母ちゃんになった私
「子供は難しいと思います」
20歳の時だったと思う。産婦人科で医師から言われた。
そう言われて、そっか。と少し安堵した記憶がある。
「子供」と接するのは得意ではなかったし、両親とも上手に付き合えてこなかった私には「自分の子供を育てる」ことや、自分も両親のように子供に酷いことをしてしまうかもしれない、それだけは避けたい、そんな風に思っていたからか、結婚や夫婦について考えることはあったけれど、子供がいる生活を想像することはなかった。
彼も「子供がいなくてもいいよ。2人で仲良く暮らそうよ」と笑顔で言ってくれるような人だったので、その言葉に甘え結婚し、新婚生活をスタートさせた。大好きな人と2人で生活するってなんて快適なんだろう。毎日夫の寝顔をのぞき見しては幸せを噛み締めていた。
そんなハッピーオーラ全開の結婚した20代女性に「子供は?」っと聞いてくる人が、私の若い頃にはたくさんいた。むしろ聞かないことは失礼よね! っと思う人もいたと思う。いろんなところで、いろんな人に、知り合いでもない人からも「子供は?」「2人くらいは欲しいよね」とか、笑顔でみんなが聞いてくる。その言葉には一ミリも悪意は感じられず、むしろ楽しみだよねぇって思いがニコニコ顔からバシバシと伝わってきた。子供を生んできた女性達は、キラキラした瞳で迷いもなく私に問いかけてくるのだ。
その問いかけに
「私、子供できない身体なんですよ」
いつも思いっきり明るく返事をして、にっこり笑い返していた。そう返事をされたご婦人達は一瞬、笑顔をひきつらせつつ、「でも、若いから大丈夫よ」なんて言ったり、子宝にいいパワースポットなど身内でもないのに教えてくれた。
私は子供ができないことに寂しい、つらいと思ったことが一度もない。人はさ、いろいろあるのよ。みんなさ、さまざまだから。と、子供を産んで育てることが当り前ってわけじゃないのよ。20代の私はそう思っていた。私の気持ちはナイフ、というか針の先のように尖がっていたのだと思う。子供ができないのなら、自分のやりたいことをたくさん勉強して仕事をしたい。自分の気持ちと大いに向き合おうではないか! っと、マッサージやアロマ、ヨガなど体や心について学びながら、自分で仕事をするようになった。休日は朝まで夫と映画を観たり本を読んだり、旅に出かけたり、そんな風に夫と楽しく過ごし結婚して10年がたった頃、子供ができた。
本当に突然の出来事で「嘘でしょ?」と言ってしまったくらい。ライブ会場で大騒ぎしていた時、めまいと吐き気に襲われて、そういえば微熱が続いていたなぁと、風邪でも引いたのかも、くらいに思っていた。その時すでに自分のお腹に人が入っているなんて思いもしなかった。
結婚して10年間、
大人2人で好き勝手に暮らしてきたのだ。
ここに子供が加わるって、大丈夫なの?
若くもない私に子供が産めるの?
これからもセラピストやアロマ、ヨガのレッスンの仕事も続けていきたい。
2人用一軒家を建てたばかりで、子供部屋のスペースもない。
でも子供は生まれてくる。
自分に育てられるのか? 不安になったりもしたけれど、不安の材料を集めたらすごい量になる。夫はすごく喜んでいて、それを見たらそうだよなぁ嬉しいんだよな、と素直に思い、不安から嬉しいに気持ちを切り替える。我が家に生まれて来てくれる子供のことを思ったら頑張るしかない。不安な気持ちを払拭し、出産子育てを大いに楽しもう! と自分を振るい立てた。夜中まで起きていた生活をあらため、お腹にいる子供のために食事にも気をつけた。
なぜか妊娠中そんなに好きではない苺をものすっごく食べたくなり、怖いくらい食べたこともある。これは、娘が食べたいから食べさせられているんだ! と体を乗っ取られているみたい! っと人体の不思議をリアルに体験した。
手あたり次第、子供に関係する本を買い、子育て中の友達の話を聞いたり、評判のいい厳しい産婦人科で出産することにしたり。とにかく忙しかった。仕事も出産ギリギリまでしていたら、浮腫みがひどくなり、本を読んだら歩くとよいと書いてあったので歩いたらさらに浮腫んだ。え? なんで? 本の通りにしているのに。心配になり病院に行くと
「あなたは歩かないで、寝て過ごしてください」と医師に言われ寝ていたら浮腫みがみるみる取れていった。あぁ~ダイエットも寝て痩せたらどんなにいいだろうとか、余分なことを考えながらも「本に書いてあることがすべての人に当てはまるとは限りません」
と、ちょっと笑って医師が言っていた顔を思い浮かべ、そういえば自分も「人それぞれ」って言っていたな、と思い出す。
出産も私の体にとっては、もの凄く大変な時間だった。「私の命をかけてこの子を産むんだ!」という、まるでドラマのワンシーンのような状態になってしまい、酸素マスクの中でフーフー言いながら自分の気持ちに驚いていた。
