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自己紹介:第2章 【社会人前編】

大学卒業からセレクトショップの店員へ

教員になるために愛知県の大学へ入学しましたが、4年の秋ごろに教員にはならないと親に伝えました。
もちろん親としては「なぜ?」で頭がいっぱいになったと思います。
ただそんなわがままな行動すらも最後は応援をしてくれた親には本当に感謝しています。

何もない店舗

大学卒業後はメンパブのバイトで知り合った社長(オーナー)のもとでセレクトショップの立ち上げから携わらせていただきました。立ち上げと言っても本当の立ち上げ。新卒4月の段階では店舗はスケルトンだったので、本当に1からのスタート。約半年間は大工さんと作業を行い店舗作りをしていました。

後々は「社長」になる。
そんな漠然とした夢をもちとにかく目の前のことに取り組んで作業しました。
壁を建て、塗装をして、床を張る。
ネット契約、モニターの配線、照明の配線、セキュリティーなど店舗の内装からたくさんの学びを得れました。

また並行してオープン前からブログの運営、ネットショップ、商品の受け取り(買い付けはオーナー)、商品配置のレイアウトなどもいろいろやらせていただきました。

初めての経験と自分で決めて何かをするということが本当に楽しくとても充実していました。ただこのとき僕は1つ大きな勘違いをしてしまいます。それは「自分はなんでもできる」「自分は周りの同年代よりもできるんだ」そんなことを思ってしまっったのです。今振り返るとダサイですが、当時の自分は社会を知らないただのガキでだいぶギラギラしていました。

セレクトショップ店員からたこ焼き屋へ?

お店がオープンしてからはオーナーの知り合いの方がちょくちょく買い物に来てくれたが、それも落ち着くと段々と自分の力不足を感じるようになります。

お店にお客さんが来ない。。。
時間を持て余してしまい、この頃から自分のことを責めるようになり始めました。誰もいない店舗に1日中缶詰状態。自分の能力の無さや、何もすることがない無気力感で1日が終わっていく。

そんな毎日を送っている時にオーナーから「今後はどんな事業で独立していく?」と聞いてもらえ、その時の僕は自分のことでいっぱいいっぱいで、何かができるような状態でもなかったのですが、当時やたらと移動販売車を見かけることが多かったので、勢いだけで「移動販売車でたこ焼きやりたいです!」とオーナーに伝えました。

オーナーにはその言葉をしっかりと受け取っていただけ、車の手配などいろいろな準備をしていただきました。
しかし、いざ共同経営でスタートするとなったときに、まだまだガキだった僕は自分のエゴが出てしまい、「なんでこんな契約なんだ!」と車まで準備してもらったのに契約破棄をしてしまうのです

今思えば本当に「不義理」なことをしたなと思えるのですが、その当時はとにかく自分が間違っていないことを主張したいがために、周りにいた人に不平不満を言い続けていました。

結局自分のせいでたこ焼きの移動販売車の話はなくなってしまい、そのままオーナーとは喧嘩別れのような形になってしまいます。
大学卒業からたくさんの経験を積ませていただき、オーナーのもとを離れるタイミングで初めて自分の力ではなく、オーナーに守られていたんだなということを知りました。

諦めきれなかったたこ焼き屋

オーナーのもとを離れることになったわけですが、やると決めたらなんとしてでもやりたい頑固な性格の僕は、当時貯金も全然なかったのですが、たこ焼き屋をやりたすぎてここで露天商でたこ焼き屋をやると決めます。

備品は何もなかったのでとりあえず1から全部たこ焼きの機材を買い揃えました。貯金もほんの少しの余力を残して使い一式揃えたので、もう後には引くことのできない状況となりました。

ただここで大切なことが抜けてしまいます。
出展する場所がない、、、
「お前アホか!?」と思うと思いますが、当時の僕はたこ焼き屋を始めるのがゴールだったのでその先は何も考えていませんでした。

ある程度お金が担保できる状態がわかってから始めればいいのに、勢いだけでまだ出展場所も決まってない状態でたこ焼き道具一式を買ってしまいました。今考えても我ながらに大冒険したと思ういます(笑)

