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ハリーポッターと植民地主義ノスタルジーの冒険

なんか、ハリーポッターの新しい題名みたいな記事タイトルになりましたね。笑
ちなみに、Harry Potter and the Philosopher's Stoneのように、ハリーポッタシリーズはA and Bのようなタイトルが多いですが、これは「BにまつわるAの物語」というような意味です。英語の文章を読むときは、英語のタイトルの形式にも注意して読解してみてください。


いかにも「イギリス的」な作品

ん、切り替えていきます。正直なところ、今の時代に「ハリーポッター」シリーズを“差別”という視点で読んだことがある人って、どれくらいいるんでしょうか?

このシリーズは、イギリスの作家J・K・ローリングが書いた全7巻のファンタジー小説で、世界中で累計5億部以上売れている超人気作です。舞台になっているのは寄宿制の名門私立学校で、キリスト教っぽいモチーフがたくさん出てくる、いかにも「イギリス的」な作品と言えます。

この「ハリーポッター」シリーズを通して、現代のイギリスにいまだ残る、帝国主義(大英帝国時代に加速した差別意識)がどう表れているのかを読み解いてみたいと思います。まずはイギリスの帝国主義と植民地主義についてざっくり説明したあと、作中で注目したい3つのポイント――ロン・ウィーズリーの兄弟たちの進路、ヴォルデモートの設定、そして巨人グロープの扱われ方――から、作品に根付いた差別意識を考察してみます。

ほんまにざっくりイギリスの帝国主義と植民地主義について

そもそもイギリスはブリテン島の小国でしたが、隣のアイルランドを皮切りに、17世紀以降はアメリカやカリブ諸国、18世紀以降はインド亜大陸やアジア、19世紀にはアフリカまで植民地化を進め、世界屈指の超大国にのし上がりました。こんなふうに、自国の支配が及ぶ範囲を海外にどんどん拡大して植民地を作るやり方を「植民地主義」と呼びます。そして、イギリスの植民地主義は「帝国主義」と切り離せません。そもそも「帝国」っていうのは、中央政府とは違う文化や民族を従えて、強力な中央集権のもとに組み入れた国家のことです。そして「帝国主義」は、ただ植民地を持つだけじゃなくて、中央が周辺地域を支配・抑圧するような思想を含んでいます。19世紀以降のイギリス文化には、この考え方が大きく影響しました。

もっとも、20世紀以降、イギリスは脱植民地化を進める中で、自分たちが行ってきた人種差別や同化政策を反省し、「多文化主義」を掲げるようになりました。これは「ハリーポッター」シリーズにも表れていて、作中ではあまり人種間の衝突が表立って描かれません。でも、実はよく読んでいくと、植民地主義時代のイギリスを連想させるようなシーンがあちこちにあるんです。次の段落から、その例を具体的に見ていきたいと思います。

ハリーとヴォルデモート

まず注目したいのは、物語の中心であるハリーとヴォルデモートの対決。植民地主義的な視点で見ると、ハリーが「イギリス(支配する側)」、ヴォルデモートが「抑圧される植民地(異国)の側」を象徴しているように読めるんです。シリーズ全体を通してヴォルデモートには“蛇”のイメージが強調されていて、これは旧約聖書で「反キリスト」や「サタン」を連想させるものでもあるし、イギリスから見た“異国情緒”や“他者性”を示すシンボルにもなっています。実際に作中では、ヴォルデモートは蛇のような顔をして「パーセルタング」(蛇語)を話し、協力者の巨蛇ナギニを従えています。ナギニという名前はヒンドゥー神話の蛇神“Naga”の女性形で、インド・コブラがモデルだと考えられています。

https://front-row.jp/_ct/17255392より引用

イギリス文学では、イギリス人が理解しない言語や蛇使いといった“オリエント(東洋)”のステレオタイプを悪役に投影する傾向がありますよね。さらに、「賢者の石」に登場したクィレル先生もターバンを巻いていて挙動不審な様子が強調され、実はこの“オリエント風”こそが真の脅威だったという展開にもなっています。こうして見ると、オリエント的なイメージをまとうヴォルデモートをハリーが打ち負かすことで、作品の中で帝国主義的な価値観が復活しているようにも捉えられるんです。

「アボリジニ」とハリウッドの弟くん

二つ目の例が、森に住むグロープ(Grawp)という巨人の描写です。グロープはハグリッドの弟ですが、ハグリッドは半分人間、グロープは純粋な巨人なので、立場が大きく違います。ハグリッドはホグワーツでふつうに人間と共に暮らす一方、グロープは森に隠れ住むしかありません。実は、巨人は魔法使いたちから嫌われていて、教育も受けさせてもらえず、過去には虐殺などの迫害を受けた結果、現在では70~80人ほどしか残っていないとされます。この構造は、オーストラリアにおけるアボリジニの差別を思い起こさせます。アボリジニの子どもたちは「文明的に教育するべきだ」という理由で親元から引き離されたりして、「盗まれた世代」と呼ばれるような歴史的悲劇があったんですね。こうした現実の差別構造が、魔法界の巨人たちにも当てはまっていて、「ああ、ここにも植民地主義の影があるな」と感じます。

https://x.com/haripotajunky/status/1466758366433353732より引用

多文化主義?同化?

一方で、「ハリーポッター」シリーズにはチョウ・チャンやパティル姉妹、ディーン・トーマスのように、イギリス国内のエスニックマイノリティが登場していて、彼らは白人系の生徒たちと仲良くやっています。これは現代の「多文化主義」を反映しているとも言えますが、逆に言うと、みんながイギリス的な文化にしっかり同化してしまっていて、民族や文化の違いがほとんど目立たないという見方もできます。

要するに、現代のイギリスは植民地主義を反省しつつも、どこかで「帝国主義へのノスタルジー」を持ち続けているのではないか。子ども向けのファンタジーであるはずの『ハリーポッター』シリーズにも、その名残がちらほら見えるのは、とても興味深いことだと思います。

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参考文献
・クリストファー・ベルトン (著), 渡辺順子 (翻訳) 『ハリー・ポッターと不思議の国イギリス』

めちゃくちゃ面白い本です。ハリーポッターファンならどうぞ!


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