生死をかけた出産が終わり、意識が朦朧としていたが、生まれてすぐの娘を抱っこしたら、ようやく会えたという気持ちとともに、可愛いなぁという気持ちで体中が満たされたのを感じ「なんだこの感情はっ!」と、またもや驚いた。
自分はちゃんとした母親になれないよな、子供が可愛いとか思えなかったらどうしようと、頭の片隅にこびりついていた思いに怖くなっていたのだ。その思いは娘を見てはるか彼方に消え去った。産後ハイな私は出産後の処置を受けながら先生に「もう1人産める気がしまっす!」と声高らかに言ったが、
医師からは「2人目はやめてください」と言われ、ギュンっと盛り上がっていた気持ちがスンと下降した。そういえば、私子供産めないって言われてたなぁ、今のこの状態で1人でも産めたって奇跡だよ。あっという間に、現実に引き戻された。
出産後しばらく立てなくなり思うように動けなかったが、私の横で娘は寝ていて育児はじまったぞ! とドキドキし、何度も小さな顔を覗き込む。生きているなぁ、すごいなぁと見つめてばかりいた。
産んだ後の下半身の痛みや、母乳マッサージの激痛で、一睡もできなくなり、出産って拷問じゃん! と言いたかったが、娘が可愛くて、拷問なんて言葉を聞かせちゃいけないと思い、可愛い可愛い。大好き大好き! と娘に言い続け、とっても怪しい人になっていた。
3時間おきに起きて母乳をあげるとき、体に時計が入っているかのように夜中でもすっと起きる。横を見ると暗闇で目を開けてニコニコしている娘がいた。「起きてるー! しかも笑ってるー!」夜中に笑いがこみあげて、娘と一緒に笑う。赤ちゃんってこんな夜中でもニコニコしていて面白い生き物だなっと思った。
夫は仕事で忙しく頼れる場所はなかったのでワンオペ育児で体はしんどかったけれど、いつもニコニコしている娘を見て嬉しい気分になり、私もボサボサな格好でニコニコしていた。そして語りかけ育児がいいらしいよ、と夫に教えてもらう前から、本当にたくさん娘に語りかけていた。「今日はお天気だねぇ」「洗濯物がよく乾くよ」とか。たわいもないことを、毎日毎日たくさん話しかけた。
産後の肥立ちが悪く仕事の復帰が遅れても
娘の母親は私だけなのだ! と、焦りもなく過ごせた理由は娘が可愛くて、この時間を大切に過ごしたいという気持ちが増したせいもある。
もちろん仕事は大好きだったけれど
娘と過ごす時間は私にとって仕事以上に
楽しくて幸せな時間だと、自分の気持ちの変化をしっかり受け入れることにした。
私の産後は髪の毛ごっそり抜けてハゲちらかるし、胸はカチンコチンで何度も乳腺炎になるし、身体中痛いし、眠れないし、ちょっと産後鬱みたいにもなって、まるで自分の身体じゃないみたい! と、身体の変化に驚く日々だった。
泣きながら「つらいのはホルモンバランスのせいだからー!」と夫に吠えたこともある。
子供を産み育てるのは命がけって言うけれど身を持って感じた。
「俺たちパパママって感じじゃないよね? 父ちゃん、母ちゃんと呼んでもらおうよ」
夫の提案に賛成し、はやく娘がおしゃべりできるようにならないかなぁ、と毎日わくわくして話しかける日々が続いた。
娘の育児をしながら、ベビーヨガやキッズヨガ、アロマのチャイルドケアを勉強するようになり、幼児や子供についても学ぶ機会になった。娘のおかげでアロマやヨガのレッスンのメニューが増えたし、練習台として娘にも毎日マッサージをしていた。どんなにイライラしていても、忙しくても、娘のマッサージをすると心がほわっとゆるみストンと落ち着く。赤ちゃんは肌に触れられると、脳のシナプスが増えるし、免疫力も上がるらしい。これは娘のためにも自分のためにもずっと続けたい! そう思い、ハイハイもする前からマッサージをしていたが、その後小学校に通うようになっても「赤ちゃんマッサージして」と娘もお気に入りのスキンシップになっていて嬉しかった。
「かーちゃーんっ!」と、
幼稚園に行くようになると娘はよく泣くようになった。
理由を聞くと、友達が泣いていると悲しくてつられて泣いてしまい、思い出してまた泣いてしまうらしい。よしよしと抱きしめると落ち着くようで毎日何度も抱きしめる。
娘と過ごすうちに、
どんなに遠くにいても娘の声だけは聞こえる能力を持つことができ、ちょっとした超能力者なみに娘のことならどんなことでもわかるようになって、ちょっと怖いと思った。
娘はいつもほんわかしていた。しかし泥団子遊びとかは
「手が汚れるからイヤなの。Aちゃんもイヤだって。だから一緒にブランコ乗ってみんなを眺めていたよ」と大人びたことを言ったり、病院で検査をされるとき、「気持ちの準備ができていないので、お待ちください」と言ったり、まだ4歳くらいなのに自分の意見をしっかり言っていて、私より大人に見えた。いつもにっこりと微笑み、基本ほわわんとしている穏やかな性格の娘。
