ウソつきはドロボウのはじまり!?
友人がバカッターの不適切動画問題の関連記事をリツイートしていた。そこには「アメリカは結構こういうのに寛容な文化だ」と言う旨が書いてあった。たしかに所謂アメリカンジョークと言うのはこういうバカバカしいことをやっていて、それを見てアメリカ人が腹を抱えて笑っているのをよく見る(それを見て、俺はシラけるということがよくある)。そういう意味では、確かにアメリカではこの手の出来事は、
「不適切<面白い」
ということなのかもしれない。
じゃあなぜ日本人は
「不適切>面白い」
なのだろうか?
前々から私はここ最近の
「どんな些細な悪も許さない(決して許してはいけない)」
的な世の中の風潮に違和感を感じている。本当にツマラナイ、生きづらい世の中になってしまったなあと感じている。
今回のアメリカ人と日本人の受け取り方の違いの記事を読み、この原因が日本人なら子供の頃に大人から何度も言われた『ある言葉』がに起因しているのではないかと思った。
その言葉とは、
『ウソつきはドロボウのはじまり』
子供のときはそのとおりだと思い疑いもしなかったが(今でも一理あると思うが)、自分が親になって感じることは、この言葉は大人にとってとても都合のいい言葉だなと言うことだ。
大人が子供に対してこの言葉を使うときはどんな場合だろうか。私の経験上、結構些細な"罪"でこの言葉を使っていたりしないだろうか?
この言葉がいつ生まれたのかは知らないが、親から子へ、子から孫へと何代も伝承されるうちに、
「些細な"罪"も認めてはいけない文化」
が日本人に根付いてしまったのではなかろうか?そしてそれはIT技術とSNSの発達により、顕著になったのではないか?
とにかく私としては、バカッターにはあまり興味はない。なぜなら私の知らない人が知らない場所で起こした些細な"罪"なのだから。
でも、いろいろなことを考える良い機会になった。そういう意味では今回のバカッター不適切動画騒動に感謝する。
ま、そもそも本当にアメリカ人がこういうのに寛容で「不適切<面白い」なのかどうかは知りませんが…^^;
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