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SS ⑥ 「トレーニングマニア」

亮太郎はジム愛好家で、自転車乗りでもある。小さい頃は走るのは遅いし、体操もうまくできなくて、体育の時間が嫌いだった。運動をほとんどしないまま大人になって、30才になる頃には既に肥満のおじさんになっていた。健康診断の結果も悪く、「さすがにまずいな」と嫌々入会したジムだったが、これがハマった。

ジムの筋トレに運動神経は関係ない。これは、やってみて初めてわかる。とにかく我慢強く続けていくと、トレーニングマシンの負荷が軽く感じられるようになる。そこで、重さを一段あげる。この繰り返しで鏡に映った自分の体型が変わっていくのがわかる。運動下手の自分が身体を鍛え上げていく。亮太郎はそのこと自体が面白くなったのだ。

そのうち、ジムの外でも身体を動かしたくなった。最初はジョギングから始め、やがてマラソン大会にも出るようになったものの、どうも面白くない。周りのベテランランナーがやってきた順調なタイム短縮。それが自分にはできないと気づいたから。考えてみれば、小学生の時から徒競走も持久走も全部ビリだった。筋トレと違って、走ることには市民ランナーレベルでも才能が影響する。

そこで今度は自転車に乗ってみた。ロードバイクというやつだ。ツールドフランスをテレビで見て「格好いい」と思っていたことも記憶にあった。隣町にスポーツ車専門の自転車店があるのは、車で通りがかって知っていた。早速訪問して説明を聞いていると、体格や筋力との相性があるとはいえ、値段の高い自転車にはそれなりの理由があって、速く走れるとのこと。貯金を崩し、思い切って20万円の自転車を購入。それでも中級品らしいので、奥が深い。

早速、県立公園のサイクリングロードを走って見ると、初めはまっすぐ走るだけでも大変だったが慣れるととても楽しい。ペダルを踏み込む感覚、ギアを上げた時の加速。自転車店のオーナーにそのことを伝えて見ると、ジムで鍛えているので脚力もあるし、支える上半身もしっかりしているので、初心者にも関わらず乗りこなせているのでは、とのこと。

平日夜はジム、週末は自転車の生活がここから始まった。

こうなると出張がつらい。経営管理部所属の亮太郎は毎月一度は各地の支社や工場を訪問し、通常3〜4日滞在して現地の社員と議論をしたり、現場を共に見て改善策を練ったりする。管理工学部卒、さらに社会人大学院で経営学修士を取っているので、こういう仕事は得意。しかし、業務後が問題。ジムがあり、貸自転車があるホテルを毎回探すのだが、日本のビジネスホテルでそんなところは滅多にない。全国チェーンのジムに入会して、出張先の街にある系列ジムを使うことを覚えたが、それすら必ずあるとは限らない。観光地の街だと駅前に貸自転車屋がよくあるのだが、ロードバイクは無い。いつしか、これが亮太郎の大きな悩みになった。

翌週の出張をどうするか、悩みながら通勤電車の中で新聞を読んでいると、取引先のRB社の画期的新製品のニュースがあった。形状記憶合金の機能を驚異的に進歩させたらしい。ちょうどその日は営業部のRB社との商談に帯同する予定があったので話題に出して見ると、待ってましたとばかりに話してくれた。どんな形に加工しても熱を加えるとフニャフニャになり、潰したり折ったりできる。そのまま常温に下げると、その形を維持する。再度熱を加えると元の形態に戻るそうだ。その熱もヘアドライヤーのレベルで十分なので、特殊な装置は必要ない。RB社では特許申請を完了し、販売に向けて用途を検討中。試作品を色々作って検証しているところらしい。

頭の中でひらめいた亮太郎、その場で勢い込んで話した。「ダンベルとロードバイクを作って見ませんか⁉︎」

まさに思いつきだったのだが、「健康志向がトレンドの現代、面白いかもね」とRB社も乗ってきた。RB社系列の自転車メーカーの協力も得て、1ヶ月後に試作品のロードバイクができた。タイヤとチェーンだけはゴムとオイルがあるため脱着しなければならないが、本体は熱を加えることで驚くほど小さくなる。ぺったんこに潰してから、バスタオルみたいに畳むのだ。ポケットに入るとはいかないが、キャリーケースに入るくらいになる。これまでの自転車とは桁違いの運び易さ。ダンベルもできていた。これも同じ様に小さくたためるので、カバンに入れても嵩張らない。亮太郎の自宅に送ってもらうことになり、嬉々として次の出張を待った。

