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医師が解説する、空気感染とWHOの新しい定義について


みなさんはじめまして、アメリカで総合内科医として働いている安川康介と申します。YouTubeやX(@kosuke_yasukawa)で主に情報を発信していましたが、長めの文章にした方が伝わりやすいことがたくさんあると思い、noteも利用していくことにしました。

noteでは医学的な情報だけでなく、勉強、仕事やキャリア、英語、米国での生活、育児、僕の興味のあることについてなど、読んでいる方にとって役に立ちそうなことについて書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します(不定期になりますので、もしよろしければフォローしてください)。
 
今回は「空気感染」についてWHOが2024年4月に発表した新しい定義に触れつつ、できるだけ分かりやすく医者目線で解説していきたいと思います。少し長くなってしまいますが、これまでの空気感染に関する議論とWHOの提唱する新しい定義についてしっかり知っておきたいという方は是非読んでみてください。今後何かしらの病原体による空気感染についてのニュースが出てきた時に、正確に情報を吟味できるようになるはずです。
 
「新型コロナウイルスは空気感染する」
「いや、新型コロナウイルスは空気感染ではない」
このような議論が2020年に新型コロナウイルスが流行してから続いていたことは、多くの方が覚えていると思います。なかには「なぜ新型コロナウイルスが空気感染するかしないか、ということですら合意できないのだろうか?」と不思議に思われていた方もいるのではないでしょうか。
 
まず、この混乱の大きな原因の一つは「空気感染をどう定義するべきか」について専門家達の間で意見が分かれていたから、だと言えます。こうした混乱が生じてしまったからこそ、WHOは2021年から3年間もかけて50人以上の専門家達を世界中から集め、議論を重ね、空気感染の定義について合意を形成しようと試みたわけです。
 
残念ながら、新しい病原体によるパンデミックは必ずまたいつか起きます。10年後かもしれませんし、来月かもしれません。その時にまた大きな混乱が生じないためにも、今のうちにこうした情報の整理をしておくことは僕も大切だと感じます。
 
今回の記事では最初に新型コロナウイルスが流行する前に「空気感染」は一般的にどのように定義されていたのかについて説明します。そのあと、特に新型コロナウイルスが流行してから、どのような流れで混乱が生じてしまったのかについてみていきます。少し時間を遡って議論を追った方が、この空気感染に関する問題は理解しやすいと思うからです。そして最後に、2024年4月のWHOの報告書における空気感染の新しい定義について紹介します。
 
それではまず新型コロナウイルスが流行する前に、空気感染がどのように考えられていたのかについてです。
 
長い間、ウイルスや細菌に感染した人から飛び出る粒子によって起こる感染は、大きく「飛沫感染(ひまつかんせん。英語ではdroplet transmission)」と「空気感染(airborne transmission)」の二つに分類されてきました。
 
この二つの感染経路は主に、感染を起こす粒子の大きさが5μm(マイクロメートル)以下か、という粒子の大きさによって分けられてきました[1]。
 
つまり、飛沫感染は「5μmよりも大きな粒子(飛沫)によって起こる感染」そして、空気感染は「5μm以下の小さな粒子である飛沫核(ひまつかく)を吸い込むことで起こる感染」という定義が一般的に受け入れられてきました。飛沫核とは、飛沫から水分が蒸発してできる小さな粒子のことを指します。
 
この大きめの粒子である「飛沫」と、小さい粒子である「飛沫核」を分ける概念は、1930年代から存在しています[2]。

なぜ大きさで分けるのかというと、飛ぶ距離が違うからです。感染者がくしゃみや咳をして、口から飛び出してきた大きなしぶきが、重力によって比較的近いところに落下することはイメージしやすいと思います。また、小さなしぶきは、落下する前に水分が蒸発し、固形成分や病原体が空気中に長く漂い、遠くまで飛ぶことができます。大きな粒子は2メートル以内に落下しやすいことと、経験的にいくつかの病原体による飛沫感染が、感染者から1−2メートル以下の距離で生じやすいことが報告されてきたため、「1−2メートル以内」は飛沫感染の距離の目安として受け入れられてきました[3-5]。
 
