だ。

ただただ量を書いてりゃいいって訳じゃない。

その境地に行くには、これがいい、これはいけない、検証に検証を重ねて、自分の中でトーナメントを済ませておかないといけない。選ばれる喜び、選ばれない痛みを何度も繰り返して、経験を信じて書くしかない。

目の前の仕事に、審査員がいるとしたら自分だから。

このnoteに、対話型のコピーライターになるためのノウハウは書いてない。「大量の言葉の中から何かをつかめ!」は真実だけど、取り組んだ先に何かをつかんでいるはずだと思う。

そのために自分がたどってきた道を言語化しないといけないと強く思う。コピーを書こうと思う人のヒントになれるように。

宣伝会議賞について書いたもうひとつのnote、こちらもぜひ。

●追伸●

今回、noteのトップ絵は、フォトグラファーのMiuさんからお借りしました。空の淡い青がとても好きです。

今日も明日もこれからも書いていきます。お読みいただきありがとうございました。

●追伸 その2●

10/15 (木) 20時から、『宣伝会議賞』への取り組み方、スクーで生授業します!ぜひ、ご一緒に!


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阿部広太郎
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