見出し画像

「流線を描いて飛べ」を書き終えて。

2019年11月30日、「流線を描いて飛べ」という作品を書き終えた。その時の私は、中学時代の持久走大会で2キロ走り終えたのと同じくらいの疲労感と爽快感がありました。そのあと、葛藤が追いかけてきました。

私は、そもそも家族の役割を果たせない「はみ出し者」なんですが、この作品を書いた後は妹たちと打ち解けたり、新たな一面を見ることがありました。しかし、親子関係はむしろ溝が深まってしまいまして……というのも、私が両親を拒んでいるからなんですが。

「透明なぼくらは、この結末を信じない」から、次のコンテストに向けて小説を書こうと思い立ったのは、実は「透ぼく」を書き終える前でした。すでに頭にあったんですね。まぁ、その前にカクヨムで短編のコンテストがあったので、そっちを書いたり、あとは映画を観に行ったりしていました。その合間に、妹①が家出しました。そして、私はその家出に加担していました。姉妹揃って何をしているんだか……

「流線を描いて飛べ」は、現在エブリスタに元原稿、カクヨム、LINEノベルに改稿完結版、ステキブンゲイには改稿版を現在毎日一話ずつ公開中です。多分、一番読みやすいのはカクヨムなので、こっちのリンクを貼っておきますね。

この物語はざっくり言うと、中学三年生の男の子、有馬与鷹(ありま よだか)が家出をして、家出先の幼馴染やその先輩たちによって「生きる」ことを前向きに考える半月の生活を描いたお話です。以下、ネタバレあるのでご注意を。

すでに構想にはあった「流線」ですが、きっかけは四年前くらいになります。いや、もっと前ですね。与鷹は私の中学時代そのもので、その頃から私はずっと違和感を持っていました。家族と合わない。ズレている。そんな曖昧で気持ち悪い違和感を持ったまま大人になって、結果、家族の中に戻れなくなりました。

ズレてるのは私でした。まさかの。それを知ったのはごく最近です。「お姉ちゃんとは分かり合えないんだから放っておこう」と妹②が母に言ったそうです。私は妖怪か何かか。

さて、「流線」を書くきっかけは妹を匿ったことからです。その前にも「透ぼく」を書いてる間に職場の人間関係が悪化し、事態が悪い方向へ向かっていき、今は解決しましたが……果たしてそれが正解だったのかは分かりません。(「透ぼく」を書く前のお話は前回の記事をご参照ください)

またまた暗い話になるんですが、やはりここは本作の特性に従い、かなり重い話をします。

まず、他者に暴力や精神的な屈辱を与えるのはもっての外です。でも、無意識に誰かを攻撃してしまうことはあります。歯止めがきいて、話し合って解決できるならいいんですが、こじれてしまうこともあるでしょう。独りよがりに他人を攻撃し、それが悪いことだと理解しつつ、それでも止まらず、どんどん理想から解離していく自分に恐怖し、コントロールが効かなくなってくる。物語の主人公、与鷹の母親はそんなプレッシャーを抱えています。その結果、自分の息子を虐待してしまう。

誰だって感情的に怒ることはあるでしょう。怒鳴って異を唱えることはあります。でも、それとこれとは別ですね。
私の母も、まぁ、そういう人なんですよね。攻撃的な人です。妹①だけじゃなく私も妹②も父もそれなりに大変な思いをしてます。母はとくに大変でしょう。一番孤独なんじゃないかと思います。これに気がつくまで、かなりの時間がかかりました。気付いたのは職場がごたついて、幼少のトラウマが蘇って体調が悪くなってからです。親友の件が一段落しても休まることがありませんでした。そんな中で「透ぼく」を書いており、「流線」は「透ぼく」のスタ文優秀賞が決まってから着手しました。10月以降からだったので、その時にはすでに妹①も実家に帰ってます。さながら「流線」は私と妹①が過ごした〝家出時間〟がモデルですね。

また「透ぼく」を書き終わったあとということもあり、本作は8月という時間軸です。真彩と与鷹は住んでいる場所は違いますが、時期が若干かぶっています。「流線」の開始は8月15日で「透ぼく」はその頃、四章のあたりです。また、真彩の祖母の家と与鷹の住む町は遠いけど同じ区内です。

明るい話をしましょう。本作は冒頭がかなり過激なんですが、その後は与鷹の穏やかな(とも言い難い葛藤も含む)生活を描いています。個性豊かなキャラクターのおかげで緩和されたのではないかと思います。とにかく読むのが「しんどい」小説なので、風変わりな人たちがいないと困ります。