初出店ドンキ前

とりあえずやるしかないから、強行突破でドンキ前に出店したのがスタート。ひたすらいろいろなところに連絡をして営業をかけてみました。スーパー、パチンコ、福祉施設、イベント関係など。出店はできましたが現実は甘くはありませんでした。

歩行者天国のイベントでは開催時間が短く焼けるまでに時間がかかり売り上げが伸びず、スーパー前では場所代と販売手数料がえげつなく売れても粗利がでず、パチンコ店では隣接するコンビニに勝てず。。。今となればいい思い出です。(笑)

※当時は新型ウイルスもまだなかったので、各地土日には歩行者天国でイベントが開催されることが多かった。

たこ焼き屋では食べていけないからバイトの掛け持ち生活

気合いとやる気だかけで始めた「たこ焼き屋」がうまくいくわけもなく、すぐに金欠の状態になってしまいます。(現在みたいにSNSが発達していればまた違ったかもしれないですが、、、)そこで平日は引っ越しのバイトを昼間やり、夜はBARのバイトを始めました。

引っ越しを選んだのはお金が稼げて筋トレができると思ったからですが、現実は甘くなく実際やってみると、引っ越しシーズンではないため現場が全然ない。また交通費もバイト代込みのため目標としていた金額が稼げませんでした。しかも現場の行き帰りの車内で、社員の言葉遣いの悪さやタバコの煙など耐えられないことが多かったことなどが理由で3ヶ月ほどで辞めました。

もう一つのBarのバイトは楽しいのですが、お酒を覚えることが苦手なのと、どうしてもシェイカーが上手に振ることができなく長続きしませんでした。(※ここでも運動音痴が出ていたのかも)

土日はなるべくたこ焼きを出せる場所へ足を運びました。当時は豊田市に住んでいたので、蒲郡や豊橋、安城、太田川などいろいろなイベントに参加をしました。

その中で美味しいとたこ焼きを褒めてもらえることや、小さい子供たちと会話しながら営業ができたのは本当にいい経験ができました。

また、1人では絶対にできなかったことですが、当時の彼女や周りの友人に本当に助けてもらいました。
ここでも僕は人として成長をすることができたと思います。ただ本当に心からやりたいことがなんなのかはまだこの時はわかっていませんでした。
とりあえずやりたいと思うことに挑戦をして、合わないと思ったらやめての繰り返し。

教員を目指していたあの頃から比べれば、周りの評価は良くなく、母からも近所の友達が僕を心配しているという話を聞かされました。

とうとう貯金を使い果たし派遣の仕事へ

バイトとたこ焼き屋の掛け持ちではやはりうまいこと稼ぐことができず、新卒2年目の12月には貯金もほぼ使い果たしてしまいます。

ここでいよいよヤバくなったので1度稼ぐことに集中するためにバイトの求人雑誌やネット求人でとにかく時給のいいところを探しました。

そこで目に飛び込んできたのがケータイのイベントスタッフ。とにかく給料が良かったので始めてみると思っていたより人に声をかけるのにも抵抗がありませんでした。

ケータイイベントの仕事も慣れてきた頃、歴の長いスタッフの人と仲良くなりました。最初はフレンドリーな人だなと思うぐらいだったのですが、通信業界ではめずらしくお客様のために提案がしっかりしていました。(当時はまだケータイ一括0円などがあり1台のケータイにポケットWi-Fi3台契約させるみたいなゴリゴリの営業スタイルが良しとされていました。)

先輩と仲良くなり一緒の現場で働くようになったタイミングで、ルームシェアをしないかという話があり、すでにルームシェアをしていた先輩の家に僕も入り3人でルームシェアの生活が始まりました。最初の方はとても楽しく、鍋やって、たこ焼きやってと合宿のような毎日でした。
ただ僕はこの時のルームシェアで分かったことがあります。それは自分がかなり「潔癖」であるということに、、、
男3人のルームシェアでは部屋がかなり散らかります。その掃除をするのが必然的に僕となりかなり面倒でした。

手に職をつけよう!

