原点は昭和歌謡
ご無沙汰しております。姫野光太郎です。
久しぶりの投稿ですね。寂しくさせたね野郎ども。
さーて、今回は何を話しましょかね。(しらこい)
僕が音楽と出会った頃のお話でもしましょうか。
まじな話をすると、"音楽"というものに関心が沸いたのは昭和歌謡との出会いがきっかけ。
遡ること、、、、、(何年かはちょっと覚えてないわ、小学校入るか入らんかくらいやったかも。)
ある日祖母に連れられてカラオケに行ったんですよね。
祖母は韓国人だったので、韓国人歌手の曲しか歌わなくて。
正直歌詞もわからんし、ポケーっと聴いてたと思います。(今思えば歌は上手かったです、ばあちゃん。あとほんのちょっとだけ浅川マキさんに雰囲気似てた。)
ただ唯一、その日祖母が歌った日本の曲が「ブルー・ライト・ヨコハマ」でした。いしだあゆみさんの。
今まで聴いたことのないメロディーと日本語独特の響きがスナックの暗い照明と相まってキラキラしてました。
感動で心臓が撃ち抜かれた気分になりました。
祖母が歌うブルー・ライト・ヨコハマ。
それが音楽に感動した最初の体験でした。
たしかその後「喝采」とか、「夜明けのスキャット」とかも歌ってたかな。
どこか悶々とする感じ。いつしか、ムードが高まるあの高揚感にドキドキするようになりました。山道の外れにあるような古びたラブホテルの一室でこういう曲をかけたくなります。梅田の綺麗なラブホとかじゃなくて。ぜんっぜん話変わるけど僕、ラブホのUSENめちゃくちゃ好きです。
ブルー・ライト・ヨコハマとか夜明けのスキャットに関しては70年代に入る前とかやから、ちょうど日本に海外の文化が沢山入ってきてた時代なんでしょうね。髪型とかファッションとか音楽も。クラブでゴーゴー踊ってるような時代かな。僕の祖母は世代やったんでしょう。僕の憧れの時代でもあります。
その体験から僕は昭和歌謡曲の虜になりました。
と言っても歌謡曲っていうものを認識したのはもう少しお兄ちゃんになってからなんですが。
ありがたいことに僕ら世代、テレビで昭和の名曲100選みたいな番組がよくやってたんよね。(今でもたまにやってるよね。)
祖母とのカラオケ体験からしばらく経ってからそういう番組を観て、沢山の名曲を知りました。
あとね、祖母は前川清さんも好きやったみたいで、その流れから内山田洋とクール・ファイブも聴いてみたりしました。いわゆるムード歌謡ってやつ。ネオン街が似合いそうな。
そして70年代の歌謡曲も聴き漁るようになりました。特に衝撃を受けたのは“ジュリー”こと沢田研二さん。
「危険なふたり」とか「サムライ」とかの映像(ベストテンに出てた時のやつ)を観て、こんなカッコいい人おったんや!と大興奮しました。ギンギンのメイクで歌う姿に目と心をキラキラさせたのをよく覚えてます。
もちろん昭和のアイドルも好きになりました。僕が小学生の時にAKB48がデビューしまして。クラスメイトの大半は夢中になってたけど、ピンクレディーとかキャンディーズの方が断然イカしてるやんって思ってましたから。今思えば、ちょっと変わった子でした僕(笑)
今自分が曲を書くようになって、やっぱり歌謡曲の影響はでかかったなと実感してます。
うまくは言えんけど、自身の楽曲は昭和歌謡を無意識に意識してると思います。
特にメロディーラインなんかはどうしてもそういうアレンジになっちゃいますね。
最後にもう一度断言します。
姫野光太郎の原点は昭和歌謡です。
以上、歌謡曲が僕の音楽ルーツっていうお話でした。
ちなみにロックと出会ったりギターを弾きだすのはもう少し後になります。また暇なときおいおい話していきますね。そんな急かさないで、せっかちさん♡
ではまた、おやすみ。
姫野光太郎・・・大阪府出身のシンガーソングライター。14歳か15歳の時にギターを弾き始め、18歳のときにはじめてライブハウスに出演。大体この頃から作曲もはじめる。まあなんやかんやありまして今に至る。
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