『悪は存在しない』考察/ラストの鹿、棒読みセリフ,主語の喪失
2024年5月30日に那覇市の桜坂劇場で濱口竜介監督の最新映画『悪は存在しない』を鑑賞。『ドライブ・マイ・カー』での手法をさらに発展させることで唯一無二の表現がされていた。
ラストシーンの意味についての深掘り考察や解釈の方法と、濱口メソッドによる斬新な効果について解説していく。(※記事は全編ネタバレありなのでご注意!)
『悪は存在しない』ネタバレ考察
父が娘の迎えを忘れる理由:母親の死の回避
父・巧(たくみ)が、娘の花(はな)を学童へ迎えに行くのを毎回忘れる理由は明らかに心理的な回避行動だろう。単に忘れっぽいのではない。
巧は毎日、鹿猟の銃声を聞いてやっと“娘のお迎え”を思い出す。
まるで迎えに行くことを忘れたいかのようだ。なぜか?
おそらく、以前に毎日花を迎えていたのは母親だったのだ。
巧にとって娘のお迎えは、妻の喪失を思い出させる辛いルーティンなのだろう。
そして回避行動をしているのは巧だけではない。娘の花も同じだ。
花は、巧が車で迎えにくる前に自分で森の中を歩いて家まで帰る。
父が迎えに来れば「前はお母さんが来てたのに…」と、母が死んだことを正面から受け止めなければならない。だから花は1人で家に帰っているのだろう。正面を見ずに木を見上げながら。
父と娘が夕方に再会する微笑ましい光景が、巧と花にとっては回避の対象になっていた。第一幕から身を切るような切なさが浮かび上がる。
それだけに巧が森で花に追いついて肩車するシーンの感動は大きい。
そして2人と鹿の関係性にまた切なくなる…
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