【音楽好きを育てなくていい】音楽系教師としての価値提供
ごきげんな五重奏団「ステップ・クインテット」の動画を次々と更新しています。本当に“ごきげん”の言葉がピッタリなメンバーたちです。
僕たち音楽家は、音楽が好きだからこれを仕事にしています。【仕事にする】ってわざわざ思うまでもなく、好きなことをやっているうちに仕事になっていた。仮に【仕事=収入を得る手段】と定義したとして、もしお金を得ることがなかったとしても、僕たちは音楽を続けるでしょうね。プロの第一条件は【目の前のことを楽しいって思えるかどうか】です。そこから第二条件以降のことが始まります。
■ところで、ステップ・クインテットのメンバー達は、それぞれ音楽を教える仕事もしています。
歌の廣瀬史佳さんは、池袋の一等地で教室事業も含めた音楽事務所を経営しているし、サックス(ソプラノ・アルト)の藤田美斗里さんはいくつかの音楽教室の講師をしている。パーカッションの日比野慎也くんはフリーのドラム講師として都内各地のスタジオでレッスンをしてるし、サックス(バリトン)の野村亮太くんも自宅でサックス教室をやっている。(←僕はその生徒。)
僕の場合は自宅でピアノ教室をやっているし、学校の教員としても子供達に音楽を教えている。
ピアノ教室業界の現状
こと、ピアノ教室業界に焦点を絞ると、ここ最近はピアノを習う子供達が減ってきたことに対して危惧する声も聞こえてきます。確かに、子供の数自体が減ってきていますから絶対的な需要が落ちている。というのは間違いなさそうですね。更に多様化する価値観の中で、ピアノ教室というものの存在感がピーク時よりは薄らいでいるのかもしれません。つまり相対的にも需要が落ちている。と言えそうです。
こんな風に、世の中全体的に、ピアノ教室に対する需要が減ってきている中で、僕の教室は常にレッスン枠が満パンに埋まっています。
別に自慢したくてこの記事を書こうと思ったのではありません。
そうじゃなくて、僕たちのように音楽が好きで、音楽を通して社会と繋がりたいと思っている人たちにとって大事なことだと思うから書いています。
【生徒がなかなか集まらない】と悩む先生の中には、無意識のうちにこんな呪縛に縛られている人もいるかもしれません。
教育現場でよく目にする光景
【音楽は音を楽しむと書く!】なんて言って、子供に楽しむことを強要するような指導風景を目にします。それ自体が良い・悪いの話ではなく、ここで起こっている状況を少しだけ深く分析してみると、ある連鎖が起こっていることがわかります。
▶︎この指導者は音楽を楽しませなくてはいけない。と思い込んでいる。
▶︎その大人の目には、子供達は音楽を楽しんでいないように写っている。
▶︎だから強要する。
▶︎子供からすれば、強要されればされるほどつまらなくなる。
※負の連鎖のように思えるかもしれませんが、このこと自体に良い・悪いのジャッジを下す必要はないと思います。人は何をきっかけにして、どんなことを学び、成長するかなんて本当のところはわからないからです。
ただし、この先生のところに集まってくる生徒は少ないだろうな。とは思います。
じゃあ、何を見直せば良いか・・・
楽しませなくてはいけなく“ない”
幸か不幸か、ミュージックという意味の単語に「音を楽しむ」なんて漢字が当てられてしまったものだから、【音楽は楽しいもの】と思っているうちはまだ良いけれど、それが【楽しむべきもの】【楽しませなくてはいけないもの】と発展しちゃった時に、先の例のような連鎖が始まります。
冒頭にステップ・クインテットの話をしましたが、僕も彼らも世の中に様々あるモノゴトから、“音楽”というものを見つけ出し、それが自分の心と体にフィットした。だから、音楽家をやっている。
“楽しい気持ち”や“ポジティブでいられる時”というのは、自分自身が本来的に持って生まれた質、欲求と自分の行動・言動が一致している状態と、僕は考えています。
そしてそのポジティブな状態を、全ての人が音楽を通して経験しなくてはいけないわけではない。というところが重要です。
そう、音楽の教師だからといって、その生徒もまた音楽好きでなくてはならない。なんてことはないんです。
【嫌い】は【好き】を探し当てるGPS機能
全ての感情は、自分の中の「好き」を探し当てるための道具として役に立ちます。
【嫌がわかるから良いがわかる。】【悲しみを知るから喜びも知る。】と言った具合です。
これからの社会では、自分は何が好きで、何をしている時に時間を忘れて没頭できるか。これを見つけることが本当に大事になる。
そして、全ての(感情)経験が【自分の中の好き】を見つけ出すためのセンサー、GPSとして使えます。
▶︎音楽好きの音楽教師は、ただただ自分が音楽が好きでそれを楽しんでいるところを見せればOK。子供達はそこに【楽しいのモデル】を見る。
▶︎【音楽が好きじゃない】という子供がいたら、その子は【他の場所に自分の好きがある】と知ることができる。
■最後に僕自身の話をちょっとだけしましょう。
僕は、勝手に音楽が好きになって、母親にも「ピアノを習いなさい」と言わせました。その後も勝手に「音大に行く」と決め、当時の先生をはじめ色々な人たちが「幸太には無理だろ〜」と言っていることも全て無視して、この道に進みました。これが出来たのは【僕は音楽が好きだ】とわかっていたからです。
幸い、僕の両親は子供に対して「何かをしなさい」という指示を一切しない人だったので、僕は僕の思うことをとことんやらせてもいました。
そして今、僕はこれまでの経験の中で、【どんな子にもそれぞれに突出した才能があるんだ。】と確信レベルで理解しています。でも、その子自身がまだそれに気が付いていないことが多い。(だいたい大人が見えなくさせちゃってるんだよね・・・。)
僕が音楽系の教師として彼らにすべきことは、音楽的活動を通して、彼らそれぞれの中にある【好き】を見つけ出すお手伝いをすること。そして彼らの好きが必ずしても【音楽】である必要はない。
社会全体が【多様性】という価値観に、大きく方向転換していこうとしている中で、ピアノ教師・音楽教師としての社会と繋がる。ということはどういうことか。これからますます真剣に捉えていきたいテーマです。
そして、生徒集めに苦労している個人教室の経営者さん方、最初に見直すべきは、宣伝方法、経営方法、レッスン方法・・・ではない可能性の方が高いかもしれません。
さ!!今日も音楽の楽しいを沢山の振りまくよ!ステップ・クインテットの新しい動画も出来たから、どうぞご覧ください♪
それでは良い一日を♪