それでは「5μm」という数値がどこからきたのかというと、これは何か一つの学術論文が決定したというよりも、5μm以下の小さな粒子が肺の奥に到達しやすいということや、主に結核に関する様々な研究結果などから、経験的に多くの専門家や組織に受け入れられてきた基準だといえます[6-9]。
 
まとめると、「飛沫感染は、5μmよりも大きい粒子による感染であり、感染者から約1−2メートル以内に起きる。空気感染は、5μm以下のとても小さな粒子による感染であり、この小さい粒子は空気の中を浮遊してより遠くの人に感染を起こすことがある」と捉えられていたわけです。
 
こうした捉え方は、感染予防策を考える上で特に大切です。例えば、飛沫感染を起こす病原体(例:ライノウイルスや髄膜炎菌など)に対する医療施設内での予防対策としては、感染者と非感染者の部屋を分けられない場合は、3 フィート(約1メートル)以上距離を離すことがガイドラインで推奨されています[5]。
 
空気感染を起こす病原体として、結核麻疹(はしか)、水痘(水ぼうそう)が有名です。この三つは、医学生ならば「空気感染を起こす病原体」として必ず覚えなければなりません。
 
これらのうち結核の空気感染については古くから研究が行われていました。ある有名な1950年代の研究では、結核病棟から18メートル以上の長さのエアダクト(空気導管)を伝って、結核菌がモルモットに感染することが報告されています[10]。また、結核菌は 5μm 以下の粒子に、感染性を保ったまま存在することもしっかり確認されています[7, 11]。というわけで、結核は典型的な空気感染の例だと言えます。
 
水痘や麻疹の空気感染に関しても、40年以上前から学術的に報告されています。例えば、水痘の感染者から30メートル以上(!)離れていた人が感染した事例があります[12]。麻疹も、感染者から出た粒子が1時間以上空気中に漂い続けて、他の人に感染したことを示唆する事例などが、昔から報告されています[13]。麻疹の感染力は特に高く、米国では2015年にカリフォルニアのディズニーランドを訪れた感染者が、最終的には120人以上に感染を起こしたことが話題になりました[14]。
 
というわけで、空気感染を起こす感染症を患う方が病院へ入院してきた場合、特別な感染対策が取られてきました。まず、感染者から出た小さな粒子が、空気中を漂い病棟の他の方へ感染させてしまう危険があるため、空気が漏れ出さないように感染者には陰圧の個室に入ってもらいます。また、その方を診療する医療従事者は普通のマスクではなく、かなり網目の細かい N95という特別なマスクを装着します。N95マスクは0.1-0.2μm 程度の小さな粒子を95%以上補足するマスクです(ちなみにN95の”N” は Not resistant to oil 、油性の粒子にはあまり効果がないという意味です)。
 
「空気感染」という言葉にあまり馴染みのない方にとっては、「空気を伝わって感染が起これば空気感染では?」と思ってしまうかもしれませんが、僕のような臨床医にとっては空気感染という言葉には特別なイメージがこびりついており、「結核、麻疹、水痘!長距離の感染、陰圧室とN95!」と連想してしまうわけです。
 
さて、ここまで飛沫感染と空気感染のいわゆる従来の定義についてみました。
 
しかし、この感染を起こす粒子のサイズをスパッと5μmで区切って、感染形式をざっくり二つに分けてしまう分類には問題があることは、新型コロナウイルスが流行する何年も前から指摘されていました。
 
例えば、2007年の論文では、60〜100μmの比較的大きな粒子であっても、くしゃみや咳などによって2メートルよりも離れたところに飛んでいくことが報告されています[15]。さらに粒子が飛んでいく距離は、粒子の大きさだけでなく、空気の湿度や排出される時の速度(例えば、くしゃみの方が咳よりも速い)などによっても大きく変わってくるため、粒子のサイズは飛距離に影響する一つの要素にしかすぎません。
 