ルームシェアを初めて4ヶ月が過ぎた頃、「このままずっと派遣社員でいいのかな?」と思うようになりました。
いまだに自分は何がやりたいのか、何ができるのか、全く分かっていなかった僕は安易な考えから「手に職つければなんとかなるでしょ!」と思い、マッサージの仕事を覚えるため講習を受けることにしました。
派遣でイベントの仕事をしながら休みの日はマッサージの練習。
結構頑張ったので1ヶ月ほどで合格することができました。

それから昼は派遣でイベント、夜はマッサージの仕事をする生活がはじまります。ダブルワークとルームシェアということもありお金はそれなりにすぐ貯まり始めました。

たこ焼きの移動販売車が戻ってきた!?

セレクトショップを辞めてから1年が経ったとき、オーナーから「移動販売車使わなくなった」と連絡がありました。
この時の僕はルームシェア・派遣の仕事・マッサージの副業をやっていたので、それなりに貯金をすることができていました。

そして自分探しといえば「旅」という単純な考えから、バックパッカーでアジアを旅をする計画を立てていました。移動販売車を断れば良かったのですが、自分の名義でローンを組んでいたことなどもありバックパッカーでの旅を断念するしかありませんでした。

当時はなんで会社名義ではなく僕名義で車を買うのかわかっていませんでしたが、個人事業主になるので僕名義になったんだと独立して改めて知りました。

なぜかたこ焼き屋を再開するしかないなと思った僕は、ここでルームシェアをやめて、イベントの派遣をやめてたこ焼きとマッサージで再スタートをすることを決めました。(マジでチャレンジャー笑)

貯金が無くなり4つの仕事を掛け持ち生活

イベント派遣、たこ焼き屋、マッサージ、で唯一の固定給だったイベント派遣をやめて新たなスタートを切った僕ですがすぐに迎えたのが金欠。。。

一人暮らしに車の維持費、仕事は完全歩合のため安定しない。
そこで今度は母親がホームヘルパーの仕事をしていたのを思い出し生活費を稼ぐため介護のバイトを始めます。また遊びに行きたい欲が抑えられないので、遊べるところで働けばいいと思いカラオケBARで仕事も始めます。
こうしていつの間にかバイト4つ掛け持ち生活が始まります。

「一度ちゃんと稼いでみたら!?」

バイト4つ掛け持ち生活にも体力的に限界を感じてきたタイミングでこれまたBARで知り合った社長から「一度ちゃんと稼いでみたら!?」と話の中で言われ、ここで「確かに!」となった僕は新たな挑戦に挑み始めます。

続きは第3章へ

番外編:仕事以外の経験

たこ焼き屋をスタートして数々の仕事をやってきましたが、並行してプライベートでも色々やってみたいことに挑戦していました。

引きこもりの子供と週一で遊ぶボランティア
地域のイベントのボランティア

原付で群馬から愛知まで移動
ヒッチハイクで愛知から群馬に帰省

DJ社長も来ていた水フェスのスタッフ
当時はDJ社長を知らなかったので派手な人がいるなぐらいに思ってました笑


バーニングジャパンで雨の中2泊3日のキャンプ
みんなで持ち寄り分け与えるおもろいキャンプでした。

ここまでの道のりで感じたこと

セレクトショップを退社してからここまでかなりの経験をしているように見えますが、実は1年半で経験してきた内容がここまでなので、かなり色々なことに挑戦して、自分探しをしてきたと思います。

親が愛知に遊びに来た時に父と喧嘩したこともあります。
「なんでこんなふうになってしまったんだ?」と言われた時はとてもショックでした。ただ今自分も親となり息子が僕と同じように目的も持たずフラフラしていたら、愛ゆえに同じようなニュアンスのことを言ってしまうかもしれないと思いました。
そして、この時はわからなかったけど本当に親から愛されているんだなということを今は感じています。
尊敬できる両親のもとに生まれることができたのは幸せですね。


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