秋の夜長に
連休を終えて、明日からの仕事が憂鬱な時間帯。眠れたら楽なのに眠れない。
もうすぐ一つ歳をとる。
そこで、私は何を必要としているのかを考えてみた。
私は私を認めてくれるパートナーが欲しい。
パートナーだから、手も繋ぐだろうし、セックスもするだろう。だから、誰でもいいわけではない。
前の恋愛の時に、私は彼を好きな私が、最初はとても好きだった。でもそれは一時のもので、結局、誰かに深く愛されたい。
愛情は感じるものの、いてもいなくても良い存在なのではないか?
そう思い込んでしまった時点で、私の幸せ気分は終わった。そのタイミングで私は攻撃的になり、相手への優しさに対して、見返りを求めるようになっていたのだと思う。
本当の愛とは、自分がどうしたいかであって、相手をどうしたいか、相手にどうされたいかではない。そんなことを偉い人が言っていた。
でも、私達は決して自分という枠の中から一人で出ることはできない。共有するものがある人の枠の中を見せてもらえるのがせいぜいだろう。そこからの広がりはあるかもしれないが、私はあくまで私なのだ。
だから、自分を好きでいられない私が、相手を好きでいられるわけがない。
つまり、私という人間をわかってもらえないならば、相手の世界も飛び込めないということだ。つまり、一人でいるのと何も変わらず、何の新しい世界も見えてこない。
歳をとるにつれて、個という枠を広げられなくなり、相手を入れることも、自分が入っていくことも難しくなってきていると感じる。
荒れた時期を乗り越えて、普通に過ごしつつも、私は結局、必要とされない自分に恐れている。
私がいてもいなくても。
この言葉を半年ぶりに思ってしまう、そんな秋の夜長。