与鷹の幼馴染である野中響は、私が初めて小説を書いた時に初めて喋ったキャラクターです。その時は明るくふんわりとした少女で、また病弱でした。未完なので結局どうなったのかはわからないですが、彼女は十年の時を経て生まれ変わりました。「流線」では頼れるお姉さんですが、彼女もまた過去のトラウマを引きずっており、自分の中にある正義感を持て余しています。だから頭で考えるより先に「逃げよう」や「助けたい」と言う。そこが良いところでもあり、弱点でもある。それまでは「逃げる自分は弱い」とか「戦って前に進まなきゃ」と思っています。息継ぎが下手な子です。

有馬那鷹は与鷹の兄です。それまで矢面に立っていたんですが、家族という輪から出て行ってしまいます。身を守るには仕方がなかった。彼もまた性格が過激なもので、どちらかと言うと母親似なんですね。多分、あのままだと彼は母親と同じようになっていました。それに気づいていて、誰も攻撃しないように家を出たんです。歪みまくってますけどね。彼を書いてるとき、何度か苦笑とため息が出ました。ナオは恨みを募らせ、復讐心で自らを鼓舞していくタイプなので誤解を受けやすく傷つきやすいです。多分、これからも痛い目に合うし、ボコボコにされるんだけど、なんとか立ち直ってくれることでしょう。彼はまだまだ親を許せないですが、自分なりに解決策を見つけようとします。ちなみに、5月23日が誕生日でした。おめでとう、ナオ。

町田結子は、私が初めて長編の青春小説を完結させた「21gのひと」という作品に出てきた女の子です。「21g」のときは主人公と同い年の16歳でしたが、彼女も成長したので19歳になってます。私はやっぱりこういうことをよくやります。他の作品から輸入したがるんですが、他の作家さんもそういうことされてるので小説家あるあるかもしれません(笑)町田はのんびりしてますが、正義感は響と同じくらい強いと思います。「21g」の時もそうでしたが、響ほど無鉄砲というわけではなく引くところは引くタイプ。響が空気を読めないなら、町田はあえて空気を読まない、みたいな。だから「あえて読まない」発言をしたりもします。また、人様の家庭に踏み込むのは良くないとも考えているので、与鷹を助けたくても中立の立場でいようと努めています……後半はそうじゃないけども。町田は「21g」で各方面から愛されていたので、ここで辛い状況に居合わせたのはちょっと可愛そうだったなぁと思ってます。あ、町田が過去話をするシーンは「21g」の内容です。

さて、我竜輝。彼は響と町田の先輩です。この中では唯一の20代。でも、一番子供っぽくて大人。不思議な人物。というのも、本作は「流線を描いて飛べ」ではなく「ネバーランドには帰らない」というタイトルでした。ネバーランドといえば、ピーター・パンを思い出すんじゃないでしょうか。我竜はピーター・パンのイメージです。だから子供っぽい。でもこの中では一番達観している。問題を分析して、でもやっぱりどうにもならないことは最初から分かっていて、結果、あんな暴挙に出るわけですが……響よりも冷静で無鉄砲です。彼との付き合いは実は響の次に長いです。有馬家よりも他のキャラクターの方が付き合いが長く、逆に言えば彼らを放置しすぎていたわけです。さて、この我竜ですが、彼は彼で過去に色々やらかしています。そういう話を十年前に書きました。懐かしい。これもまた輸入なんですよね。彼はその時点から他人に対して冷めたところがあり、人間関係を俯瞰して見る癖があります。人の裏表を探り、純粋な興味で引っ掻き回し、試すような言い方をする。なんと高校時代は校内で情報屋をやってました。そんな自分がなんだか好きではなく、でもそんな自分も分析して客観視してしまう。好きな子にこっぴどく振られてからは、逆に人に踏み込むようになった。あざといんですよね。分析して人に優しくすることで、今度は勘違いさせてしまうという。こうして書いてみると、彼もまた大変な業を背負ってますね。自分を知りすぎてるからこそ、社会に不要だと決めつけて、わざと留年してます。ちなみに彼は「空気を読みたくない」タイプです。

与鷹は両親のどちらにも似ています。反抗期もあって行き場のない苛立ちに振り回されて攻撃的になるし、自分を責めがちで、でもできれば我関せずでいたい。そもそもがのんびり屋な次男坊なので、平和で幸せな日々を誰よりも願っています。兄よりも逃避癖があります。小さい時から兄と比較されてきたわけなので、早めに諦めた方が身のためだと無意識に分かっています。甘えたがりで、自己愛もあって、反対に自分はどうしようもない人間だとも思ってる。自我を持てず、どうしたらいいか分からない。でも、有馬家はみんなそうです。家族だから厄介なところがよく似ています。だから噛み合わないのかもしれない。与鷹は空気を読みすぎる子です。でも、身近な人から攻撃を受けると誰でもそうなります。自分の痛みに鈍くなりつつ、他人の顔色が気になって仕方ない。自己防衛のために身につく特殊能力です。

