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SS 80 「コピーはオリジナルではない」
鏡では無い。目の前に同じ顔の人間がいる。私のコピー人間だ。
人の細胞は消耗しては新たなものに入れ替わる。半年から1年で全ての細胞が入れ替わっている。入れ替わっても元の細胞と同じコピーだから、見た目は変わらないし、記憶も繋がっていく。だとしたら、全ての細胞をそっくりに入れ替えたとみるならば、このコピー人間は私ではないのか。そんなパラドックスみたいなことを考える。
その答えは、記憶。これまでの人生の記憶は私自身しか持っていない。身体の機能や形態は全く同じでも、それがオリジナルとの違いだ。そう思っていたが、コピー人間は私の記憶を持っていた。いま現在の脳の構成まで完全コピーしているのだから、そこに蓄積されている記憶情報も持っていて当然だ。ああ、なんでこんなものを作らせてしまったのか。
再生医療の究極の技術としてコピー人間作成が可能となり、その試験モニター10人が募集された。モニター期間は毎年1千万円が協力費として支給されるというのに釣られてしまったのだ。当然、とんでも無い倍率の抽選になり、それもくぐり抜けたわけだ。過程で様々な同意書に署名させられたので、もはや一切異議を唱えられなくなっている。
それから1年。彼(コピー)と私は別人になった。同じ生活をしているわけでは無い。彼は研究所から出られない。経験が変われば記憶や判断も変わってくる。いま、語り合っても彼と私とは、違う。でも見た目は変わらない。
さらに5年。明らかに別人となった。経験の差だけではない。彼ら(コピー人間たち)は年齢を取らないことがわかった。見た目は6年前の誕生したときのままだ。
研究所からはデータが相当量蓄積できたので、当初の目的を実行しても構わないと連絡がきた。彼らの臓器を摘出して、この間に機能劣化や病気を負った私の臓器と入れ替えることだ。しかし、別人としか思えない彼らにも意思はあるのではないか。彼らは人造物ではあるが、6年間の人生を持った人間ではないのか。そう思うと肝炎を患っていても、交換を希望できなかった。他の9人も同じ回答だったそうだ。彼ら10人は今後どうなるのだろうか。
4年後、その疑問が解消した。彼らは不老だが不死ではなかった。細胞更新能力が人間より早い速度で衰えていくそうだ。彼ら10人はほぼ一斉に死んだ。なぜか、涙が出た。