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弘前市仲町の歴史的町並み
今回は、弘前市仲町(なかちょう)の歴史的町並みです。弘前は弘前藩主津軽家によって築かれた城下町です。その中でも仲町は、弘前城の北側、亀甲門(旧追手門)前に配置された武家町(武家屋敷群)です。
仲町の歴史的町並みを訪れたのは2011年の9月。ちょっと古い記録ですね。この時は時間が短く、1時間半ほどでした。いつもながら駆け足踏査です(汗)。
冒頭の写真を見ると分かるように、仲町は武家町であることから、竹原のように町家が並ぶ景観ではなく、生け垣に囲われた武士の住宅が並びます。商家と武家とでは、住宅の様式が異なります。武士の住宅は基本的には農家の形式から発展しており、下の写真のように、仲町の伝統的武家は茅葺屋根の住宅です。
旧岩田家住宅
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仲町には現在、4棟の武家住宅が一般公開されており、その中の旧岩田家住宅を訪れました。旧岩田家住宅は、諸資料より1800年前後(寛政~文化期)に建てられたものと推定され、主要構造部は建築当時のまま今日まで残ったことが分かっているそうです。200年以上経っているんですね。岩田家は弘前城下の中級武士で、敷地の様子も往年の状態を保っており、当時の武家の生活の様子をよく伝えています。1981年に岩田家から弘前市に寄贈され、1983年から一般公開されており、青森県重宝に指定されています。
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岩田家母屋へ導く美しい石畳。
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岩田家住宅の母屋天井。梁や天井を組む木材がむき出しに見えて、豪快です。
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旧岩田家住宅の土間。まさに農家の様式を受け継いでいると言えます。
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母屋の囲炉裏。かつての生活の様子を伝えています。
仲町に残る伝統的武家住宅はわずかですが、当時の武家町の地割をよく残していること、仲町の武家住宅の特徴であるサワラの生け垣、門や板塀、前庭の樹木などが独自の景観を生み出していることから、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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石場家住宅
仲町を離れて、弘前城亀甲門に向かって進むと、現れたのはなんとも豪壮な石場家住宅。横に長い大規模な商家は目を奪います。現在は酒屋を営んでおり、国指定重要文化財。中を見学させていただきました。
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このスケールは写真よりも実物を見ないとなかなか伝わらないものがあります。写真に見える南側の家の幅は18メートルにも及びます。南面と西面には「こみせ」と呼ばれるひさしがあります。今でいうアーケード。東北地方の青森や秋田では「小見世(こみせ)」と呼ばれ、新潟では「雁木(がんぎ)」と呼ばれており、雪国に共通する歩行通路です。
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屋内はとてつもなく広く、土間もびっくりするくらい広いです。屋内に井戸まであります。
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土間に続く、母屋の囲炉裏と座敷。
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土間に続く土蔵。家の中にいて、土蔵にも出入りできるんですね。重そうな扉です。こんな様式を見るのは初めて。雪国特有の風土がこの独自の様式を産んだのだなと、妙に納得させられます。
そして、ここまで来たからには弘前城へ。
弘前城
弘前城の亀甲門(かめのこもん)。弘前城の追手門として1611年に大光寺城より移築されたものだそうです。5つ残されている城門のうち、最も古く、国指定重要文化財。
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弘前城天守
弘前城天守は、1810年に「御三階櫓」として築かれたもので、全国に12しかない建築時から現存する天守の一つで、最北の現存天守です。国指定重要文化財。
本丸側の北面・西面と濠側の南面・東面とでデザインが異なっているのが特徴で、二の丸から見える南面・東面側は、張出し、切妻破風、狭間を設けるなどの装飾が施されており、対して北面・西面は装飾が少ないつくりになっています。
下の写真は天守西面。
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上の写真は天守南面。現在、弘前城天守は、2023年まで天守台の石垣修理のため、2015年に曳屋により天守台から降ろされ、本丸中央に設置されています。
岩木山
弘前城本丸より望む岩木山。秀麗なその山容は、まさに弘前、青森のシンボルと言えます。本当に素晴らしい眺めでした。私、noteでは今のところ歴史的町並みのことしか書いていませんが、登山も好きなので、津軽富士とよばれる岩木山にも登頂したいと思いました。
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この記事はここまで。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
弘前市仲町(青森県の武家町・重要伝統的建造物群保存地区)
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