第一章 ジュリーとロングブラック。
2017年11月2日。オーストラリアに到着。
最初についた空港は「ケアンズ空港」。ブリスベンへの国内線に乗り換えるためだ。
僕が最初に選んだのは、ジェットスター。とにかく費用を抑えたかったので、当時はLCC以外の選択肢はなかった。
カンタス航空の方が安い場合もあると知ったのは、これから1年後のこと。成田⇄ブリスベン間は、タイミングによっては、カンタス直行便の方が安いから覚えておいてね。荷物の量にもよるけど。
英語がからっきしだった僕は、ここでトランジットがちゃんと出来るかどうかが、飛行機の中からとにかく不安だった。
ケアンズの国際線を出る時に荷物を自分で受け取って、少し離れた国内線ターミナルに行って、英語でチェックイン。何度も何度も頭の中でイメトレ。それでも、本当にひとりで出来るのか、ずっとドキドキだった。
フランスに行った時に、ドイツでトランジットをした事があったけど、その時はテロへの警戒で、入国審査がかなり厳しかった。全くと言っていいほど英語が分からなかった僕は、たくさんの質問にかなり焦って、かなり戸惑った。
見かねたボーダーセキュリティが、宿の住所だけ教えろって言ってくれて、なんとかホテルの住所を見せて事なきを得たが、結構なトラウマとして刻まれた。そしてその記憶が呼び覚まされてしまった。
いざケアンズ空港に着陸。
税関に提出する申告書を片手に、ドキドキしながら飛行機を降りた。初めてのオーストラリアの地。
11月だったので、日本は少し肌寒かったけど、オーストラリアは夏へ向かう時。
カラッとしてるイメージだったオーストラリアも、最初の印象は、「なんかジメジメしてるなぁ。」だった。
入国をする時は、eパスポートのおかげで自動ゲートを選べたのにも関わらず、オーストラリアのスタンプ欲しさで、入国審査官がいる方に並んだ。ドイツでの恐怖が蘇ってくる。
と同時に、1年間英会話に通っていた日本での生活を思い出した。
「大丈夫。大丈夫。問題なく通れる。」
そう自分に言い聞かせて、列に並ぶ。ほとんどの人達が自動ゲートの方に並んでいたので、僕の前にいたのは小さい子供を連れた家族が一組。次が僕だった。
前の人が終わり、手招きされて、強面ゴリゴリの入国審査官の前へ。なにを聞かれるのか、ちゃんと答えられるのか、元々が小心者の僕はビビり倒しながらパスポートを渡した。
審査官はパスポートの写真と僕の顔を見比べて、「Thank you」と言った。
呆気にとられた。
オーストラリアのスタンプを押されるわけでもなく、何かを聞かれるわけでもなく、パスポートを返される。何事もなく入国できたのだ。
しかも、自動ゲートに並んでいる人達よりも圧倒的に早く。
ワーホリビザを持っていたからなのか、日本人だからなのか、審査官が適当だったからなのか(それはないか。)、今でもよく分からないけど、とにかく心配したあの時間がなんだったのかと思うくらい何事もなく、入国できた。
そしてそのまま自分の荷物を受け取り、申告書を持って税関へ。柿ピーを持っていたので、一応申告書にチェックを入れた。「中身はなに?」と聞かれて、お菓子だよって言ったら、そこも何事もなく通った。
ただ驚いたのは、履いていた革のブーツを念入りにチェックされたことだ。オーストラリアは自然保護の観点から、持ち込み物にとにかく厳しい。革製品はそうだし、靴に泥がついていたりしても、怒られる。多種多様な生態系を守るために、そこは徹底しているようだった。
そして無事オーストラリアに入国。時刻は午前4時頃だった。緊張のせいで飛行機内でもほとんど寝れずじまいだったが、まだ僕の緊張は続く。
むしろここからが本番だ。国内線ターミナルまで行って、英語でチェックインをしなければならない。
エージェントの話では、「国内線のターミナルも、すぐ隣にあるから大丈夫だよ〜!」という事だったので、そこまで心配はしていなかったが、それでも迷わずたどり着けるか心配だった。
国内線ターミナルの看板を見つけて、外に出る。ここで初めて、オーストラリアの鳥の声を聞いて、
「異国だ」
と恐怖心がスっと消えて、ワクワクに変わったのをハッキリ覚えている。その時のインスタストーリーに載せたのがこれだ。
本当にワクワクしていた。 でもそのワクワクもすぐにまた不安に戻った。歩けど歩けど、国内線ターミナルにつかない。隣だと聞いていたので、てっきり真隣に、くっついて隣接されてると勝手に想像していたのだ。
歩く事約5分。無事国内線ターミナルに到着。