さて、出張の朝、ビジネス用のバックパックに書類と一緒に小さくなったダンベル2本を仕舞う。そして、グレーのキャリーケースに畳んだロードバイクとタイヤ、チェーンを入れて自宅を出る。すぐに気づいたのは、重さ。考えてみれば当たり前だが、小さくなっても質量は変わらない。道理で昨日の宅配便のおじさんが不思議そうにしていたわけだ。「大きさの割にやけに重いな」と思っていたのだろう。RB社の方で折り畳んだ状態で発送してくれていたのだ。その状態の写真をスマートフォンに保存して、再度自分で畳むときに困らない準備もできている。重さについては、これもトレーニングだと思えば、自分にとってはさほど苦ではない。

出張初日の仕事が終わり、嬉々としてホテルに戻る。支社の皆さんに怪しまれたので、RB社の出張グッズテストに協力中と伝えたが、あっさりと頷いてくれた。我が社にとって重要な取引先であることは社員ならば知っている。まず、ダンベルを取り出して、ドライヤーを当てて見る。5分ほどかかったが、おおっ、見事にダンベルの形になる。

次はロードバイク。こちらは畳んで小さくなっているとはいえ、ダンベルよりは大きい。ドライヤーの風を全体に一度に当てるのは難しく、なんだかデコボコとしてとても不安になったが、最終的にはきちんとロードバイクの形態になった。わかっていたとは言え、これには結構驚いた。チェーンとタイヤを装着して、街に出る。ホテルのフロントの人が怪訝な顔をしていたが、咎められることはなかった。フル装備のウエアまでは持ってこれなかったが、いまは夏なのでトレーニングウェアで出発。見知らぬ街なので慎重に走る。夜の風がとても心地よい。予め夜間も入園可能な公園を調べておいたので、そこに向かう。サイクリングロードは街燈も照らしてくれており、携帯用のライトの光と合わせて十分な視界が取れた。快調に30分ほど走ってからホテルに戻る。「いやはやもう、これは最高ではなかろうか」と、嬉しさがこみ上げてくる。ホテルと並びのラーメン屋で夕飯を食べたが、店員が疑わしそうな目で見てくる。どうやらニヤニヤしっぱなしだったようだ。

出張最終日の朝、昨晩のうちに畳んでおいたダンベルと自転車をバッグにしまう。ロードバイクは畳むときに少々苦労した。前部を温めてから潰し、その後に後部を潰したのだが、その間に全部の温度が常温まで下がってしまっていた。後部を温める温風が前部の再加熱になってしまい、元の形態に戻ってしまったのだ。考えた末、部屋のエアコンを切って、汗をかきながら畳見込み作業をすることにした。それでももう一回同じ目にあったが、3回目は慣れたことで作業時間を縮められたので、うまくできた。次はスムーズにできるだろう。

少々寝不足ながら、新幹線の駅に向かう。テレビの天気予報で猛暑日と言っていた今日、まだ昼前なのに強烈に暑い。汗が止まらない。自腹になるがタクシーに乗ればよかったと思う。

ようやく駅について、エスカレーターに乗ろうとしたその時、キャリーバッグがバキバキ言い出した。驚いて開けると、みるみるうちにロードバイクが現れ出た。唖然とする亮太郎。駅前広場の時計塔に付いた気温計が目に入る。まさかの40度。密封されたキャリーバッグの中がかなりの高温になってしまったらしい。完全にロードバイクの形に戻っている。もうホテルに戻って畳んでいる時間はない。大型荷物用の座席を確保、本来自転車専用の輪行袋に入れなければならないのをどうにか了解してもらったものの、周りの乗客に白い目を向けられながら帰路についた。

翌週、RB社に今回の体験をレポートにまとめて提出。最終日の困った話は大いに参考になるだろうと思ったが、あっさりした反応。どうやら反応する温度帯はある程度変えられるらしい。変化する温度を少し上げてみるとのこと。また、夏場だけ保冷剤仕様の注意書きを入れると言った対応策もある、と言っていた。

意外だったのは、初日のレポートに大きな反応があったこと。「いくら小さくなっても、重さが一緒では携帯できないよな。そりゃ、そうだよな・・・・」と落ち込んだ様子。

「いやいや、ダンベルと自転車で25kgくらいですから、トレーニングと思えば大したことではないですよ」と伝えたところ、「そんな変人はあなたくらいだ」と。

25kgが大したことないのは、変人なのか。せっかく人生の楽しみを見つけたのに、その価値観を木っ端みじんに砕かれてしまった気分。

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