1/23 マガユラ大喜利終幕
今日はマガユラ大喜利第100回。2020年9月7日に第1回を行い、「100回やったら終わるから!」と言って毎週月曜日にやっていたマガユラ大喜利の最終回が今日。たまにお休みもあり、ナンバリングをしない特別編とかで大喜利を絡めた変な企画もやったりで、実質115回ぐらいはやってる気がする。さすがに2年以上となると色んなことがあったな〜〜〜ということで、今日の日記はそんなマガユラ大喜利の始まりと出来事と今後の話。
少し自分の話になるが、僕が大喜利というものに触れたのは中学生の頃。リンカーンと言う番組で「激論!朝までそれ正解!」というコーナーがあった。お題に沿ってみんなで同じ回答を狙うと言う企画なのだが、割とみんなめちゃくちゃな回答を出してて面白かった。
中2の時、ヤンキーに荒らされない時間を見計らってクラスのみんなでこの「朝までそれ正解!」をやるのが流行った。最初は3〜4人で始め、徐々に人も増えて他のクラスからも人が集まるようになっていった。本来は同じものを出すのを狙うというやつではあるが、みんな好き放題ボケてたので、当時は"大喜利"という言葉は知らなかったもののやってることはまんま大喜利で、つまりこれが僕にとっての初めての大喜利だった。
ちなみに3~4ヶ月やってたら、ヤンキーに「俺らもまぜろや」「全然おもんないやんけ」「俺ら来たらあかんのか」などと荒らされぶち壊され、そのまま「朝までそれ正解の会」は消滅した。(↓朝までそれ正解の本家)
とはいえ、その中2で一緒に大喜利をやってた友達とはそれ以降も仲良く、一緒に泊まっては朝まで大喜利をやったり漫才のネタを作ったりしていた。M-1が3回とか4回とかの全盛期だったのと、関西っていうのもあるかもしれないけど、中学も高校も「面白いやつこそ正義」みたいな風潮があったので、割と学生時代はお笑いとは密接だったと思う。
それから何年もして、何やかんやあり音楽関連で仕事して行くことになり、2020年の6月からマガユラの2FのBARを僕が仕切るという話になった。せっかくBARをやるし、3Fでのイベントとは別で2Fでも何か週一で店の宣伝になるようなことできないかな〜〜と考えている時、たまたまYouTubeで「大喜る人たち」というのを見つけた。
大喜利か!そういや俺めっちゃ好きやった!しかもこの構図と撮影の仕方、編集簡単やしマガユラの2Fの構造的にこれいけるんじゃない……?ということで、丸パクリすることにした。↓の動画観てもらったらわかるが、まじでマガユラ大喜利の収録方法・編集はこれを丸々パクっている。
思いついたが吉日、音楽関連の知り合いの中で大喜利が上手そうな人を頭の中でだだーっと思い浮かべていく。マガユラスタッフのODAGAWA SHION、2~3回ぐらい会ったことのある葉隠お宮と奴亦准(もう一人はいたけど嫌がられた)にそれぞれに電話をした。当時まだお宮さんともほとんどちゃんと喋ったことはなかったし、ぬまさんに関しては当時僕のことちょっと嫌いだったらしい……。今思うと知らずにアホみたいに連絡してよかった。
「毎週月曜日に大喜利をやるんですけど、レギュラーみたいなメンバーが絶対必要で、その毎週レギュラーって形で来て欲しいんですけど行けますか?」と無茶振りをして、ぬまさんとお宮さんとシオン君は答えてくれた。まじでよく受けてくれたと思う。シマツーはバンドメンバーだったので次会った時に誘った。ハクさんはただの暇そうな常連で、大喜利の"お"の字もわかってなさそうだったが「とりあえず毎週来てください」とだけ伝えていた。まつりちゃんは嫌そうにしながらいてくれた。
さあ明日からマガユラ大喜利の第一回をやるぞ、という日、つまり第一回の前日、近所に住む女の人が一人で飲みに来てくれた。軽く喋ってると「私お笑いみたいなこともちょろっとやってて……」的なことを言ってて、僕は飛びついて「明日から毎週大喜利やるんです、絶対来てください!」と伝えたら、「あぁ、じゃあ行きます」と言ってくれた。これが永久保存ちゃんで、今思うとマガユラ大喜利にとってはこれがかなりデカかった。
保存ちゃんが「なんか近所のBARで大喜利やるらしい」的なことをツイートしてくれたおかげで、ウォーリーさんも飛び込んで来てくれた。まだ大喜利に不慣れな僕らミュージシャン勢とウォーリーさん・保存ちゃんと変な常連のハクさんとで迎えた第一回。自分でも、自分たちでもびっくりするぐらいめちゃくちゃ楽しかった。大喜利ってこんなに面白いのか……と思った。
