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「混雑」「混住」の社会集団ヴァイキング



そもそもヴァイキングって?

「ヴァイキング」と聞くと、角付き兜の海賊をイメージしがち。でも実際には、8世紀から11世紀ごろにかけて北海やバルト海、大西洋沿岸なんかを行き来していた、多様な人々の集まりでした。彼らはある地域に暮らす人々との交渉や取引を通じて「同じ社会経済活動」を共有するうちにまとまっていった集団ともいえます。厳密にはヴァイキングとは「遠洋航海活動」のことを指す言葉です。その活動の本質は「遠洋航海による遠隔地交易」で、手に入れた商品や利益を分配する、いわば巨大なビジネスネットワークだったのです。

ヴァイキングが躍動する時代は?いつ?

ヴァイキングが活発に動き回っていた当時のヨーロッパ社会では、非常に大きな変化がありました。

  • 7〜8世紀の「古代末期」に地中海にイスラム教徒が進出し、地中海交易がストップ気味になる(ピレンヌ=テーゼ)。

  • カロリング朝のキリスト教社会は、今まで地中海ルートで得ていた食料や物産が届かなくなる。

  • そこで農業中心の自給自足体制にシフトしつつ、イスラム教徒・マジャール人・ヴァイキングの侵入にも備える必要が出てくる。

  • こうして、王様が家臣に土地を与える“封建社会”が発展。家臣はその土地を荘園として運営し、自分たちで守る「現場主義」が広まっていく

ただ、忘れてはならないことは、9〜13世紀の温暖化で農業生産は活発化していたという事実です。そのために、政治的な原因で地中海ルートが停滞する一方で、北方交易ルートの重要性が増していました。そして、そのような「じゃあ北のロシアを経由して運ぼう」という流れの担い手として注目されたのがヴァイキングでした。

こうした広域の交易をまかなうには、当然ながら船や航海技術だけではなく、大勢の人員や各地の協力が必要になります。実際、同じ社会経済活動(=遠隔地交易)に参加していた人々が混ざり合い、「ヴァイキング」という大きなネットワークを築いていきました。厳密にいえば、ヴァイキングとは「遠洋航海を生業にする人々全体」を指しているため、スカンディナビア出身者だけで成り立つものではなかったと考えられます。


(https://www.netflix.com/jp/title/81149450より引用)



ヴァイキングって、農民? 漁師? 交易商人? それとも武人?

ヴァイキングというと“海賊”か“戦士”のイメージが強いかもしれません。でも実際は、時期や地域によって農業・漁業・交易・植民と、いろんなライフスタイルを組み合わせて生活していました。平和的に物を売り買いできるときは貿易商人として船を出し、話が通じないときや荒れた状況では武力を行使する、いわば“柔軟系”の生き方をしていたんです。

“土地が足りないから海外へ”はもう古い!?

かつては「北欧の農業は生産性が低く、長子相続で土地が長男のものになるから、他の兄弟たちは海外に出るしかなかった」という説がよく言われていました。でも今では、このシンプルな説明は否定されています。

上述しましたが、実は9〜13世紀はいわゆる“小氷期”の前で、比較的温暖だった時代。農業や経済活動が活発化していた時期とも重なります。さらに、地中海ルートがイスラム勢力の進出などで使いにくくなった分、バルト海や北海を経由する東西交易ルートに注目が集まりました。ヴァイキングがただ単純に「余った人間が流れ出した」のではなく、むしろ海外で交易や軍事活動をすることで利益を得て、故郷へ還元していました。

風とオールの二刀流

内燃機関がなかった時代、船の動力はもっぱら「帆に受ける風」か「オールで漕ぐ人力」しかありません。たとえば、サラミス海戦でおなじみの三段櫂船は完全にオール重視。一方で大航海時代の帆船は、広大な海を長期間進むために風力頼みでした。そんな中、ヴァイキング船は風もオールも両方使いこなし、河川や沿岸航海から外洋までかなりフレキシブルに動けたのが強みだったんです。

権力者がヴァイキングを“呼び寄せた”!?