近年のエアロゾルに関する研究から「5μm以上の大きさの粒子でも、2メートルを超えて飛んで感染を起こすことがある」ということが分かっていて、5μmという区切りを見直すべきだという意見や、粒子のサイズで感染様式を二分する考え方を改めるべきだという意見がありました。
 
例えば、2015年にJones等は、「5μmと2メートル」という粒子の大きさと距離で飛沫感染と空気感染に分ける二項対立的な分類には限界があることを指摘すると同時に、「エアロゾル感染(aerosol transmission)」という用語を使っていくべきだと主張しました(ちなみにエアロゾル感染という言葉自体は、何十年も前から学術論文では用いられていました)[1, 16, 17]。
 
文献によってはエアロゾルの大きさを5-20μm以下の粒子とするものや[17]、100μmまでの粒子と定義する場合もあり、ばらつきがあります。Jones等の論文では「An aerosol is a collection of solid or liquid particles suspended in a gas, such as air. An aerosol may contain particles of any size(エアロゾルは、空気などのガス中に浮遊する固体または液体の粒子の集合体である。エアロゾルには、どのようなサイズの粒子も含みうる)」と書かれています。
 
要するに、粒子のサイズで区切る分類はやめて、粒子のサイズに特にこだわらずエアロゾルによって感染を起こすのであればエアロゾル感染と呼び、それに応じた予防策をしていこうという意見でした。
 
ここまで、感染者から飛び出す粒子による感染は、特に感染予防の観点から長い間「飛沫感染」か「空気感染」で分類されていたこと、この粒子のサイズによる二項対立的な分類には限界があるため、飛沫感染・空気感染とは別に、新しく「エアロゾル感染」という概念を提唱した研究者もいたことを説明しました。
 
さて、ここから新型コロナウイルスが流行してから、どのように混乱が生じてしまったかについてみてみましょう。
 
まず流行初期に、新型コロナウイルスによる感染は飛沫感染が中心だと考えられていたため、WHOや米国のCDCはとにかく1-2メートルの距離を取ることを推奨していました。例えば2020年3月28日のWHOのツイート(下に貼り付けました)には「COVID19 is NOT airborne(COVID19は空気感染しない)」、「mainly transmitted through droplets(主に飛沫によって感染する) 」と書かれ、1メートルの距離をとることが推奨されています。

 
以前からある「空気感染か飛沫感染か」という分類に基づき、飛沫はほとんどが1−2メートルを超えないという考え方から、このような推奨がされていました。話は少し逸れますが、WHOやCDCがとにかく「1−2メートルの距離をとろう!」ということを強調していた流行初期に、日本は国内の感染発生事例を調べ、密閉・密集・密接によって感染が広がることを知り、「3つの密」を避ける対策を打ち出していたことは高く評価されて良いと思います。

特に密閉を回避するということは、空気に滞留する粒子(エアロゾル)による感染を防ぐことが目的と言えるでしょう。こうしたクラスター解析結果から、「多くは咳・くしゃみがなく通常の飛沫感染ではない」ということが報告されていました。これは1−2メートルの距離を取ったら大丈夫、というWHOやCDCの推奨とは一線を画するものでした。
 
新型コロナウイルスが世界各地で広がると、どのような状況で感染が生じるのかについて知見が蓄積していき、感染者から「1−2メートル以内」ではない感染事例が複数報告されるようになりました。例えば、初期の有名な報告としては、中国のレストランで感染者から4.6メートル離れた人が感染した事例や、アメリカのワシントン州で起きた、合唱の練習によってそこにいた大半の人が感染してしまった事例などがあります[18, 19]。2メートル以上離れたところにいても感染した人がいるという報告が増えていったのです[20]。
 