ライブハウスの大喜利イベントって結構身内で閉じこもりがちになるのだが、第1回、それから第3回に保存ちゃんとウォーリーさんが来てくれたおかげで、僕らの知らなかった"大喜利界隈"という知らない世界から人が来てくれるようになった。また同時に、レギュラーでいる人たちが手堅く面白かったのもマガユラ大喜利のよかったところだったと思う。あと人がいっぱい来るようになったのは、ノーチャージというのが普通に1番大きかったかも。
が、そもそもマガユラ大喜利はコロナ禍から始まったというのもあり、コロナが激化したタイミングだと表立ってできなくなってしまった。ということで、2ヶ月ほどナンバリングなしの変な企画をレギュラーのみで行っていた。変わらないメンツで必死で色々考えてやるのは部活っぽくて面白かった。
↓そのうちの一つ
ややコロナが落ちついてきて、しかしまだマガユラは営業できないという時期。レギュラーだけではなく、一度来たことのある人とその知り合いだけなら来ていいという時期もあった。シャッターをこじ開けてしかマガユラに入れないこのヤバい時期は、いつしか「大喜利ファイトクラブ」と呼ばれるようになり、よく「今ってマガユラはまだファイトクラブですか?」と聞かれるようになった。
月曜が祝日と被るとちょっといつもと違う企画をやったりもした。40回記念の5時間生配信のやつは、マガユラ大喜利の知名度アップにだいぶ繋がった気がする。これもなかなか楽しかった……と今なら思うが、当日はただただ疲れてた。
あとは思い出に残ってるのは紙芝居大会。これ久しぶりに見たけど面白すぎる……。内容もめっちゃいいし、かわしまのニヒルな解説が神がかってる。我ながら編集もきれいし、1番見て欲しいかも。
あと紙芝居大会みた人の中でも知らない人多かったのですが、外伝もありました(地獄)
それからマガユラ大喜利旅行もやった。1話はUPしたのだが、実はHDDが壊れてデータが飛んでしまいまして……。いつかHDDの修理に成功したら続きは投稿する。これめちゃくちゃ面白かったし楽しかったし、編集もかなり凝ってるので観てほしい。
まぁそんなこんなで色々あったけど全部楽しかったし、映像に残すっていいな〜〜としみじみ思う。見返せるって楽しい。そもそも冒頭で書いた通り、側から見てめっちゃ仲良さそうな僕らはマガユラ大喜利始まるまでそんな仲良くなかったし、僕以外のみんなはそもそもお互いに面識すらなかったところから始まってるので、めっちゃいい友達できたな〜〜と思う。
あとは大喜利勢のみんな、ウォーリーさんや保存ちゃんはもちろん、脳髄さんや橋本さん、水山さんや番茶さん、この辺はもう名前上げ始めたらキリがないけど、みんなが「マガユラってとこめっちゃおもろいで」って僕らが知らないところでたくさん話してくれてたんだと思う。ほんまにありがたかった。
(↑サムネのおかげで1番再生数の多い動画)
それからお笑いの人たちとの知り合いができたので、僕らが主催する音楽のイベントに漫才やコントが参入するようになったのもめちゃくちゃでかい。お笑いは大好きだし、ずっとそういうイベントがやってみたかったけどツテがなかったから、これも偶然だけどほんとによかった。
まぁそんなこんなで、僕としてはマガユラ大喜利への思い入れ、成果、苦労、すごい量がある。100回も続けれたこと、全部YouTubeにあげるのを辞めなかったこと、すごい強い経験値だと思ってる。辞めずに続けるって地味に難しいからよかった。
週一で2年と3ヶ月というと、頻度と長さで言えば高校の家庭科部ぐらいになるんかな。うまいこと例えようと思ったけどなんでもなかった。こんなに長いこと一緒に遊んでくれて嬉しかった、付き合ってくれてありがとう、やっぱちょっと寂しいな〜〜〜さようならマガユラ大喜利!!
まぁとはいえちらほら話しているのだが、近々僕はマガユラを抜けて、千鳥橋という町で新しい店を始める。そっちで月一で大喜利をやるのでそこでまたみんなに会えるかなと思う。マガユラ大喜利は終わったけどまた会えるのであれば、また大喜利できるのであれば別にいいか!ちなみにそこからはもう絶対に何がなんでも僕はMC固定にならない、僕も答えたい。一題ごとにランダムでくじ引きでMCとかにするつもり。
バッセンとか一撃とかも行きたいし行くつもりなので、マガユラのことは忘れても僕らのことは忘れないでください!!普通に大喜利会誘って欲しい。
長くなったけど最後にもう一度。マガユラ大喜利、今までありがとうございました皆さんのおかげでした〜〜〜〜終わり!
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