さて、本作で忘れてはいけないのが「プラネタリウム」ですね。プラネタリウムを作るにはどうしたらいいのか、真剣に悩む三ヶ月でした。私は工業系の学校を出てますが、その専門ではなかったので調べるのに随分時間を使いました。でも、やっぱり本物とは程遠いかもしれませんね(笑)あの装置を作るという感覚は体感しないと分からないだろうし、11月なんかは毎週末、科学館に入り浸ってプラネタリウムに通っていました。いっそプラネタリウムを作ろうかと考えましたが、コンテストの締め切りが11月末だったので時間がなく断念。それに、作品のために作るべきなのはレンズ式のもので、ピンホール式ではないのです。スケールがおかしいし、材料もないし、キットを使って作るか、いやでも時間がないし。というわけでプラネタリウムに通うしか手立てがない。

星は荒む心を癒してくれました。それでも第一話を公開した後はなかなか眠れませんでした。なので、1月に旅行に行きました。疲れた自分を労わるためでもありましたが、この作品を書いて本物の星が見たくて見たくてしょうがなく、星が見える場所へ一人旅してきました。写真はその時に撮影した巨大望遠鏡です。その節は大変お世話になりました。夏にまた行こうと思ってましたが、このご時世なのでまたいつか行けたらいいなと楽しみに待つことにします。

主人公の名前でもある「よだか」は宮沢賢治の「よだかの星」からいただくことにしました。よだかの星は「よだか」ですけど、実際は「ヨタカ」なんですよね。初めて見たときはギョッとしちゃうビジュアルですが見れば見るほど可愛い鳥です。「流線を描いて飛べ」というタイトルは、前述した通り「ネバーランドには帰らない」でした。でも「透ぼく」もそうでしたが「〜ない」ではなんだか否定的ですよね。ラストまでの流れができてから「ネバーランド」をやめて「流線」にしました。流線はそもそも軌道のような、それこそ星が流れるようなシュッとした線です。流れ星のように高く飛んで行けるような、そんな人になりたいです。私も。

〝あの流線はどこから来て、どこへ向かうんだろう。分からない。だったら、今は敷かれたレールに沿って歩いていく。いつかきっと、あの星のような流線を描いて飛んでいけたらいい〟

あとひとつ。本作にはもう一人のヒロインがいました。でも、投稿する前に彼女を出すのはやめました。彼女の役割は全部、響が引き継ぎました。というのも、響の妹という役割で出てきた子だったんですが、どうしても内容がまとまらずに外さざるを得ず。彼女は「流線」の後に書いた「フロム,ティーンエイジャー」に出すことにしましたが、名前を変えちゃったので結局日の目を見ることがなく……次回作には絶対出そう。名前は真琴です。いつか、次書くときに。

最後に。息が詰まってどうしようもないときは、逃げていいです。逃げましょう。無理して向き合わなくていいです。でも、いつか向き合わなきゃいけません。それでも分かり合えない時がある。お互いに分かり合えたらいいのですが。

とは言え、私も親に歩み寄れないわけなので偉そうなことは言えないです。だから「流線」は親子のことはもちろんなんですが、被虐待児がどうやって周囲を頼りに生きていくかを書きたかった。与鷹はあのままずっと違和感を抱えたまま大人になっていたら、兄のようになり、母のようになっていた。もしくは父のようにもなっていました。有馬家の人たちはそういう未来予想図でもあり、もしかしたらやり直せる家族でもある。過去では確かに幸せだったんですよ。幸せだったけど、いつからか噛み合わなくなった。修復不可能なんて我竜は言ってましたが、私は響みたいに無鉄砲に希望を持ち続けておきたいです。

家族から見ると私は冷たい人間ですが、私ほどあなたたちを考えて理解しようとしている人はいないと思うぞ、と上から思ったりもしてます。自分なりの歩み寄り方です。

私はそれこそナオのように「誰の助けも借りずに一人で生きていこう」なんて考えていた時期が長く、それが「透ぼく」のルーツでもあるような気がしますが、この「流線」も同じですね。でも、やっぱりなんだかんだ言って人は一人じゃ生きていけないです。本当に無理。物語の中でくらい、やり直しがきくんじゃないかと藁にもすがる思いです。私の作品はそういう内容がよく出てきますが、ここまで深く踏み込んでみたのは初めてです。これは、やはりたくさんの方に読んでもらいたいです。そのおかげで掲載場所が増えてるんですが……ラストは2回書き直しましたが、未だに私の中でどちらも賛否両論です。

この話を書いてるとき、私はとくに感情的でした。投稿時は情緒も不安定になりました。いや、いつもなんですけども。なので、疲れたなーという感想ばかり出てきます。Twitterでも「疲れた」しか言ってなかったと思います。それに完結後の毒抜きが大変でした。とにかく、よく眠りたいものです。

何かに縛られて自由がない人、自由になってもしがらみから自由になれない人が少しでも解放されたらと願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?