また、いくつもの研究で、病院の空気の中に新型コロナウイルスのRNAが検出されることも報告されました[21, 22]。補足しておくと「空気中にウイルスのRNAが検出された=空気感染が起こる」ということではありません。不活化されたウイルスが空気中に浮いていて、その残骸を検出しているだけの可能性もあるからです。こうした報告のほとんどの場合では、空気中にいるウイルスの感染性は確認できませんでした(確認できても感染者から近距離のサンプル)。しかし、少なくとも特殊な実験室の環境では、空気中に滞留する小さな粒子の中で新型コロナウイルスが数時間感染性を保っていることも報告され、話題となりました[23, 24]。
 
こうした状況の中、「新型コロナウイルスは空気感染だ!」という主張をする研究者が増えていきました。有名な学術論文に掲載された意見のいくつかを下にまとめてみます。
 
2020年10月サイエンス誌:Prather等が、「エアロゾル」と「飛沫(droplet)」は5μmで区切るのではなく100μmで区切るべきだと主張し、100μm以下の粒子(この論文でいうエアロゾル)による感染は空気感染とすることを主張[25]。
2020年11月Clinical Infectious Diseases誌:Morawska等は、新型コロナウイルスは5μmよりも小さい「マイクロ飛沫(Microdroplet)」(それまでの医学雑誌にはあまり出てこない用語)にも感染性を保ったままいると主張し、新型コロナウイルスはマイクロ飛沫感染(microdroplet transmission)≒空気感染を起こす、と主張[26]。
2021年5月ランセット誌:Greenhalgh等は、Prather等の主張と同様に、「エアロゾル」と「飛沫(droplet)」を100μmで分けるべきであり、新型コロナウイルスの主な感染様式は空気感染であると主張[27]。
 
さて、これらを読むと混乱してしまう人がいるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、もともと飛沫感染と空気感染は5μmという粒子のサイズで区切られており、こうした分類には限界があるので、2015年には空気中にある粒子(特にサイズは規定しない)によって起こる感染をエアロゾル感染と呼ぼうと主張した研究者達がいたことは上に説明しました。

流行期には、粒子のサイズを100μmで区切り、それ以下を「エアロゾル感染=空気感染」だと主張する人が増えました。「飛沫感染か空気感染か」という二項を残しつつ、粒子の区切りを変更した分類を提唱していたのです。また5μm以下の粒子を「マイクロ飛沫」と呼ぶ人も出てきてました。
 
さらに混乱に拍車をかけたのが、2020年7月に出されたWHOの新型コロナウイルスの感染に関するScientific Briefでした。この報告書でWHOは「droplets <5μm in diameter are referred to as droplet nuclei or aerosols(径5μm以下の飛沫は飛沫核もしくはエアロゾルと呼ばれる)」と記載し、「エアロゾル感染=空気感染」と読み取れる文章を公表しました。それまでにもエアロゾルを5μm以下の粒子と定義する学術論文はありましたが、そうした定義をWHOがこの時期に採用したことに対して、当時やや意外に感じたことを覚えています。
 
こうして流行期には、「何をもって空気感染とするのか」、「エアロゾル感染とは何か(それは空気感染と同じなのか)」、「エアロゾルの粒子の大きさは何か」、といったことが学術論文や公的組織のウェブサイトによって異なるという状況が生まれていきました。空気感染やエアロゾル感染の定義について、世界で合意形成ができていない状況で、「空気感染だ!」「いや、違う!」という議論がされていて、混乱が深まったとも言えます。
 
新型コロナウイルスの感染に関する数々の論文から、新型コロナウイルスが大体100μm以下のエアロゾルによって2メートル以上離れた人に感染を起こし得る、ということは言えるでしょう。しかし、「空気感染」を古典的な定義である5μm以下の飛沫核によって生じ、結核や水痘のように18メートルや30メートル離れた遠くの人に感染を起こすものと捉えるならば、それを示す確固たる証拠はあまりないように思います。つまり、古典的な定義を採用してきた専門家ならば、新型コロナウイルスを結核と同じ「空気感染する病原体」として括ってしまうことには抵抗があったわけです。一方で、一部の研究者達の主張していたように「空気感染」を 100μm以下のエアロゾルによって生じる2メートル以上離れた人に起こる感染と再定義するならば、新型コロナウイルスは「空気感染」すると言えることになります(この場合、インフルエンザやその他の多くの病原体も「空気感染」すると言えます)。こうした専門家や組織の立場の違いから、空気感染に関しては多くの情報が錯綜してしまいました。
 
