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頑固で臆病という強さ

私は頑固で臆病者だ。一度やりだしたらやりきるまで絶対に止めないし、自分が芯をもって「こうだ」と思ったことを絶対に曲げない。このように言うといいことのように聞こえるかもしれないが、融通が利かないのである。
しかも、頑固なだけでなく先に書いたように私は臆病者だ。やりたくないことなどを「やりたくない」といって通せばまだ頑固なだけで済むのかもしれないが、周囲の目などをすぐ気にしてしまい、非難されることなどを恐れたり、怒られることを恐れてしまい、やりたくないことでもやってしまうのだ。そうして一度始めたことはやり通さないと気が済まないという頑固者で意地っ張りあるからなおさら厄介なのである。

この厄介な私の特性はケンカなどをしたとき、その真価を発揮する。少しでも相手に非があると思うと絶対に自分からは謝ってやらないと思ってしまう。こうして拗れていってしまった人間関係もある。

だが、この性格も悪いことだけではなかったりする。
私は中学時代に部活でサッカーをやっていた。小学校のころからやっていたし、友人も多くいるため何となくで入部したのである。小学生時代からやっていたといっても、クラブチームのスクールで素人に毛が生えた程度。加えて対外試合などはなかったため競争の世界にはいなかったし、言ってしまうと遊び程度にやっていた。
しかし、中学に入って練習試合などもあり競争の世界入っていくことになると実践経験のほぼ皆無な私は試合中にミスを連発したり周囲に迷惑をかけてばかりだった。それまではミスをしたとしてもコーチに少し何か言われることはあっても、別にチームメイトに文句を言われることはなかった。しかし、中学の部活ではミスをすると文句というよりも強い要求などをするチームメイトが多くいた。勝ちたいから当たり前だろう。しかし、当時の私は打たれ弱かったことや、要求にしろ文句にしろ言われ慣れていないことから徐々に部活が辛いものになっていた。辞めたいと思うことも幾度となくあった。

だが、この辛いから辞めたいという気持ちすら私の心は許してくれなかった。ずっと言われたまま逃げるように辞めていくのが嫌だったし、一度始めたのだから最後まで絶対に辞めたくないという気持ちと、辞めたら周りからどう思われるのかという臆病な気持ちが入り混じり誰にもこの心中を吐露することなく悶々とサッカーを続けていた。今考えると恵まれていたのはいいプレーをした時には認めてくれたり、成長を褒めてくれるキャプテンやチームメイトが幾人かいたことだろう。そのおかげもあってか、中学の部活は無事に(?)引退することができた。

そうして私は中学を卒業して高校に進学した。そして高校でも性懲りなくサッカー部に入った。進学先の高校のサッカー部は県内では強豪校に入る部類の学校であった。まさか自分がこの学校に進学するとは、ましてサッカー部に入部するなんて中学2年の私は微塵も思っていなかっただろう。練習に参加した初日から周りのレベルは高かったし、きついしで続く気はしなかった。同じ中学校から進学したサッカー部の友人は結局初日の体験入部の練習を最後に部活には来なかった。私もこんな風に融通が利けばいいのにと当時は自分を呪っていただろう。もう分っているかもしれないが、ここで融通が利かないのが私である。部活の監督が父親であったということもあり、ここで辞めたら父親の面目も潰してしまうことを気にした臆病者であった事も事実だろう。

今思えばこの時融通が利かなくて良かったと思っている。理由はシンプルで後生の友人が多くできたことだ。そして県内の最後の大会で優勝できたことだ。そんな苦楽を共にしたチームメイトは卒業後も仲良くできている。きっと高校入学から卒業までの期間で最も長い時間を共にした者たちである。そんな人たちと仲良くならない訳もなく、未だに地元では1番仲のいい友人たちである。本当に辞めなくて、融通が利かなくて良かった。(融通が利かなくて迷惑をかけちゃった人にはこの場を借りて陳謝)

ここまでだらだらと書いたが、私はずっと自分の頑固で臆病な性格が嫌だった。しかし、人との出会いを経てそんな性格も時には役立つじゃんと少し好きになることができた。これは私の出会いに関する豪運もありきだろう。
自分のそんな変えられない部分を呪っても仕方ないしいったん飲み込んでしまえばそんな自分のことをちょっとでも好きになれるかもしれない。自分の短所とはある意味で長所と表裏一体なのだろうと思う。
私で言えば、「頑固で臆病という強さ」ということになろう。あまりいい響きではないが後から振り返るとこれも私の強さなのだと胸を張って言える。
だから自分の好きになれない所をもう一度見直して見て欲しい。そこにきっと自分を好きになれるきっかけがあるはずだから。


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