白か黒かの断定は強いけど、想像する優しさを忘れたくない。
客観的事実よりも感情的な意見の方がより強い影響力を持つ、らしい。
「ポスト・トゥルース」という言葉を知ったのは、2年前。イギリスのEU離脱や米国大統領選でのトランプ勝利が報じられた頃だと思う。直訳すると「脱真実」になる。
「いやいや、そんなことあるかなあ」と、疑問に思った。もちろん感情には左右されるけど、事実や真実に基づく理性だって判断には働くよねって。2年かけて、その思いは少しずつでも確実に揺らいでいった。「そんなことある」に考えが変わってきたし、その感覚を自覚しないと危ういと思うようになった。
テレビではなく、スマホでニュースを知るようになったのはいつからだろう。もっと言うと、キャスターの控えめなトーンで読み上げるニュースではなく、タイムラインの誰かのコメント付きでニュースを知るようになったのはいつからだろう。
もちろん、どちらも現場で起きてることを生で見れる訳ではない。誰かが間に立ってくれてるから、情報に接することができる。これは感覚的だけど、気構えずに接するスマホから受け取る情報は、指先から脳裏に至るまでの速度がはやい。ゆえに感情も勢いよく飛び込んでくる。
そこには、読み物として、いわゆる「エモい」と呼ばれる感情の起伏を共有できる喜びがある。もちろん感情は大切にしたい。けれど、誰かの強い感情付きでニュースを知るのは諸刃の剣だとも思う。「これはこうだ」と、断定する言葉は強いから。鮮烈な第一印象にはその後もどうしても引っ張られる。
最近、SNSのタイムラインの空気が変わったのは、「断定」が増えたからな気がした。「これはこうなのだ」「こうするといいのだ」白か黒かの断定は、キャッチーだし、強い。受け手の自分が「判断」する時間を省略してしまう。でも本来、白とも黒とも言えないグレーゾーンなことも多いしはずで、そもそも、その色は、白でも黒でもないかもしれない。
だから、受け取った僕たちは想像するしかない。「本当にそうなのかな?」と踏みとどまって考えること。最近話題になっているあのニュース。「一方から情報が語られているけれど、もう一方の言い分はどうなんだろう?」「派手に言い過ぎていないか?」想像する時間は、優しくないといけない。どちらにも配慮をできる自分でいる、という心持ちでいたい。
言葉、コピーを考えるのも、想像力が大切、という思いでワークショップ『夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳しました。今のあなたなら、何と訳しますか?』をしていたりもする。
このnoteを書いていて、駆け出しのコピーライターの頃を思い出した。
当時、うまく書けなくて焦っていた僕は、ものすごく直球な質問を師匠にしてしまった。「どうすればコピーをうまく書けるようになりますか?」
「素直になれ。真面目に生きろ」
これから何度も思い出したい。
いま僕は、感情に素直になれているか?
そして、真面目に考え抜けているか?