お尻からプルン
オジさんの科学vol.058 2020年10月号
空を飛んでプルン
オジさんのゴルフボールは、様々な場所に棲息域を拡げようとする。木の陰、崖の下、ブッシュそして池の中にまで飛んでいく。池から池へと渡ったりもする。OBゾーンやペナルティーエリアには、たくさんのお仲間が集まっている。まるでなにかの卵のように。
ゴルフボールと違って、魚は飛べない。しかし、山の上に孤立した湖などにも、魚は棲んでいる。魚がどうやって孤立した水域に棲息域を拡げるのかは、長年の謎だ。
今年6月号の「淡水魚密室事件」では、ミズカマキリに付着して発見されたコイの卵の話を取り上げました。ゴルフ場の池から池くらいなら、ミズカマキリにくっついて渡れるかもしれません。しかし山の上の湖にたどり着くには、ミズカマキリでは難しそうです。
これまでに、水鳥の羽や脚に卵が付着して移動する説、魚をくわえた鳥が取り落とす説などがあったようです。でも、これらを証明する証拠はありませんでした。
そこでもっと、効率的な方法はないかと考えた人たちがいました。
ハンガリーのドナウ研究所生態学研究センターの研究チームは、鳥に食べられた魚卵が別の場所で糞と共に排泄される可能性に気がつきました。タンパク質と脂質が豊富な魚卵は、水鳥の好物です。これなら必然的に卵は水鳥によって運ばれるはず。検証結果が今年7月に発表されました。
研究チームは水鳥の代表としてマガモを選びました。そしてコイの卵と、金魚の祖先と言われるギベリオブナの卵を使い、2回の実験を行いました。
各実験では、8羽のマガモに卵を3g(約500個)ずつ食べさせました。マガモの糞を調べたところ、無傷の卵がコイは8個、ギベリオブナでは10個見つかりました。マガモの腸を通過した卵は18/8,000、約0.2%でした。
そのうち12個の卵では、生きた胚が確認できました。しかしその後、9個がカビの仲間である真菌に感染し死亡しました。最終的にコイ1匹、ギベリオブナ2匹が生まれました。研究チームは、自然環境下では水量も多く、生き残る確率は高まると考えているようです。
魚卵が鳥の消化器内で生き残れる確率は低いものの、数は大量にあります。コイの産卵数は1回あたり最大150万個にのぼります。シロカモメ1羽から6万3501個もの魚卵が見つかった例もあるそうです。
魚は、空を飛んで山の上の湖にたどり着いたのかもしれません。
植物の種が、鳥や動物に食べられ糞として排出されることにより、棲息域を広げる方法を「動物被食散布」と呼びます。研究チームは今回の魚卵のケースも動物被食散布と呼んでいます。
クマさんがプルン
動物被食散布の技を使う植物は、多く知られています。
例えばトウガラシのタネは、鳥に食べられて運ばれます。鳥は、カプサイシンの辛さを感じるセンサーをもっていません。一方哺乳類は、辛い物が苦手。辛くなったトウガラシは、遠くまでタネを運んでもらえるようになったと考えられます。
自分で動けない植物にとって、タネで運ばれる時が最初で最後の移動チャンスです。周囲の環境に対応し生息域を変えるには、動物の行動が頼りなのです。
森林総合研究所などの研究チームは、東京都の奥多摩地方においてクマなどの糞から野生のサクラのタネを取り出し、移動状況を調査しました。
そして元々実が生った親木と、糞からタネを採取した場所の標高差を求めました。その結果、ツキノワグマで平均307m、テンで平均193m標高が高いところに散布していることが判りました。
これは、気温がより低いところへ移動することを意味します。つまりクマさんたちは、野生のサクラを温暖化から守っていることになります。
野生のサクラは、春から夏に山の麓から高い場所に向かい実を結んでいきます。クマさんたちが果実を追い求めて移動した結果の現れと考えられます。
ゴルフ場でオジさんたちが斜面の上の方いるのは、打ち込んだボールを探し求めた結果です。
プルンと大脱出
田んぼで水草を食べて暮らしている水生甲虫で、体長数㎜のマメガムシは、カエルに食べられても「ただいまー」とお尻の穴から帰ってくることがわかりました。
今年8月に神戸大学の杉浦真治准教授は、トノサマガエルやアマガエルなどに飲み込まれたマメガムシの90%以上が生還する、と発表しました。
生きて帰るためには、消化される前に出てこなくてはなりません。さらに、消化管を通りぬけても、お尻の穴は括約筋よって閉められています。小さなマメガムシが自力でこじ開けるのは困難です。迫るタイムリミット、鍵がかかった脱出口。マメガムシ、ピンチです。
通常トノサマガエルがエサを飲み込んでから、未消化物を排出するまで、平均50時間かかるそうです。ところがマメガムシは平均1.6時間で出てきました。
マメガムシは水中を活発に泳いで移動します。杉浦准教授は、活発な脚の動きが素早い脱出を可能にしているのではないかと考えました。
これを検証するために、脚をワックスで固めた15匹のマメガムシに、カエルの体内へ潜入してもらいました。しかし1匹も生還できませんでした。
さらに、同じガムシ科で、カエルなどが少ない森の中に棲み、歩いて移動するキベリヒラタガムシも、潜入させました。13匹のキベリヒラタガムシ部隊は、全滅でした。
マメガムシの活発な脚の動きが、生還のカギでした。
捕食者の排便を促して、お尻から生きて脱出する動物は、これまで知られていなかったそうだ。生き残るために、自由を得るために、おなかの中を這い進むのだ。
お尻からでてくる生き物たちは逞しい。予想外のルートを辿ってゴールを目指す。
オジさんのゴルフボールも同じだ。
<参考資料>
プレスリリース
「花咲かクマさん:ツキノワグマは野生のサクラのタネを高い標高へ運んでいた」 森林総合研究所、東京農工大学、総合地球環境学研究所 2016年4月27日
「カエルに食べられてもお尻の穴から生きて脱出する昆虫を発見」 神戸大学 2020年8月4日
論文
Ádám Lovas-Kiss, Orsolya Vincze, Viktor Löki, Felícia Pallér-Kapusi, Béla Halasi-Kovács, Gyula Kovács, View ORCID ProfileAndy J. Green, and View ORCID ProfileBalázs András Lukács
Experimental evidence of dispersal of invasive cyprinid eggs inside migratory waterfowl
PNAS July 7, 2020 117 (27) 15397-15399; first published June 22, 2020
雑誌
Newton 2020年11月号「カエルのお尻から生きたまま脱出する虫」
日経サイエンス 2020年11月号「ヒッチハイクする卵」
書籍
『私の森林研究 鳥のタネまきに注目して』直江将司 さ・ら・え書房
訂正します・・・・。
2020年9月号「チョウが青いわけ、空が青いわけ。」で赤と紫が近い色に見えるのは、赤が紫のほぼ倍の波長をもっているから、と書きました。しかし、これは都市伝説であるとのご指摘を受けました。講談社のブルーバックスを基に書いたものですが、その他に裏付けられる資料を発見できませんでした。間違いである可能性が高いと思われます。申し訳ありませんでした。
一方で、色を認識する視細胞のうち、赤の長い波長に強く反応する錐体細胞が、紫の短い波長にも反応するという説も見受けられます。しかし、これも確証を得ることができませんでした。
したがいまして、現状では、なぜ赤と紫が近い色に見えるのかは不明です。脳内における複雑な認知・情報処理の結果なのかもしれません。明快な理由を発見できた時に、またお伝えします。
や・そね