卒制終わりました
先週卒業制作の提出を済ませた。5月に制作を始めてから8ヶ月かかり3作品が完了した。最後はかなり大変なことになってしまってので、12月から1月にかけての活動について話していきたい。
11月から始めていたYA組は12/05にはダビングに漕ぎつけた。コロ助の流行が再びやばいやばいと言われ始めたのがこの1週間後。その前に外部の俳優さんのアフレコを終えることができたため大枠順調にダビングを迎えることができた。
写真は日本大学随一の金額が注ぎ込めれている映画学科専用のダビングステージ。日本の大手映画もちろんのこと、世界中の名だたる映画スタジオが愛用するニーヴ社製のアナログミキサーが設置されており、なんとも嬉しいことにこんな最高の機材を1日占領しながら作業を行えてしまう。この機会だけでこの学校に来た意味があるのではと思うこともある。
YA組は順調に終わったものの、他の組は監督が作業を終え切れず私が作業に入れないという事態に陥った。当初の予定から1週間ほどずれ込み作業がスタート。なんとか終わらせようと必死だった私であったが、ここでまさかの事態が起こる。
なんと映画学科内でコロ助感染者が出てしまった。下級生だったということもあり、我々の作業には差し支えないかと思いきや、これまで緩かった学科のコロ助への対応がかなり厳しくなり、体調管理を怠っていたと判断された学生の入校が拒否されることになってしまった。不甲斐ないことに私もその対象に。
もちろんこの1年こんな事態に備え家の作業環境は整えてきた。しかし、いざそういうことになると人間の性だろうか家では気が引きしまらず、全く作業が進まない。家でも効果アフレコをしたが、静かな環境を作るために少しエアコンを切っただけで極寒。作業はかなり遅い。そんな中で目標の日程では完成しなかった。
作業は1月に入っても続いた。例年だと学校が開く三ヶ日明けから締め切りギリギリの学生が学校に押し寄せるのだが、今年は冬休み明けまで学校には入れないという措置が取られる。しかも冬休みが明けるとすぐに提出締切日があるということで学校での作業は諦めざるを得なかったわけで、オンラインで監督に進捗を報告しながら作業を進めた。結果的に提出は間に合ったものの、ダイナミックレンジをとったり、繊細な音の調整ができなかったりと悔しい結果になってしまった。
結果的に合格はもらえた。晴れて卒業できる運びとなった。コロナ禍というものは本当に忌まわしいものだが、最後は自分の力なのだと思う。実際、最後まで学校で作業をできた人間は日々の健康観察などを徹底していたわけだし、その点においてコロナのせいにできない部分がある。それを含めての実力なのだろう。そう感じた卒業制作終盤戦だった。