ぽんやりエピソードはたくさんある。
幼稚園で娘がぽんやり歩いていたら、男の子が水筒を投げて遊んでいた水筒が飛んできて娘の頭にぶつかった。
遠足でぽんやり歩いていたら、男の子が石投げをして遊んでいて、たまたま投げた方向にいた娘の頭に石がぶつかった。
運動場でぽんやりして歩いていたら鉄棒におでこをぶつけた。
娘は幼稚園時代に頭をぶつけまくりで、病院に何度も行くことになる。頭には異常がなかったので本当によかった。
私は小さなころから、大人の顔色を見ては、怒られないように、粗相のないように、とどんなときも気を張って過ごしてきたので、ぽんやりの娘のことを自分とはまったく違う生き物で面白いなぁ! と思っていた。しかし「ぽんやりは危険だからね」と伝え、前や左右をしっかり見て気を付けてねっと何度も言ってみたが、その後もやっぱりぽんやりしていた。そこも可愛いところなんだけれど、いつもそばにいることができないから心配な気持ちはたくさんあったが、こんな気持ちも学びじゃないか! と自分に言い聞かせ、人生の先輩として危険なこと、危ないことも教えるべきことはわかりやすく、何度も口にして伝えて言った。
幼稚園に入れば、母親の皆さんは役員決めや、バザーやお祭りの準備と大忙しになる。
働いているママさんもいて、私も仕事をしていたが融通は利くので、できることはなんでも参加した。
PTAの副会長になったのち、幼稚園の秋祭りでは忍者の服を着て眼鏡をかけ、忍たま乱太郎になり、舞台で親子ヨガをレクチャーしたことがある。
なんだかシュールな光景だったけど娘やもっと小さな年少さんたちが「乱太郎だ……」 と目をキラキラさせている姿に胸がキュンとなった。娘がいなかったら30代中年女性の私が、忍たま乱太郎になることも、ちびっ子たちから尊敬のまなざしで見つめられることもなかっただろう。娘のおかげで心豊かにしてもらっているのだなぁ、有難いことだとしみじみ思った。
娘がいなかったときは、ママ友とかPTAとか、行事が大変そう……無理、絶対無理。そう思っていたが、みんなで協力し合い、年齢も様々な女性達が集まるのは楽しい時間だったし、ママ友も可愛くて優しくて面白い人ばかりで、大変だっ! と思うことは一切なかった。
娘の友達が大勢泊まりにきたときは、朝5時からリビングでハンカチ落としをしたり、一緒に料理やクッキーやケーキを作ったこともある。ビンゴ大会やハロウィンパーティーやクリスマス会やお誕生会と、いつも賑やかな笑い声がリビングから聞こえていた。
娘の友達と料理をしたり話をすると、子供たちの見たことのない一面を見たり、得意なことも知ることができ嬉しい気持ちになった。
子供たちと話をするのも楽しくて、子供から教わることも多く、「子供苦手」意識はすっかりなくなり、子供が大好きになっていったのは嬉しい変化だった。
庭でバーベキューや花火を近所に住んでいる娘の友達と一緒にしたこと、遊園地にプリキュアのショーを観に行って娘が着ぐるみのプリキュアを怖がっていたこと、たくさん旅行に行ったことも、家族でおにぎりを握って公園で食べる時間も、最高に心あたたまる時間を多く過ごすことができた。
休日は映画三昧、ゲーム三昧な夫と二人で過ごしていたときより、確実にアクティブ生活に変化していたし、私って意外とマメな人間かもしれないぞ、といった気づきもあった。
娘は小学校に入学してもぽんやりしていた。はじめてテストを受けた時、
「今日ね、国語のテストをしたの。裏にも問題かなぁ? 書いてあったけど、勝手に問題解いて先生に怒られちゃうからね、表だけ書いたよ」と可愛く笑っていた娘。
「えっと、裏もテストだからやったほうがいい。というか、やるもんだよ」
ちょっとびっくりして言ったら、
「そっか!」っとまた笑っていた。
私よりおおらかというか、なんていうかのんびり屋さんというか……。ほんわかした子っていうのかな。だから勉強とか大丈夫なんだろうか、と心配していたが、「勉強おもしろい」と進んで勉強するようになり、ホッと安心した。
娘が怪我や熱を出したら急いで病院へ行くし、学校でつらい出来事があれば、先生と話し合ったり、仲良くしていたママさんに伝えにくいことも言わなくてはならない。
子供を育てることは、自分も育てている。って聞いたことあるけれど、本当にそそうだなぁ~。娘を育てて何度もそんな風に思った。
子供を産み、育てることなんて
当たり前かもしれないけれど、
私にとっては、
想像していなかった未来だった。
適切な愛情をもらってきていない自分が、
子供を愛し、育てることができるのか?
