メンバーに引っ張ってもらう「サーバント・リーダーシップ」
発揮できなかったリーダーシップ
高校生時代、自分は下記のような経験をしてきた。
学年が文化祭で発表する映画制作の監督を務めた
文化祭委員長を務めた
陸上部の部長を務めた
従って、自分は集団を統率したことがないと言うと嘘になってしまう。それぐらい、集団を統率してきた自覚はある。
なので、当時の同期や後輩から「リーダーシップありますよね」と言われることがある。
しかし、リーダーシップを発揮することはできていなかったと僕は思っている。
なぜなら、陸上部を除いて、僕は統率した集団をうまく導くことができなかったからである。
作ってしまったビジョンの共有なき集団
恥ずかしながら、当時は「なぜ、僕の言う通りにしてくれないのか」「僕たちに任せると言ったのはみんな。なのに、なぜ今になって不満を言ってくる?」と思っていた。
つまり、うまくいかなかったことに対して、他人のせいにしていた。
これは完全に他責思考である。
しかし、今になれば分かる。うまく導けなかった理由も、その責任はすべて自分にあることも。
なぜ、集団をうまく導けなかったのか。
それは、みんながやる気になる明確なビジョンを共有し、理解してもらおうとしなかったからである。
映画制作の監督として「みんなに伝えたいメッセージ」は設定した。文化祭委員長として「どんな文化祭にしたいか」も設定した。
しかしながら、それをみんなと共有し、理解してもらおうとしなかった。
これでは、「自分自身が自己満足したいがために無関係であるみんなを巻き込む」という極めて自己中心的な行動ではないか。
それでいて、集団を導く?
いかにも、滑稽な話である。
高校生時代の自分に足りなかったものとは?
サーバント・リーダーシップ
これこそ、高校生時代の自分に足りなかったものである。
サーバント・リーダーシップという言葉を知ったのは、とある本を勧められたのがきっかけだった。
その本は「サーバントリーダーシップ」という。
しかし、566ページもある。内容も抽象的で難しい。
というわけで、より具体的でページ数がちょうどいいこの本を買った。
サーバント・リーダーシップ
リーダーシップが発揮されている状態とは2つの段階で説明できる。
確かに、高校生時代の自分はフォロワーを作れなかった。だから、リーダーシップを発揮できたとは言えない。
リーダーシップが発揮されている状態は二段階ある。第一段階は、高校生時代の経験もあるのですぐ出来そう。では、第二段階に持っていくにはどうしたらよいのか。
なるほど。信頼されることが、フォロワーを作る上で重要であることは分かった。
そして、信頼されるためには「サーバント」という言葉が大事になってくるということも分かってきた。
つまり、自分が掲げたビジョンに共感してくれて作業に入ってくれるメンバーがビジョンを実現できるように支援することで信頼を獲得していくということらしい。
確かに高校生時代の自分に最も足りなかったことだと、納得した。
自分が集団を統率するのではなく、メンバーに引っ張ってもらうリーダーシップ。これがサーバント・リーダーシップなのだ。
サーバント・リーダーであれ。みんなが目指したいビジョンの実現に最大限支援できるリーダーになりたいと強く思い、この記事を締めくくります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
余談:なぜこれを書こうと?
答え:自らへの戒めのために。