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「Ivory」のこと①

Ivory

とは、2024日7月30日に発売された田所あずささんのアルバムです。全6曲のミニアルバムで、6曲とも自分大木が作詞を任せてもらいました。作詞をした人間の目線から、楽曲ひとつひとつの話をします。

1、ハワイムーヴ

アーティストとして10周年を迎えた田所さんの、マジ歌唱力がないと成り立たない曲。歌詞の意味はそのまま「ハワイみたく近づいてけ数センチ」という意味。田所さん的には高校時代のテニス部のイメージらしい、努力の歌です。

自分が現在、外国語を話せるだとかカラオケ採点で100点が取れる、なんでもいいんですがそういう状態にあるとして、純粋に「努力のみ」で獲得した能力はどれくらいでしょうか。当たり前ですが環境や遺伝など他の要因が無数に考えられるので、「努力のみ」で獲得した能力を測ることはできません。

日に日に隙間やグレーゾーンのない世の中になりつつあることもあって、私たちは生き残るため、神経症的に何かを積み上げることを社会から要請されています。「自己責任」なんていう言葉はまさにそれ。自分の現状は、全面的に自分がベストを尽くしたから、もしくはベストを尽くさなかったからと受け止めるのが弁えた態度のようです。戦前戦後から一億総中流社会に向けて努力至上主義がはびこり、いまだに一大勢力を誇っています。

でもロスジェネ世代になると努力ではどうにもできない部分が可視化され、要領よく「ハック」するような生き方が勢いを得ました。「親ガチャ」みたいな考え方とか、極端なことを言って批判を受けながらも大量に支持を得たりすることがそうです(「ポピュリズム」というやつです)。

「ハワイムーヴ」はなんかそういった文脈とはなるべく離れて、初めて補助輪をはずして自転車に乗れるようになった時のような局所的な「努力」を歌にしたいと思いました。社会から要請された焦りのような努力じゃなくて、生きることのお守りのような努力。

ちゃんと「努力で自分の能力の限界を超えた」と言えることがひとつでもあるのかなって思ったんです。今ひとつ頑張りきれないのが常だから、自分の弱さについて考えるのはマジ超面倒だけど。

演技やアーティスト活動も努力が報われにくいのは確実だろうからこそ、逆に努力だけがお守りです。ここまでやったんだからあとは運だよねっていうところまで持っていきたいとして、それはどこまで頑張ったらいいのでしょうか。レトリックの中のアキレスのように、絶対にカメには追いつけません。今日も明日も一つのセリフや一つのフレーズに魂を込めながら、ハワイみたいに数センチずつ進んでいくしかないのです。

きっとお守りのような努力は、社会から要請される焦りのような努力よりも固い足場になってくれそうだということだけを頼りにやっていきましょう。ハワイムーヴ!と唱えながら何かひとつでもコツコツやれたらいいですね。

2、アイボリー

キラーチューンを目指して作られたアルバムの表題曲。ジョンさんがデモを作った段階で出だしのフレーズ「(秘めた)アイボリー」の部分を思いつきました。その思いつきがこの曲のタイトル、そしてアルバムのタイトルにもなったので、いろんなことが偶然に依っています。歌詞を書く前には独特の緊張感があって、なかなか取り掛れません。永遠に何も思いつかない可能性があるからです。でも割と早い段階で「アイボリー」という言葉が出てきてくれたのでとっかかりができました。ありがとう「アイボリー」

「アイボリー」はまず独特の色。黄身のどろっとした半分命みたいな感じのある、淡い複雑さのある白です。燻んでいるので時間の経過を内包しているような感じがします。

「アイボリー」は象牙。広くとらえて牙としました。ここでも田所さんの愛猫ラジャが思い浮かびます。牙は攻撃や示威に使うもので、尖っています。「まるくなった」という言葉が何か成熟のあり方のように「良い」方向で使われていますが、全部がまるくなれば良いとも思えません。いっそ研いでしまった方が良い部分もあるのでは。

