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2024/2/11 ただのさよなら
朝は8時過ぎに起床。今日は本来なら石川君たちとアイススケートに行く約束をしていた日。しかし僕のおじいちゃんが亡くなり、僕が葬式に行くことになったので、アイススケートは後日になった。
千鳥橋から電車に乗って、向かったのは神戸の"西代"という駅。
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昨日の夜に石川君から黒のスーツを借りて着ていた。いい加減自分で買わないといけないとしみじみ思うが、なかなかめんどくさくて買いに行かなさそう。
電車の中ではなぜかめちゃくちゃ寒くてずっと凍えていた。弱暖車みたいなやつに乗ってたのかも?しかも朝がいつもより2時間ほど早くて眠たかったので、寝て起きてガクガク震えていた。
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西代に着いて、割と駅からすぐ近くに葬儀場はあった。ちっちゃめの家族葬用の場所、葬儀場の中に入るとばあちゃんはめちゃくちゃ泣いていた。
数日前にこの日記に書いたが、僕にはおじいちゃんが3人いる。今回亡くなったのはお父さんのお母さんの方のばあちゃんの再婚相手で、血は繋がっていない3人目のおじいちゃん。
ばあちゃんは昔からいつも「こんな優しい人はいない!」とよく言っていた。小さい頃の僕からすれば、大人のいう"優しさ"の定義は少し難しくて、せいぜい何か買ってくれたら優しいぐらいのもの。
大人になって、丁寧な人・優しい人・よく人を観ている人、そんな風にじいちゃんをとらえ始めた頃には、もうたまにしか会いに行かなくなっていて、亡くなって悲しい気持ちよりも「全然会いに行けてないのにごめん、葬式だけ来て親族面してごめん」がたくさん溢れた。
前にじいちゃんが死んだ時も同じことを思った。ずっと同じことの繰り返し、反省のない後悔。グジグジ後悔せずにスッキリ泣けるよう、相手のためではなく自分のために、まだ生きているばあちゃんにはちょくちょく会いに行こうと思った。
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葬儀場を出たら火葬場へ。そして火葬場でじいちゃんを焼いている間にガストへ。お父さんとお母さん、弟とばあちゃん、それぞれとゆっくり喋れて楽しかった。
お父さんは豚肉が苦手で、いつものごとく豚を食べたくなさすぎる中メニューを選んでいた。シーフードパスタの写真を指さして「美味しそうやけどこれは豚入ってる気がする」と言っていた。僕がシーフードパスタを食べたのだが、お父さんが指さしていたものは全部アサリだった。
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ガストを出て、火葬場の休憩所でしばらく過ごし、じいちゃんが骨だけになったら骨を拾いに行った。いつ観ても人の焼け跡はゾッとする、生々しく「いなくなったんだな」と感じる。
友達が死んだら、とか、親が死んだら、とかを何度も考えた。僕にとっては「死ぬ」は「2度と会えなくなる」というだけのものというか、考えれば考えるほど"死"というものがよく分からなくなってきて、そんな難しい話じゃないよう思えた。悲しくて寂しいただのさよなら。
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火葬場を出たら、両親の車に乗ってばあちゃんの家へ。じいちゃんを祀る(?)台を作った。ばあちゃんが用意してた遺影がカッコ良すぎてめっちゃ笑った。
小一時間ばあちゃんの家で過ごしたら、ばあちゃんとバイバイをしてもう一度車に乗り込む。そのまま両親がうちまで送ってくれた。
僕とまつりちゃんの家、それから今から始めるお店の雰囲気をちょっと、僕の両親が覗きにきてくれた。
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いらなくなった家電やらオブジェやらをくれて、ゆっくり喋ってから両親は帰って行った。
亡くなったじいちゃんは、あまり詳しくは知らないが血族との繋がりは完全に切れていたらしい。僕は親とも弟ともじいちゃんばあちゃんともかなり仲が良いので、天涯孤独の寂しさや辛さは分からないというか、今自分にある当たり前のものがないというのは想像のしにくい感覚。
なかったら寂しいのかどうかすら分からず、だけど嫌だな〜〜とは思う。仲良くてよかったし、このままいたいな〜と思う。
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家でしばらくのんびり過ごした。店の準備をゆるっと進めつつ、R-1の決勝進出者発表の配信を観ていた。僕らの戦友ウォーリーさん(どくさいスイッチ企画)が準決勝まで行っていたので、ウォーリーさん呼ばれろ!と思いながら配信を観ていた。
ウォーリーさんの名前が呼ばれた時は叫んだ。鳥肌も立ったしちょっと泣けた。
マガユラ大喜利にたくさん来てくれて、僕のイベントにも数十回出てくれてるし、インタビューして記事を書いたこともある。こんなに近しい人が、R-1の決勝というトンデモな舞台に立つとは……。嬉しいし元気が出たし、やるぞ!という気持ちになった。
もうマジで優勝して欲しい。
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夜はウォーリーさんの決勝進出を勝手に祝ってまつりちゃんと一緒に家の近所の焼肉を食べに行った。↑の写真、まつりちゃんがサイクロプスみたいになっててちょっとおもろい。
肉もビールもうまかった。
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そのまま眠くなるまでお店の準備。僕はCDの視聴機を設定していた。今のところそこそこ順調というか、なんとか良い感じに開けれそうで楽しみ。
遅い時間にはシオン君が遊びにきた。音楽の話、人生の話をいっぱいしていた。シオン君も僕にとっては戦友というか、一緒に頑張ってこうな〜〜の仲間。やんややんや言いながらずっと一緒にいれたら良いなと思う。
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色々思ったり考えたりの長い1日だった。毎日こんな風に強く残る時間を過ごしたいなと思う、丁寧に過ごしていく。