アンコントロールな領域

朝走りながら佐々木俊尚さんのVoicyを聴いていた。
自分がコントロールできる範囲にフォーカスし、アンコントロールなことはそういうものと割り切っておくのがいいのではないか。ストア派哲学も例に挙げながら話していた回。

このようなことは以前茂木健一郎さんの著書でも読んだことがある。
考えても自分でどうにもできないことを考え続けてネガティブ思考に陥るよりは、自分でどうにかできることを見つけ出してそこにフォーカスしていく。こういう思考が大事であると自分自身にも日々言い聞かせている。自分自身だけでなく、私の身の回りの人たちにもよく言っている。

それでも最近私の中でモヤモヤしているこもがある。
勤務先の大型案件プロジェクトにアサインされ、10月中旬〜2月までほとんど出張で行きっぱなしであることがほぼ確定している。
長期で行くとなるとプライベート的なことが日常の中で占める割合は下がる。つまり、仕事が大半を埋め尽くしてしまう。
それはすなわち、アンコントロール領域が増えることを意味する。
「そんな中でも自分がコントローラブル領域を見つけてフォーカスするよう言い聞かせているのではないのか?」
というもう一人の私が問いかけてきているが、数ヶ月まともに家に帰れない状態でのコントローラブルな範囲がどれくらいあるのだろう。
昨年も3週間行って1週間帰ってきてまた2週間行く出張へ行ってきた。だが、自由な時間はほとんどなく、朝現地へ行く前にホテルの部屋で事務的なことを片付けたり、帰ってきてからその日の修正事項に手をつけたりと兎に角仕事に埋め尽くされていた。目の前にやること、やらないと進まないことがあるなら有無を言わずやるタイプではあるが、あまりにも長いと段々とイラつきと虚無感を覚える。

私は日頃から家で料理をしたり運動をしたりしており、家の中を起点に生活を整えている。
たしかに数日の出張や、週末丸々休みの時には旅行に行き家を空けることも多い。
それでも家での過ごしやすさはとても大事にしているので、いつも片づけているし、急に人が来ることになっても問題ない程度に整頓してある。実際、共に終電を逃した先輩が何度かうちに泊まりにきているw

午前に買い物に行き、午後にガッツリ料理した週末


料理も私にとっては大事な時間だ。料理をしながら考え事をする時もあるし、ラジオや動画を見聞して情報収集をしながら料理をすることもよくある。疲れて帰ってきた日でも料理をしながら振り返ることで楽になることもある。リセットのためのルーティンになっているのかもしれない。
だが、長期出張となると料理をするわけではなく、毎日コンビニなどの外食続きだ。

普段やってることができなくなるストレス。
自分ではアンコントロールな領域。
双方拡大していかないかを懸念している。


今はこれでもいいのかもしれないが、いずれ結婚をしたり子育てをするフェーズになった時、長期で家を空けるのが当たり前の仕事を続けていたくない。子育ての補助係になりたいわけではなく、共同者として向き合いたいだとかを考えている。
「男は外で稼いでくれさえすればいい」みたいなステレオタイプな考え方の人に何かを言われたくはない。「仕事なんだから」と押しつけてくる人もいるだろうが、それは仕事を人生の中心に据えているその人の優先順位からくる押しつけである。仕事をするのはあくまで手段であって目的ではない。目的に向かう中で手段が間違っているなら変えればいい。在りたい姿やライフプランに対して仕事が合わない、仕事が足枷になるのなら辞めて変えればいい。
基本的にこのように思っているので、今後のライフプランを考える上で仕事の仕方に改善が必要とあれば変えるかもしれないし、アンコントロール領域が増えすぎて、何のために仕事をしているのか分からなくなっても辞めるかもしれない。

ひとまず、目の前の長期出張に実際行ってみてどうなるのか。数ヶ月単位で家を空けるのは初めてだし、未知な部分が多い。プロジェクトととしても未知要素未体験要素が多い。
きっと良くも悪くも学びのある数ヶ月にはなるだろう。

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