振り返ってみると、たしかに5分という距離は近い。だけど、その時の僕には永遠のように感じられた。大げさではなく、持ち前の小心者を存分に発揮した。
とりあえず到着したものの、乗り換えまで4時間あるし、チェックインするまでは何もすることが無いし、だからと言って荷物を置いて寝るほど、肝が座っているわけでもない。完全に時間を持て余した。
日本に送ってもらっていたオーストラリアのSIMカードを携帯にさしてアクティベート。とりあえず親に無事着いた報告。日本の親は当然寝ている。ちょっと寂しさがこみ上げてきたりした。
無事に入国できた事と、無事に国内線ターミナルに到着した事で安心した僕は、腹が減ってることに気がついた。ジェットスターは、国際線でも食事はオプションになるので節約の為につけなかった。
映画等のエンタメもつけなかったので、飛行機の中は、少しの睡眠とたくさんの不安だった。
腹が減ってる僕に、新たな問題が降りかかってきた。コーヒースタンドは空いているのものの、コーヒーの種類がわからない。コーヒーの頼み方も分からない。どーしたら良いのか立ち尽くした。本当にこれは立ち尽くして、笑ってしまった。
というのも、オーストラリアのコーヒーは日本とは違くて、いわゆるブラックコーヒーは「Long black」だし、エスプレッソは「Short black」。その隣には「Flat white」なんて見たこともないメニューが書いてある。どれが何なのか全く分からなかった。
かと言って、英語で詳細を聞くことなんかできない。注文する時もなんて言ったら良いか分からない。「Can I get ~」を知ったのはブリスベンに着いて友達とカフェに行ってからだ。この時は何にも分からなかった。
ちなみに、Can I get (have)~ と I want to~ が言えれば、この段階では、とりあえずなんとかなるので、それは練習しておいてほしい。
立ち尽くしている僕に、お姉さんが声をかけてくれていた。めちゃくちゃにテンパって、とりあえず「ブ、ブラックコーヒープリーズ」と伝えてみる。案の定、聞き返される。
でもそこはさすが空港で働く店員さん。「ブラック」を聞き取ってくれたのか、「Long black?」と聴き返してくれた。ロングブラックなるものが何かわからなかったけど、ブラックって言ってるし、ブラックだろ!と思って、ここは大得意のYES!
お腹も減っていたけど、メニューがさっぱりだったので、レジ横に置いてあるパンらしきものを差し出す。オーストラリアでは定番のBanana breadだった。
この時は訳もわからず食べたけど、この後今に至るまで、食べたことはない。僕はあんまり好きじゃない。でもバナナブレッドが美味しいカフェはたくさんある。(らしい)
たったこれだけの事に、全エネルギーを取られた僕は、これからの不安が増加していくのを感じる共に、注文出来たことによる、なんとかなるんじゃないか精神と、すずめの涙ほどの自信も蘇ってきた。
不安がありつつも、気が楽になったのは、ちゃんとブラックコーヒーが飲めたからだと思う。
その後、無事に国内線のチェックインも完了。
「How are you?」に「I'm good.」と答えて、パスポートを出したら何も問題は無かった。
と言いつつ、ちょっと得意気になったのはここだけの話。
いよいよブリスベンへのフライトを残すだけとなった。ブリスベンに着いたら、空港へのピックアップをお願いしていたので、ここにあまり不安は無かった。
国内線は当然、全てが英語のアナウンス。CAさんも日本人はいない。
「本当に来ちまったな」
心の中でそう呟いた。
* * *
ブリスベン空港にも無事到着して、ピックアップに来てくれた人とも無事合流。ホームステイ先へと向かった。
ピックアップに来てくれた人が乗っていた車が、日本で僕が乗っていたそれと、色も車種も全く同じ、かつオーストラリアは右ハンドル・左車線と日本と同じなので、すごく安心したのを覚えている。
1時間ほどのドライブを終えて、ホームステイ先に到着。ホームステイ先は僕が希望した家。エージェントで3軒提示されて、選んだ家にそのまま入れた。
イギリス人のおばあちゃんの一人暮らし。近くに娘さん夫婦が住んでいるらしかったが、会ったことは一度もない。
いよいよ僕のオーストラリアでの生活が始まった。
ホームステイは4週間の予定。 海外に住んだことがなかったので、1つの経験としてホームステイをしてみたかった。寮やシェアハウスにいきなり行ってしまう手もあるけど、その国の生活を見てみたかった。