当時の各地の権力者たちは、自分たちの政治的正当性や経済的な利益を高めるため、さまざまなルーツを持つ人々を積極的に招いていました。ヴァイキングの航海技術や武力、交易ネットワークはとても魅力的だったのです。

権力者が呼び寄せる
→ヴァイキングたちは新たな土地で活動する
→その土地の人々とも混ざり合う

こうした繰り返しが、いろいろな地域に“ヴァイキング色”をもつコミュニティを生み出し、それをまとめる王や領主が軍事力・経済力、さらにはキリスト教の後ろ盾を得て支配圏を確立していきました。


https://www.deviantart.com/hellbat/art/Viking-Exploration-and-Expansion-Map-889272080より引用

エトノジェネシス——混ざり合いから生まれる新しい民族

ヴァイキングは北西ヨーロッパや西ヨーロッパで、何度も「エトノジェネシス」を起こしていったとされます。エトノジェネシスとは、同じ経済活動や社会生活を共有する人たちが集まって、新しい民族集団(エトノス)を作り出すこと。

  • ルーシ(ヴァリャーグ×スラヴ系)

    • ヴァイキングの一部(ヴァリャーグ)とスラヴ系の民族が混ざり合って生まれたのが「ルーシ」です。ここから後にキエフ公国やロシアの基盤へとつながる流れが生まれたといわれています。

  • クヌートとイングランド支配

    • 北海をまたいで活躍したヴァイキング王、クヌート(クヌート大王)は、イングランドを含む“大帝国”を築きました。デンマーク・ノルウェー・イングランドをまとめた「北海帝国」はその象徴です。

  • ノルマンディー公国とシチリア進出

    • フランス北部のノルマンディー地方は、ノルマン人(もとはヴァイキング)に由来します。また、シチリア島に進出したルッジェーロ家も“ノルマン人”として知られ、南イタリアで強い勢力を誇りました。

  • アイスランド

    • アイスランドへ渡ったヴァイキングたちは独自の共同体を築きました。

こうした動き全体を指して「ヴァイキング・ダイアスポラ(離散)」とも呼ばれます。バラバラになったように見えますが、それぞれの土地で地元の社会と融合し、新たな文化や政治体制を生み出していったわけです。

ヴァイキングはスウェーデン人の祖先!はイケてない

後世の人々が「ヴァイキングはスウェーデン人(あるいはデンマーク人)の祖先だ!」とストレートに結びつけるのは、実は危うい考え方。というのも、近代以降のナショナリズムが確立されてから、「昔から○○という民族がその土地にいた」っていうイメージがあちこちで作り出されてきました。このイメージは、いわゆる“原初主義”と呼ばれる発想で、「〜人」っていう民族集団が太古の昔からずっと同じ場所に存在していた、というイメージを強調しがちです。

でも実際の歴史を振り返ると、特定の地域に住む人々が常に同じ言語・文化を共有していたわけではありません。むしろ、いろんなルーツをもつ人々が混ざり合ってコミュニティを作っていたほうが普通でした。そもそも“エトノス”と呼ばれる民族集団も、何かしらの特徴(言語・文化・信仰など)を共有する人々が歴史の流れの中で形成していくものであって、はじめから固定されていたわけじゃないんです。

だから「ヴァイキングはそのまま現代のスウェーデン人やデンマーク人のご先祖さまだ!」と断定するのは、いまの私たちの政治的・文化的立場やナショナリズムの影響が色濃く出た見方と言えます。実際には、当時の北欧だって異民族や異文化との接触を繰り返していましたし、大陸側からも様々な人々が流れ込んできました。混ざり合い、行き来していたんです。きっと。

古代や中世の社会って、地域や人々の境界線が今ほどカッチリしていないことも多かったのも事実ですし。

だからこそ、後世に「ここは誰々の国」「ここに住むのは〜人」って線引きするのは、過去のあり方を単純化しすぎ。ヘロドトスの時代から人間集団の混在は当たり前だったわけで、近代になってから生まれたナショナルな視点をそのまま昔に適用するのは、ちょっとイケてないよね、ってことなんですね。


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こたろう 太っちょコンテンツ消費大好き人間を抱えた一日中読書ニキ
ここまで読んでいただいて、恐悦至極に存じます。 noteにしか書かない記事や情報もありますので、よろしければフォローしてくださればと思います。ありがとうございました!また!