見出し画像

江戸っ子は、こんなものを食べていた!

 江戸時代にも「はやり病」が庶民を苦しめたそうです。
 天然痘や麻疹、インフルエンザ、コレラなどの感染症です。綾瀬はるかが、お慕い申していた仁先生も、コレラにはなすすべがありませんでした。流行が始まると人々は門戸を閉ざし、まじないの札を掲げて、ひたすら疫病神の退散を祈っていたそうです。
 有効な薬が無い中で、ステイホームしていたのですね。
 食べ物にも禁忌があったそうです。麻疹退散の錦絵「麻疹絵」には、食べてはいけないものとして蕎麦、川魚、葱、牛房などが、食べてよいものとして干瓢、人参、芹、大根などが書かれていました。

 昔の人々は何を食べていたのか。これを直接知るための科学的手法は、いくつかあります。
 遺跡から出土した動物の骨や植物の種の形を調べる。人骨に含まれる元素の同位体比を分析する。土器に付着した脂質から食べられた動物を推定する。花粉などの植物化石を探す。等々です。
 しかし、これらの手法では、動物や植物の大まかな分類しかできませんでした。
 今年3月、琉球大学、新潟医療福祉大学、理化学研究所、早稲田大学、東京大学の研究チームは、より詳しく食べ物を推定する新手法を発表しました。

 研究チームは、歯石に注目しました。歯石にはDNAが残っています。そのうちの99%は口内バクテリアのものです。しかし、わずかではあるものの食べかすのDNAも含まれています。
 これを「DNAメタバーコーディング法」で分析しました。それぞれの生物のDNAの内、特定の部分をバーコードの様に読み取る手法です。
 今回の調査では、東京の深川から発掘された江戸時代後期の人骨13体から歯石を採取しました。

 その結果「属」のレベルまで確定出来た植物が10種類、属は判らないものの「科」を判明できた植物が7種類ありました。
 科、属とは生物の分類の事です。「サル目ヒト科ヒト属ホモサピエンス」とか「バラ目バラ科サクラ属ソメイヨシノ」となります。
 これらを江戸っ子は、どんな風に食べていたのか、調べてみました。

 まずは、イネ科イネ属。
 これはお米ですね。江戸っ子は白米を食べていたようです。その他にも、米が原料のお餅やお団子もありました。そして夜は日本酒で一杯。居酒屋で一合が、現在の価格にして100円から300円位で飲めたそうです。ちなみに江戸の一番人気は「剣菱」だったとか。

 続いてアブラナ科ダイコン属。
 大根ですね。沢庵漬けや、べったら漬けなどにして食べられていました。また、風呂吹き大根の様に、煮込んで食べることも多かったようです。さらに短気な江戸っ子は、大根おろしをご飯にぶっかけて食べていました。葉をご飯に混ぜ込んだ「菜飯」も人気で、菜飯屋まであったそうです。

 同じくアブラナ科のアブラナ属。
 これに属する野菜は幾つかあります。油菜は菜種油の原料です。
芥子菜は和がらしの原料や漬物にされていました。
小松菜は人気が高かったようです。小松川(現代の東京都江戸川区)あたりでつくられるブランド野菜でした。
蕪も漬物や様々な料理の具材として使われていたようです。

 ヒガンバナ科ネギ属。
 葱は、現代と同じように様々な料理に使われていたようです。煮物、焼物、なます等々。鍋物の具材としてもよく使われていたようです。マグロと一緒に食べるネギマ鍋は、江戸時代に誕生しました。葱味噌や、蕎麦などの薬味としても使われていました。
 この属では、浅葱(アサツキ)や韮(ニラ)、辣韭(ラッキョウ)、大蒜(ニンニク)なども食べられていました。

 シソ科シソ属。
 紫蘇も現代と同じように食べられていたようです。梅干しと一緒に漬け込んだり、刺身の妻にしたり。味噌漬けやなますもありました。冷汁にも入れていたという記載もあります。

 キク科アキノノゲシ属
 この属の野菜は、萵苣(チシャ)だと思われます。レタスの事です。江戸時代にレタスが食べられていたとは意外でした。酢味噌和えや煮物にされていたようです。

 ツバキ科ツバキ属
 これは、チャノキと考えられます。新芽を摘んで作るのが日本茶です。江戸時代になり「煎茶」が生まれました。安い茶葉は、75gで500円程度となり普及したそうです。茶屋では一杯125~250円で飲めたそうです。

 ナス科タバコ属
 煙草です。煙管に詰めて吸っていたのですよね。

 オオバコ科オオバコ属
 オオバコ。今でも道端で見かける野草です。消炎、利尿、下痢止め、胃腸薬として用いられたそうです。

 アサ科エノキ属
 榎の木です。江戸時代には一里塚に植えられていたそうです。赤くて小さな甘い実をつけるので、おやつで食べられていたのかもしれません。

 以下は、科のレベルでDNAが判明しました。
 イネ科
 お米以外にもイネ科の植物は、色々あります。
大麦はとろろをかけた麦飯として。麦茶としても飲まれていました。
小麦はうどん、そうめん、まんじゅうなど。
 焼き玉蜀黍(トウモロコシ)は屋台の食べ歩きスナックだったそうです。
 筍も煮物、刺身、味噌田楽などで。

 タデ科
 これは、蕎麦でしょう。江戸時代に「蕎麦がき」から現代の様な「蕎麦切り」が生まれました。夜鷹蕎麦など屋台もたくさんあったそうです。

 セリ科
 芹、三つ葉、人参などが食られていたようです。鴨鍋には芹が欠かせなかったそうです。

 ウリ科
 南瓜や胡瓜はおかずとして食べられていました。
 夕顔は干瓢にしていたそうです。海苔巻き寿司にしたのかしら。
 西瓜や甜瓜(マクワウリ)は、おやつとして食べられていたようです。西瓜は1個2,500~3,500円位だったそうです。贅沢品だったのですね。切り売りもしていたそうです。

 ブナ科
 これは、たぶん栗のDNAですね。採れたてをゆで栗や栗ご飯にして食べるのが、秋の楽しみの一つだったそうです。

 ヒノキ科
 檜風呂のヒノキです。歯の鎮痛剤だったそうです。箸にも使われていたので、間違って噛み砕いてしまったのかも知れません。

 フタバガキ科
 マレーシアなどに生育するリュウノウジュと言う植物のDNAではないかと考えられました。樹脂から「竜脳」と言う生薬が作られます。これが当時の歯磨き粉の原料になっていたそうです。

 今回の研究では動物のDNAは検出できませんでした。歯石を作ったヒトのDNAが、あまりに多いからだそうです。
 研究チームは、手法を改良することにより、動物のDNAも検出できるようにしていきたいと考えているそうです。

<参考資料>
ニュースリリース
『江戸の庶民は何を食べていた?~江戸時代の歯石DNAから当時の食物を復元』
琉球大学、新潟医療福祉大学、理化学研究所、早稲田大学、東京大学
2020年3月5日

書籍
『農業全書』 宮崎安貞 岩波文庫 1936年(原本:1697年)
『和漢三才図会18』 寺島良安 平凡社 1991年(原本:1712年)
『江戸の意外な「食」事情』 中江克己 PHP文庫 2008年
『江戸の食文化』 原田信男 小学館 2014年

WEB
神奈川県歯科医師会「歯の博物館」
日経プラスワン 『歯磨き習慣定着、江戸っ子から』2016年8月6日

オジさんの科学バックナンバーは、
や・そねのブログ 
https://ya-sooone.hatenablog.jp/
以上


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?