「アイボリー」はピアノの鍵盤。この曲では印象的なピアノが跳ねています。少し気を緩めたら、過剰さでリズムの枠を飛び出していきそうなピアノ。ハラミちゃんさんのピアノは自身でも飼い慣らしきれていないようなうねりを湛えていて、それが聴く人の何かを揺らしているのかもしれません。

サビの最後には「シンプルじゃなくていい、幾億のニュアンスとともに」という部分がありますが、なんかめんどくないですか?「生きることは実はシンプル!」とか「もっとシンプルに考えて、元気出して頑張ろ!」って言って欲しい感じもします。このあたりは「Waver」の頃からのテーマである、複雑さを複雑さのまま抱えておく、という考え方が反映されています。

日々の生活の中で私たちはいろんなことを処理しないといけないので、ある程度型にはめて理解したり判断したりしないとやってられません、しかし実際の人間や物事は、絶え間ない折衝や妥協やニュアンスで溢れています。注釈の注釈に注釈が付くようなことばかりです。

「私以外私じゃない」みたいな言葉もありますが、私の中にも無数の他者がいるような気がします。私の外にも私がいるような気もします(「プライベート・ルーム」)。そんなことをいちいち考えていては何も行動できないので、あるところで切断して行動に移さないといけないのですが、たまには自分の、他者の、あらゆる物事の幾億のニュアンスのことを思い出したいのです。あなたのことを目減りさせず、そっくりそのまま理解してみたい感覚です。

出来上がった歌詞を見てみると、これは誰が書いたんだろうと思うことばかりです。

3、産声はハミング

宇宙誕生のビッグバン、その産声はハミングのような音だったといいます。科学的知識に乏しいのでビッグバンと聞くと「バーーーーーーーン!!!!」みたいな、そばにいたら音だけで肉体が張り裂けてしまいそうな音がしたのではと思ってしまうのですが、なんか実際は人間の耳では聞こえないくらいの低ーい音が「ンーーーーー」みたいな感じだったらしい。

この音が数十万年鳴り響きながら宇宙は膨張、温度は低下し、やっと霧みたいな靄みたいな状態から原子が出来上がったりして「晴れあがり」ました。

この曲の歌詞にはこういった大きな話がちょくちょく出てきます。創世記とか、恐竜とか、何より流れ星としての隕石が主要テーマです。

映画アルマゲドンで主人公のハリーがひとり小惑星に残り、爆発のスイッチを押します。人類は救われ、感動のラスト。人類が救われるのは良いことのようです。でも日常のしんどい朝の通勤や通学、リストラや辛い別れ、生きること老いること病に伏すこと死ぬことの恐怖、にふと隕石の衝突を願ってしまうことはいけないことでしょうか。人類が滅亡するならまあ自分も滅亡してもいいかな……。日本人の超自我(罪悪感や良心の呵責など)は今やすごいレベルに達しているので「そんなことは考えてもいけない」と感じる人もいるかもしれませんが、そんなことを考えた曲です。

構造それ自体によって、かけがえなのないあなたがホモ・エコノミクスとして望ましい行動をとるべき単なる「数」として扱われてしまうとき、そんな世界ならもう滅亡もやむなし!といった具合の曲です。でもそんなことを思いながら、なんか嫌な世の中だなーとか、報われない仕事きついなーみたいに思いながらベッドで眠りにつこうとしている時、衝撃的なことが起こります。

猫がやってきて、毛布を前足で交互に踏んだりして、そのまま潜り込んできたりするのです(夏の日はヘッドボードの隙間に寝転んだりするそうです)。こんなことがあっていいのでしょうか。それはもうこの世の終わりのような衝撃で胸を打ちます。可愛すぎる。もうなんでもいいや、と思います。でもそのなんでもいいやは、隕石の衝突を願うなんでもいいやとは少し違うのです。

どう違うかというと、明日が来たらいいなと思うところです。みなさん、猫を飼いましょう。

残り3曲は「Ivory」のこと②をお待ちください。じゃね

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