何かを得る為には、何かを捨てなければならない
冬も終わりに近づき、気付けば卒業式の思い出を回顧していた。
なぜ卒業式は、あんなに儚く悲しいものなのだろうか。長く時間を共にした同志と別れ、新たな場所で新たな人々に出会う。
きっと別れと出逢いの順序が逆なら、卒業式があんなに思い出深いものとはならなかっただろう。
渇望するから手放すのは惜しい。
逆に過剰な状態から、手放すのはむしろ、せいせいすることだろう。
つまり、先に何かを手放す事が重要なのだ。
それで見えてくるものがあるし、それでこそ人間の深みが出るのだ。
手放し枯渇し渇望し苦しむ状態に自らを突き落とすのだ。そうしなければ得られないものがある。
私は2年前、大学を卒業し就職をしなかったことでむこう1年の予定を失った。休みが欲しくて堪らない会社員の方々には分からないと思うが、暇なことほど辛いことはない。私はそんな状態を1年間続けた。
ある日、そんな私に会社の代表取締役に就任する話が転がり込んできたのだ。願ってもないチャンスに無我夢中で飛び付いた。その結果、23歳社会人1年目社長が完成したのだ。
決して私が凄いわけではない。
やるしかなかったのだ。
だが、過去を振り返って思うのは、先に何かを捨てなければ、こんなチャンスは巡ってこなかっただろう。就職して日々の生活が充足している状態では、チャンスが訪れても見逃してしまう。
重要なことは何度でも言おう「何かを得たければ、先に何かを捨てる必要がある」ということだ。
自らを進んで地獄に叩き落とせ。
2023年2月14日