さて、ここまでで2024年4月に発表されたWHOの報告書を読んでいく予備知識について整理してきました。
 
上記のような混乱を解消するために、WHOは2021年11月から3年間もかけて、米国CDCや欧州CDCなどの保健機関や多くの研究者達と協議を重ね、苦労してまとめたのが今回の報告書です。日本語のウェブサイトでは「空気感染する病原体に関する用語の案に関するグローバル技術協議報告書」となっていますが、英語では空気感染(airborne)という用語はタイトルにはなく、「pathogens that transmit through the air(空気を介して感染する病原体)」と書かれています。この「Through the air(空気を介した)」という言葉は今回の報告書の大切なキーワードとなっています。
 
まず報告書では、「とっても複雑でセンシティブな議題で、専門家達の意見が分かれていて、合意を形成するのがめちゃくちゃ大変でした(涙)」というようなことが書かれていて、過去の流れを知っている方ならば同情してしまったことでしょう。
 
52ページある報告書ですが、特に大事なところを以下のまとめてみました。

一つずつ説明していきます。
 
まず今回の報告書では、「Through the air transmission(空気を介した感染)」という新しい用語を提唱しています。これは、何を伝わって感染が伝播するのかという「媒体」に着目した用語であり、専門家でも一般の方でも分かりやすい表現になっているように思います。このThrough the air transmissionという表現に関しては、報告書の作成に関わった研究者でも意見が分かれたようです。空気感染という言葉をそのまま再定義するべきだったという研究者や、空気感染という言葉には今までのイメージが染み付いているので逆に混乱を引き起こす懸念があったという研究者もいます
 
そして、今回最も大切な点だと個人的に思うのは、感染を起こす粒子をサイズで区切らない、と明記されていることです。ちなみに感染を起こす粒子は、「感染性呼吸器粒子 (Infectious Respiratory Particles,略して IRPs)」と表現されています。報告書の中では、今まで混乱を招いていた「飛沫」や「エアロゾル」といった用語をあえて使わなかったことが書かれています。
 
少し長くなりますが、以下に英語と日本語訳を載せます。

IRPs exist on a continuous spectrum of sizes, and no single cut off points should be applied to distinguish smaller from larger particles, this allows to move away from the dichotomy of previous terms known as ‘aerosols’ (generally smaller particles) and ‘droplets’ (generally larger particle.

感染性呼吸粒子はさまざまな大きさの連続的な範囲で存在しており、小さい粒子と大きい粒子を区別するための明確な境界線は設定すべきではない。これにより、従来の「エアロゾル」(一般的に小さな粒子)と「飛沫」(一般的に大きな粒子)という二分法から離れることができる。

Global technical consultation report on proposed terminology for pathogens that transmit through the air

 
つまり、今までの粒子をどのサイズで区切るのか(区切らないのか)という議論に終止符を打つと同時に、従来の「飛沫か空気感染か」という分類から脱却することが明記されています。粒子のサイズに関わらず空気を伝わって感染が起きた場合は、「空気を介した感染(Through the air transmission)」と呼ぶことが提唱されたわけです。
 
そして、「空気を介した感染」のサブカテゴリとして、「空気感染/吸入(Airborne transmission/inhalation)」と「直接沈着(Direct Deposition)」という二つの感染様式を設定しています。
 
空気感染/吸入」は、感染者から放出された、空気の流れに乗って移動する粒子や空気に滞留する粒子を誰かが吸入した場合に起きる感染であり、「距離を定めない」としています。これも、今までの「1−2メートル」を目安に区切る分類とは異なります。この距離を問わない吸入感染(inhalation transmission)という表現は、この報告書を作るグループの議長を務めた香港大学のLi氏が2020年に提唱していた概念でもあります[28]。
 
