銀座の東劇では2/1まで映画館で上演中/オペラ『マルコムX』の見どころ
※東劇以外での上映は2024年1月25日(木)で終了しました。
アメリカ最高峰の歌劇場(オペラハウス)であるメトロポリタン歌劇場、通称MET。ここで上映されたばかりの話題作が、世界各地の映画館でライブビューイングとして上演されています。
現在ライブビューイングされているのが、伝説的な黒人解放運動家として歴史に名を残すマルコムX(1925〜1965)の少年時代から暗殺されるまでを2時間半かけて描くオペラです。オペラなんて観たことないからハードルが……と思われている方もご安心を。少しシリアスなミュージカルぐらいの感覚で観れて、字幕もあるので映画のように誰でも楽しめます。
本作最大の特徴は、オペラとはいってもオーケストラのなかにジャズミュージシャン(今回の上演では8名)が加わり、場面に応じて様々なスタイルのジャズが即興演奏されていくところ。そのうちのひとりは、昨年にウィントン・マルサリスと共に来日してドラムを叩いていたジェフ・テイン・ワッツ。また彼の演奏があまりに見事で、オーケストラのサウンドをドラムが牽引するのではなく、絶妙にフィットして輪郭を引き締めています。
他のメンバーは以下の通り。第3幕 第2場でイスラム教の聖地メッカが舞台になるのですが、そこでアミール・エルサファーが得意としている平均律から外れた微分音を用いるアラブ系の音階でソロを吹いていたのも、この人選ならではの演奏で忘れ難かったです。
作曲したのはアンソニー・デイヴィス(1951〜 )という作曲家。フリージャズ周辺がお好きな方ならご存知であろうアンソニー・ブラクストン(1945〜 )やワダダ・レオ・スミス(1941〜 )のグループでピアノを弾いていたミュージシャンです。
アンソニー・デイヴィスにとって初めてのオペラとなった『マルコムX』は1986年9月28日にニューヨーク州立劇場で初演されています。当時、フリージャズの巨匠セシル・テイラーや、後にマルコムXを主人公にした映画を撮るスパイク・リーも観に来たといいます。ブラック・ライヴズ・マターが世界的な話題となった2020年頃から再びリバイバルの機運が高まり、遂にMETでも上演されることとなったのです。
今回の見どころ
① 開演前と幕間(まくあい)も最高!
METライブビューイングにはMCにあたる案内役がいて、初見でも物語についていけるような配慮がされています。今回の案内役は、なんとハリウッド女優のアンジェラ・バセット!?
スパイク・リーの映画『マルコムX』で、主人公の妻ベティを演じていたことから起用されたのだと思われますが、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の『ブラックパンサー』シリーズで、ティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)とシュリ(レティーシャ・ライト)の母ラモンダ役でご記憶の方も多いのではないでしょうか。
兎にも角にもアンジェラ・バセットのトークが熱量高く、幕間に挟まれる出演者たちへのインタビューも実に楽しそうで、それを観ているだけで、どんどん『マルコムX』を観るモチベーションが上がってゆきます! 本当に魅力的なんです!
② ロバート・オハラのアフロフューチャリズム的演出が面白い
演出は、演劇とミュージカルの世界で活躍し、トニー賞で最優秀演出賞も獲っている劇作家ロバート・オハラ。今回のみならず、近年のオペラ『マルコムX』再演で演出を務めてきたリバイバルの立役者のひとりです。オハラは今回、86年に初演されたこのオペラを、90年代に批評家マーク・デリーによって提唱された「アフロフューチャリズム」という視点で、演出しました。
幕間で流れるインタビューで彼自身が語っているように、舞台上部には宇宙船(UFO風の円形)があり、そこには(読み取れない雑多な内容を含めて)文字情報が映し出されます。そしてその下部には枠で区切られ、緞帳の付いた小さい舞台が置かれており、オハラはこれをマルコムの演説台なのだと説明しています。
しかし、どう考えても近未来SF的な宇宙船とは似つかわしくない、古風なデザインの舞台(書き割りの自然風景が背景になっている!)で、額縁のような枠のデザインもかなり古典的なデザインです。その結果、まるで異なる様式を敢えて同居させたポストモダン建築のような見た目になっていますが、この新しさと古さを同居させた世界観はアフロフューチャリズムの特徴でもあります。
舞台の上ではなく、舞台の両側にはひとつひとつが個性豊かなアフロフューチャリズム的なコスチュームを身にまとった黒人たちが存在しており、彼らは合唱団としての役割を担うので、基本的に観客側をむいて立っています。ところが、ラストでここに変更を加えることでオハラはあるメッセージを私たちに届けます……。それにより、オペラとしてのマルコムXの物語は悲劇ではなく、希望と勇気の物語であることがより鮮明になるのです。シンプルながら見事な魅せ方に驚かされてしまいました。必見です。
③ やっぱりアンソニー・デイヴィスの音楽が素晴らしい!
しかし何といっても、作曲家アンソニー・デイヴィスの手掛けたスコアがいま聴いても素晴らしいのです。(今回の上演では1992年に出版された楽譜には書かれていない音響が冒頭に足されていますが、)オーケストラが演奏をはじめる「序曲 overture」は不協和音で緊張感が高いのですけども、決して聴きづらくはありません。
序曲の後半部分(1992年と2022年に発売された録音では、どちらもこの後半部分から演奏が始まっている)は、最終場の音楽と共通しており、登場する音形は様々な場面で執拗に繰り返されるので、このオペラの最も重要な要素といえます。楽譜を分析してみると、シェーンベルクやバルトークによる無調音楽に登場するような音形が頻出するのですが、それをミニマル・ミュージック風の反復の上にドラムスのリズムと共に重ねているので、無調のハーモニーながら過度に抽象的にはならないのです。
物語の過程で、主人公は周囲の環境が何度も代わり、名前さえ2度も変えます。でも例としてあげた旋律などが、変奏されたりしながら繰り返し繰り返し登場することで、マルコムXの一貫性――例えばイスラム教を知る以前の第1幕ラストのアリアの時点で、後年の精神が既にあらわれている――が表現されているのではないでしょうか(母ルイーズによる、いわゆる「狂乱の場」でも繰り返されます)。そこが巧みで非常に面白いです。
一方、ジャズのスタイルは時代順でいくと「スイング(ビッグバンド)」「ビバップ」「モードジャズ」「フリージャズ」といったように次々と変化してゆくのですが、舞台となる時代「第1幕 第2場 1941年のボストン」から「第3幕 第5場 1965年のニューヨーク」までを表現する重要な要素となっているのです。更に細かいことをいえば「モードジャズ」ではソプラノサックスの即興が活躍することでジョン・コルトレーンを想起させ、それが次の場面の「フリージャズ」へとスムーズに繋がるようになっていたり……。当然ですがジャズの歴史やそれぞれのスタイルの歴史的意義が、物語としっかり組み合っているのもお見事です。
……まあ、色々語ってみましたが、とにかく実際に観てみてください。
上演されている映画館や上演時間の情報はこちら。
日本語字幕付きで観られる機会は非常に限られているので、このチャンスをお見逃しなく!