トップアーティストから学ぶコラージュの作り方
先日、Bristol の Martin Parr Foundation でコラージュのワークショップを受けた。
今回のアーティストは、今年のAperture PhotoBook Awardsを受賞したJustine Kurland。
彼女は元々、アメリカのティーンなどを被写体にしたステージ写真を撮っていたのだが、父親の死、過去数年間の政治的・社会的激変、自身の制作方法に対するある種の道徳的清算など、個人的・文化的な出来事が重なり、コラージュを制作するようになった。
今回学んだことは、主に三つ。
まずは、コラージュにもさまざまな手法があるということ。
写真の切り方、貼り方、つなげ方にたくさんの種類があるのはもちろんのこと、写真を組み合わせて作るオーソドックスなコラージュもあれば、本の形態を保ったまま、中身をくり抜いて多層化させたコラージュなど、さまざまなコラージュ作品があり、実際にそれらに触れることができた。
次に、コラージュの本質に関して。
現在、自分でデジタルコラージュのプロジェクトは手がけているものの、物質的なコラージュ作成は初めてだったため、制作を通して「コラージュとは何か」ということに気づくことができた。
「概念の破壊」「偶然性」「接続による新たな可能性の発見」の三つがコラージュの核であると感じた。
実際に、彼女がワークショップ中に言った「コラージュは破壊するだけではなく、再生でもある。また、そこには新たな発見がある。」という言葉はとても興味深かった。
最後に、コラージュ制作は、難しいということ。
産みの苦しみと言うように、何かを生み出すのには苦しみとそれに耐えるエネルギーが必要。これはコラージュ制作にも通ずることであり、時間と労力をかけて生み出した、コンセプトやゴール、また、事前の研究や考察が作品に大きく繋がると感じた。
自分の中では、「抽象的なデザインフォトブックをmessyにコラージュして、アートに昇華する」が事前のテーマであったが、messyできない性格と抽象的なデザインが相まって、制作は困難を極めた。
今回のワークショップでは理論的なものよりも感覚的なものを吸収できたと思う。
現在、Photoshopを使ってコラージュ作品を制作しているので、今回の経験をうまくつなげていきたい。
P.S. かの有名なMartin Parrが振る舞ってくれた奥様のご飯は絶品だった。