今回の新しい「空気感染/吸入」には、今までの「飛沫感染」や「空気感染」が含まれることになります。この定義に従えば、新型コロナウイルスは「空気感染/吸入」を起こす、となります。さらにこの定義に従えば、かなり多くのウイルスが「空気感染/吸入」を起こす病原体ということになります。
 
直接沈着」とは、感染性呼吸器粒子が、感染者から半弾道軌道(semi-ballistic trajectory)を描いて、口や鼻や目の粘膜に着き、感染を起こすことだと定義されています。これはイメージとしては、今までの「飛沫感染」に近いものです。ただし、今回の直接沈着に関しては、通常「短い距離(short-range)」で感染が生じるということが書かれているだけで、具体的な数値の明記は避けられています。
 
その他、今回の報告書には、それぞれの病原体や状況によって感染予防対策を講じる必要があり、たくさんの病原体を一括りにして一律の対策を行うことは良くないということや、空気を介した感染における換気の重要性などが記載されています。これは、新型コロナ流行初期にWHOが「飛沫感染だから1メートルの距離を」ということだけを強調し過ぎた反省であるようにも受け取れました。
 
さて、今回の報告書を読んで、僕のような臨床医はどう感じたのかについて最後触れておきます。これに関しては多くの医者や研究者で意見が分かれるところかもしれませんのであくまでも参考程度に読んでいただければと思います。
 
まず、粒子のサイズや距離について境界線を設けなかったことによって、今後混乱が生じにくくなるとは思います。感染を起こす粒子の大きさはグラデーションで存在しており、この報告書にもある通り、飛距離や感染を起こすかどうかは粒子の大きさだけでなく、病原体の特性、温度、湿度、重力、放出される速度、放出される量、換気、感染者や暴露される人の免疫状態などによっても変わってきます。
 
新型コロナウイルスに対してだけでなく、病原体やエアロゾルに関する研究が近年進んだこともあり、約100年前から提唱された「飛沫」か「飛沫核」(「飛沫感染」か「空気感染」か)という分類には限界がきていたことも確かです。人類の病原体の伝播に関する知識と理解は常に更新されており、僕たちは今、新たな転換期にいるのだと感じます。WHOによる今回の思い切った提言は、この報告書でも書かれている通り今後の議論や研究のStarting point(出発点)に過ぎず、これからどのような議論が発展し、今回の用語がどれくらい社会や専門家達の間で浸透していくのか気になるところです。
 
概ね肯定的に評価できる一方で、遠距離の空気感染を起こすことが分かっている結核や水痘と、その他のウイルスの伝播を「空気感染」と同じように呼ぶことにはやや抵抗感が残ります。それは僕の脳に染みついた「空気感染」に対するイメージのせいであり、うまく表現できませんが、今まで紫色と読んでいた色を今度からは青色と呼ぶ、というような違和感に近いかもしれません(そういう人のために、吸入感染という言葉が用意されたような気がしてしまいます)。過去には、結核・水痘・麻疹と他の病原体を分けるために、Long-range aerosol transmission(遠距離エアロゾル感染)とShort-range aerosol transmission (近距離エアロゾル感染)という言葉を主張した研究者がいましたが[29]、「空気感染/吸入」を起こす病原体でも、それぞれ違いがあることには、今回のような分類になっても意識的である必要があります。
 
この報告書にも書いてある通り、「空気感染/吸入」を起こす病原体すべてに対して、今まで結核などで使用していた空気感染予防策(N95の装着や陰圧個室管理)をする必要はなく、病原体や状況によって使い分ける必要があります。今後、多くの病原体が「空気感染」するという認識が広がっていく時に、僕たち医療従事者は、それぞれの病原体や状況に応じて、丁寧な情報発信をしていく必要があるように感じます。
 
以上、長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。読んでいただいた方にとって、今回の記事が「空気感染」という少しややこしいトピックの理解の一助になれば幸いです。
 
参考文献
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