盗まれたノーベル賞
オジさんのカガク2019年4月号
はやぶさ2号機が次々とミッションをクリアしている。
初号機が旅した小惑星「イトカワ」は、日本の宇宙開発・ロケット開発の父「糸川英夫」博士に因んでいる。
NASAでは、人工衛星に「ケプラー」「ハッブル」「フェルミ」など宇宙に関係する高名な科学者の名前をつけている。
欧州宇宙機関(ESA)でも、「ニュートン」「プランク」「ユークリッド」と偉大な科学者の名前を使ってきた。そして先日、ロシアと共同で開発中の火星探査車の名前を「ロザリンド・フランクリン」に決定したと発表した。22カ国から公募で集まった3万6千通以上の中から選ばれた。
このニュースを聞いた時、思わず「ESA偉いっ」とつぶやいてしまった。
ロザリンド・フランクリンはイギリスの女性科学者だ。専門は分子の構造解析をするX線結晶学。大発見の決定的な証拠を見つけ出しながら、その功績を長らく評価されなかった。そればかりか不名誉なレッテルを貼られていた。
生物の教科書には、DNAの「二重らせん構造」は「ジェームズ・ワトソン」と「フランソワ・クリック」に発見されたと書いている。
この二人組はイギリスのケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所にいた。同時期にロザリンドも、ロンドン大学キングズ・カレッジで研究を行っていた。
ロザリンドがX線を使ってDNAの構造を調べていたのに対し、二人組は外部からの情報を基に模型を作り、議論していた。実験は一切していない。
それなのに二人組が正解にたどり着けたのは、ロザリンドの実験写真やデータを不正に手に入れたからだった。
まずロザリンドの同僚の「モーリス・ウィルキンズ」が、本人に無断で実験写真をワトソンに見せてしまった。
後日、ワトソンは自著『二重らせん』にこう書いている。「その写真を観たとたん、私は愕然とし、心臓がドクドクと早鐘を打ちはじめた。そのパターンは(中略)螺旋構造からしか生じないタイプのものだった」
ロザリンドは研究資金をもらっている医学研究会議に、詳細な報告書を提出していた。二人組はこれも手に入れた。クリックの指導教官で会議の委員だった「マックス・ペルーツ」からだった。
「この構造模型が、(中略)ロージーの正確な測定と矛盾しないことが確認できていたからである。もちろん、ロージーが直接われわれにデータをくれたわけではなかった。(中略)そのデータがわれわれのところにあることを知らなかったのだ」とワトソンは語る。ロザリンドのことを陰で、ロージーと呼んでいた。
1953年4月22日のネイチャーに発表されたワトソンとクリックの二人組の論文はたった1ページのもので、何の裏付けも無いただの仮説だった。
何も知らないロザリンドは、同時に掲載された論文の中で、二人組の構造模型は自分の実験結果と一致すると書いている。
1962年、二人組はノーベル生理学・医学賞を受賞した。写真をみせたウィルキンズも一緒だった。しかもその年、データを渡したペルーツもノーベル化学賞を受賞している。
ロザリンドはその4年前に卵巣がんでこの世を去っていた。37歳の若さだった。X線を浴び過ぎたからだとも言われる。
ノーベル賞は生きている人間にしか授与されない。またひとつの分野の受賞者は、最大3人までである。生きていたらロザリンドには授与されていただろうか。様々な意見がある。
ワトソンは「ロザリンド・フランクリンが存命であれば(中略)気まずい状況が生まれていただろう」と語っている。
そもそも「おそらく彼女のデータを盗まなければ、ワトソンとクリックのノーベル賞受賞はなかっただろう」と伝記作家のアンソニー・セラフィニは書いている。
そしてクリックも自著『熱き探求の日々』で「ロザリンド・フランクリンは正解までもうあとわずかというところまで来ていた」と述べている。
これだけではなかった。ロザリンドは、ワトソンが1968年に発表した『二重らせん』で人格をも貶められた。
ロージーはウィルキンズの「助手」、ヒステリックで自分勝手、自分のX線写真を解釈する能力もないと描かれていた。
論文発表当時、ワトソンは25歳。ノーベル賞を獲りに行った男だった。その時の行為を正当化するために、ロザリンドを無能な変人キャラクターに仕立て上げたのだ。
ロザリンドは、既にケンブリッジ大学の博士号を取得していた。炭素の結晶構造分析により、国際的な評価も得ていた。
また、DNAの研究以降も、世界的な結晶学者としてウイルスの構造解析チームを率いた。後にチームからはノーベル賞受賞者も輩出している。
旅と山登りが大好きな快活な女性であった。
『二重らせん』の出版には遺族だけでなく、クリックやウィルキンズも反対しハーバード大学出版部に抗議文を送った。出版は取止めになった。
しかしワトソンは別の出版社を探した。世界的ベストセラーになり、ロージーキャラが広まった。
友人で短編小説家のアン・セイヤーが1974年に『ロザリンド・フランクリンとDNA』を発表したが、男性攻撃が過ぎてロザリンドのイメージ回復には至らなかった。
クリックが『熱き探求の日々』を出版、2000年代に入りウィルキンスも『二重らせん 第三の男』を執筆した。その他にも様々な出版物や映画、演劇によってロザリンドの名誉は回復していった。
ロザリンド・フランクリンが亡くなったのは、1958年4月16日だった。
そして、ロザリンド・フランクリンを載せたロケットが火星に到着するのは、63年後の2021年4月の予定だ。
2019.04.29 や・そね
<参考資料>
書籍
・『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一 講談社現代新書 2007年
・『科学嫌いが日本を滅ぼす 「ネイチャー」「サイエンス」の何を学ぶ
か』竹内薫 新潮選書 2011年
・『ダークレディと呼ばれて ―二重らせん発見とロザリンド・フランクリ
ンの真 実』ブレンダ・マドックス 福岡伸一監訳 鹿田昌美訳
化学同人 2005年 原著2002年
・『二重螺旋 完全版』ジェームズ・D・ワトソン 青木薫訳 新潮社
2015年 原著1968年
・『熱き探求の日々 DNA二重螺旋発見者の記録』フランシスクリック
中村桂子訳 TBSブリタニカ 1989年 原著1988年
・『二重らせん 第三の男』モーリス・ウィルキンズ 長野敬/丸山敬訳
岩波書店 2005年 原著2003年
・『お母さん、ノーベル賞をもらう カガクを愛した14人の素敵な生き
方』 シャロン・バーチュ・マグレイン 中村桂子監訳 中村友子訳
工作舎 1996年
・『35の名著でたどる科学史 科学者はいかに世界を綴ったか』小山慶太
丸善出版 2019年
ポッドキャスト
・ヴォイニッチの科学書 第751回 3月30日号「ESAの火星生命探査車
『ロザリンド・フランクリン』」
WEB
・マイナビニュース 2019/03/01 「火星で生命を探す欧露の探査車、名前
は「ロザリンド・フランクリン」に」
https://news.mynavi.jp/article/20190301-780053/
・ESA (EUROPEAN SPACE AGENCY)ホームページ
「ESA'S MARS ROVER HAS A NAME – ROSALIND FRANKLIN」
http://www.esa.int/Our_Activities/Human_and_Robotic_Exploration/Exploration/ExoMars/ESA_s_Mars_rover_has_a_name_Rosalind_Franklin
・wikipedia「ロザリンド・フランクリン」
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11月号 ヒトの脳は大雑把が得意
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8月号 ネッシーの不在証明
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10月号 群れるメリットが「社会」をつくる。
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