日本で、ホームステイ先を選ぶ時は、子供がいる家と迷っていたけど、学校まで1時間かかるということだったので、そこは断念。
学校から30分圏内で、かつおしゃべり好きのおばあちゃんという情報を信じて、そのホームステイ先に決めた。おばあちゃんの名前はジュリー。
実際行ってみると、ハグとホットコーヒーでお出迎え。このクソ暑いのに、ホットコーヒー?と思ったけれど、こっちの人は驚くほど暑い日でも、ホットを飲む。
そして、ジュリー流はいつでもロングブラック。アイスドコーヒーを飲んでいる人はほとんど見たことがない。
暑い時は、ビールを飲むのがオージー流。ジュリーはイギリス人だけれど。
今思うと、文化の違いを初めて感じたのは、このコーヒーだったかもしれない。
そのまま、Go cardという日本でいうSuicaのような、公共交通機関を使うためのカードを買うために、足が悪いのに、駅まで一緒に行ってくれた。
Go cardの存在も知らなかったし、電車乗り方も分からなかったし、それを聞くだけの英語力も無いので、本当に頼もしかった。ジュリー、優しい!
おしゃべり好きも本当で、彼女はずっと話していた。
学校終わって帰ると、ジュリーは必ず家に居たんだけど、そこから始まるマシンガントーク。もう勘弁して。って思ってたのもここだけの話ね。
それでも生きた英語を聞けるし、世話好きのジュリーだったから、学校の課題も教えてくれる。
意味を教えてくれたらいいのに、答えを教えてくれたり、実際はこんな言い方しないわ!なんて、学校のテキストにケチをつけながら、カジュアルで実践的な英語を教えてくれたりした。
世話好きが過ぎて、夜も7時過ぎると連絡が来たりするし、結構干渉してきたりもしたので、正直なことを言うと、早く出たいなって思ってた部分もあった。
でも、初めての海外生活の僕を心配してくれていたのは分かっていたので、早く切り上げることはしなかった。
契約では、朝ご飯と夜ご飯が出てくる、洗濯をしてくれるというものだったけど、ランチは持たせてくれるし、掃除もしてくれる。
世話好きジュリーは至れり尽くせりだった。不安だらけの僕も、最初の1ヶ月をなんとかやっていけたのは、確実にジュリーの存在が大きかったと思う。今では、良い思い出だし、とても感謝してる。
ご飯の量がえげつなくて、毎日苦しいほど食べてたのも今となっては良い思い出。本当に人生であんなに食べたことなかった。これは当時のInstagramストーリーズ。
同じエージェントを使っていて、同じ家にホームステイをしている友達に、シティまで連れってってもらい、到着の翌日にオリエンテーション。銀行口座の開設や、オーストラリアで働くのに必要な、TFN(Tax File Number)の申請を済ませた。
土日を挟んで月曜日からはいよいよ学校が始まる。エージェントに学校の場所を教えてもらって、解散。
初めて見るブリスベンの街並みに、心踊らせ、そして月曜日から始まる学校へ一抹の不安を募らせた。
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第一章、いかがでしたでしょうか。
オーストラリアに入国する時は、とにかく不安でした。
過去のドイツでの経験がトラウマ的になっていたこともありますが、英語への自信の無さから、かなり小さくなっていたと思います。
でも、オーストラリアの人はすごく優しいです。特に空港職員は、英語が喋れない人にも慣れているのか、余計なことは聞かずに、たんたんと作業をしてくれます。
今では、オージーのフレンドリーさにも、心安らぎますが、英語が話せないと、話しかけれるのも結構しんどいですよね。
そんなストレスは無い、快適な空の旅と入国でした。
英語に自信が持てずオーストラリアに来る人も、問題なく、入国できると思います。最初の壁だと思いがちな入国ですが、絶対に大丈夫なので、気を楽にして、飛行機の中では、寝たり、映画を見たり、機内食を楽しんだり。
ワーホリ前のワクワクを味わってみてください。
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この本をにきっかけに、ワーホリに悩む人や頑張りたい人、頑張っている人etc.ワーホリや海外へ行く、たくさんの方と繋がりたいと思っております。
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こーた
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