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“点”ではなく“包括的”にみる

指摘に対する反応

人からの指摘は大体が心地いいものではなく、その内容にかかわらず合っていても、間違っていても受け入れにくい場合がある。指摘された時に一度「そういう考え方もあるのか」と受け入れられる人。もしくは指摘されることに対して腹を立てて意地を張り、相手の意見に対して反発したり、論破したりする人。
一度振り返ってもらいたい。
あなたはどちらだろうか?

受け入れられない人に起きていること

指摘をされたときに受け入れられない人は自分の都合のいい信念を構築する。この信念はあまりにいい加減で根拠がなく、自分の主観・主張・思い込みで構築されている。

したがって権威ある人の意見や情報に対しては、驚くほど簡単に主観・主張・思い込みを書き換え、あたかも自分は間違っていないかのように立場を入れ替える。

また指摘を受け入れられない人はあたかも自分の信念(自分の主観・主張・思い込みのこと)が間違っていないかのように相手の意見に聞く耳を持たず反論や論破をしてくる。

しかし、これは信念を通そうとしているのだはなく、ただ単に指摘に対する自分の“ 自尊心 ”を守っているだけである。

そのため相手が冷静に対応すれば話をあえてヒートアップさせ自分の土俵に持っていこうとする。また相手の冷静な態度にも敏感に反応をしてしまうため、最後まで責めきるか、ムキになり感情的に声を荒げる。

まさに“ 自尊心を守るためにマウント ”を取りにくるのである。

そもそも正しい正解を求めすぎ

自分の信念を否定さたと腹を立てる人の多くは、自分の所有する事柄全てにおいて“ 自尊心 ”を守ろうとする。

例えば 考え、意見、気持ち、所有物 など

しかしこれは実際のところ自分の慣れ親しんだ主観・主張・思い込みであり、包括的に見れば良い面も悪い面もある。本来であればお互いがお互いの主張を対等に出し合うことで、その場の場面やタイミングで変動的に変わるものである。

例えば
お米は糖質が多いので太りやすいから玄米がいいと言う人もいるが、玄米は消化に悪く胃腸に負担がかかるからお米のほうがいいと言う人もいる

筋トレはしたほうがいいと言う人もいれば、着たい服が着れなくなるから筋トレはしないと言う人もいる

このように物事には二面性がある。
そしてどちらも事実である。

しかし絶対正しいと決めつけて怒ることで思考を止めてしまっては、結局のところ自分の慣れ親しんだ主観・主張・思い込みにしがみついているだけで進展がなくなる。その結果相手の主張を理解しようとせず、即座に相手を評価をして決めつけてしまうのだ。

そうならないためにどうすれば?

腹を立てている人は冷静さを失っているため、そもそもその場で話し合うことすら不毛なやり取りである。できるのであれば一旦時間をおき、対話ができる環境を設定しなおしましょう。第三者を間に入れ整理しながらすすめた方が解決につながる可能性が上がります。

その場で話を進めないといけない時にやるといいのは、「何がこの人を怒らせているのだろうか?」と自分自身に質問をしてみる。結局のところヒートアップしてしまっている相手に対して要望を言ったところで、相手を変えることは極めて難しい。そのため自分自身の対応を変えるためにも「何が相手をそうさせているのか?」を自身に問いかけるのはおすすめである。

まとめ

ものごとを点で捉えてしまっては思考も凝り固まり、柔軟性を失ってしまう。すると腹が立ってしまったり、ムカついたりとつい感情的になってしまう。

そのため点ではなく包括的に物事を捉えることで視点に柔軟性が生まれ俯瞰して全体をみることができるようになる。

“ 点 ”ではなく“ 包括的 ”に視点を変える

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