そんな風に思っていたけれど、自分が経験した環境を反面教師にして生きていけることができた。
それは、娘のおかげだと思っている。
もちろん夫も楽しんで子育てをしてくれたことも大きい。
自分に起きる出来事はどんなことも楽しみたいと思っていたし、子供とは縁がなく、親になる機会がなくてもいいと思っていた。
しかし娘が我が家の一員になり、夫と娘と一緒に楽しく穏やか生活ができる毎日を過ごしたい! 娘にとってカッコいい母親でありたい! と思うように気持ちが変化した。
だから自分ができる精一杯のことを娘にしていきたい、と今も思っている。
私が母親になるのは
娘が初めてで、最後だから。
素敵な可愛いママでも、聡明なお母さんでもないが、めいっぱい愛しておる! つらい時はなんでも頼っておくれっと、暑苦しい母ちゃんでいたい。
「むちゃくちゃ愛してるから!」と、娘が赤ちゃんの頃から今も言い続けている。
私も夫も愛情表現が欧米並み。
我が家は、それでいいのだ。
言葉に出すとチープに聞こえちゃうけれど、言葉に出して愛情を何度も伝えることは大切だと思っている。
トイレでぼうっとしていたとき、
2歳の娘がドアをバーンと明け
「かあちゃんにあいたくてうまれてきたんだよ。ずっとみてたから。かあちゃんのことを」
と言って泣き出したことがある。
いきなりどうした⁉ びっくりしたが、ずっと見てたのかぁ。私に会いたかったのか、と思ったら嬉しくて娘を抱きしめて一緒にトイレで大泣きした。時々思い出し笑ってしまうのだけど、娘との大切な思い出だ。
時々、大きくなった娘の姿を見ると
今も不思議な気持ちになる。
16歳になった娘は今も
「母ちゃん大好き」と抱きついてきて小さな頃の顔を覗かせている。
私が病気になって寝たきりになった時、
「どんな母ちゃんも大好きだから」と言ってくれた娘の顔は一生忘れない。
娘が起立性調節障害になってしまい、通学が困難になった時も、「普通の子みたいに元気じゃなくてごめんね」と泣いた娘を
「何も気にすることはないよ。どんな時も母ちゃんはあなたが大好きで自慢の娘だから。家でしっかり勉強もしていて偉いよ。一緒に過ごす時間が増えて母ちゃん幸せだよ」と娘を抱きしめて言った。
一生懸命に生きている娘のために、何か力になることができたら親として本望だと思っている。
娘は治療をしながらも、学校の行事のため一人で新幹線に乗って遠くまで出かけることも多くなった。日々成長していく娘の姿を、眩しく眺める。親離れをしていくのも、ちょっとさびしいけれど、嬉しい気持ちのほうが大きい。
子育てに正解なんてないから、いつだって手探りで、今もまだ親になってたくさんのことを学んでいる最中だ。
だからいつでもしっかり話し合い、お互いの気持ちを伝え合うことを大切にしている。
いろんなことがあった16年間。
これからもいろいろあると思うけれど今までと変わらずに、どんな時も楽しんで過ごしていきたい。
この先、娘が結婚するか、しないか、子供を産むか、産まないか本人が決めればいい。いつだって困ったときは母親として全力でサポートするから安心してよ。と、伝えてある。
今だったら、結婚したての頃にワクワクと「子供はまだ?」っと声をかけてきた女性達の気持ちもわかる。きっとその人たちは子供がいる生活が楽しいから、思わず聞いてしまったのだろう。
娘が我が家に来てくれたおかげで最高に楽しい家族になった。
「母ちゃん」っと、娘が優しい声で私を呼ぶ時、とっても幸せな気持ちになる。大きくなってたくさんお話ししようね。娘に語りかけていた柔らかな時間を思い出す。
母ちゃんの自分も、
娘から母ちゃんっと呼ばれることも
気に入っている。
母ちゃんになって16歳。
人としても母親としても、
ちょっとは成長している!
っと思いたい。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
心から感謝の気持ちを込めて。
横山小寿々