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大学生にインタビューされました / サラリーマンとバンドの狭間で①

去年の6月ごろ、とある学生さんからメールが来ました。ジャーナリズムを学ぶ大学の課題で、サラリーマンとバンドの2足の草鞋についてインタビューさせてくれませんか、とのこと。ちょうどこれから就職活動だとか。今回はそのインタビュー記事を公開します。noteやってると、こういうことができるからいいよね。

書いてくれたのは近畿大学 総合社会学部の金井啓子ゼミの水野智博さん。toconomaのライブにも遊びに来てくれているメガネボーイ。ちくわグランプリで入賞した猛者でもあります。

右から二人目が水野くん

記事を公開することは本人と教授に許可をいただいております。ありがとさん。僕が若干えらそうに喋ってるのが気になりますがご容赦ください!では、若さほとばしるインタビュー記事をどうぞ。エモエモのエモ!

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前段

「週末バンド」「仕事とバンドの両立」。彼らが取り上げられたインタビューにはこうした見出しが並ぶ。しかし、石橋光太郎さんによると、実は兼業バンド自体はそう珍しいものではないという。それでも、私も含め、彼らの活動に対する姿勢そのものに興味を持つインタビュアーは多い。それはなぜなのか。彼らは、アマチュアなのかプロなのか。あるいは、趣味人なのか、社会人なのか。そこには単純な二項対立では表せない「狭間」だからこその輝き、苦悩、魅力、矜持が存在する。

ノリで始まったバンド

 石橋さんは、中高ではバスケットボール部、ラグビー部に所属しており、スポーツに熱中していた。ギターを始めたのは中学生の時。部活とは別に「モテたいから」という理由で始め、文化祭などでギターを披露するようになったという。高校三年生の冬まで進路は決まっていなかったが、自分自身が美術を通してコミュニケーションを取っていることを自覚。美術のスキルを活かして社会と繋がることを目標にデザインの道に進んだ。一年間の浪人と猛勉強ののち、多摩美術大学に入学。入学後は、軽音楽部でtoeやSPECIAL OTHERSといったインストゥルメンタルバンドのコピーをする傍ら、ラグビー部にも所属し試合をする学生生活を送った。そして、広告会社の入社式でキーボード西川隆太郎さん、旧ドラムのK氏と石橋さんは出会う。三人は意気投合し、スタジオに入る。こうして、toconomaは「ノリ」で産声をあげた。

「100%趣味ですね。それで何かを成し遂げてやろうとか、有名になってやろうとか、一ミリも思ってなかったですね。」

 石橋さん自身も、社会人になって音楽をするつもりではなかったという。しかし、同時に「バンドをやらない理由もない」と考えていた。そうして始まった活動は、ベース矢向怜さんの加入、旧ドラムK氏の脱退、現ドラム清水郁哉さんの加入を経て現在の体制に。結成から現在に至るまで、週に一度、週末に四時間のスタジオ練習が基本的な活動となっている。いかに濃い時間を過ごすかが最近のテーマだ。石橋さんによると、プロのバンドでは週に三日以上スタジオに入るのが一般的だそうだが、それと比較するとかなり少ない。

「アーティスト」になった時

そうした「成り行き」の活動からアーティストに意識が変わった瞬間として「CDをリリースした瞬間」を挙げた。当時のtoconomaの活動規模は、都内の小さなライブハウスでたまに演奏する程度。そんな彼らは、自分たちのボーナスと給料でレコーディングをした。レコーディングの段階ではレーベルが決まっていなかったが、当時関わりのあったライブハウスPLUGの店長が運営する小さなレーベルからCDとして発売することになった。それが1stアルバム『POOL』である。『POOL』は2013年8月に発売され、翌9月の大手レコード店 タワーレコードの月間プッシュアイテム「タワレコメン」に選ばれたことを皮切りにタワーレコードで大規模に陳列された。石橋さんは、店頭に並ぶCDを見て自分が「やばい。アーティストになってしまった…」と感じたそうだ。

アマチュアリズムの限界

しかし、『POOL』の発売以降、対バン(一つのライブイベントに複数のバンドが出る事)するアーティストもアマチュアからプロに変わり、自分たちの曲やライブの完成度や、演奏力で劣等感を感じることが増えたと石橋さんは振り返る。そうした状況で、自分たちのアマチュアリズムがよくないほうに働いていると感じたという。toconomaには音楽を専門に学んだ人はいない。自分たちが「兼業バンド」であることを隠さず活動をしていたため、ライブを観た人や対バンのアーティストから「サラリーマンだから下手」だとか「副業でバンドをするのはプロに失礼」といった感想を受け取ったこともある。何より、ライブの完成度が伴っていないのに兼業バンドであると言うことは、言い訳に聞こえ、兼業であることがコンプレックスだった時期もあるという。それでも、活動の規模は徐々に拡大した。ついに、ワンマンライブを行うことになった時期には200人、300人と観客が集まるようになっていたという。そうした中で、アマチュアマインドだけで活動を行っていくことの限界に気が付いた。他のメンバーも同じように感じていたという。それから、徐々に練習量や曲やライブのクオリティを高める、といった点で少しずつ意識が「プロ」になっていったという。石橋さんは、この時期は「(音を楽しむアマチュアリズムとプロとしての意識の)バランスをとるのが難しかった」と語った。

プロとアマチュアの狭間で

そうしたことを踏まえて、現在の活動における意識はプロなのかアマチュアなのかを聞いた。

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