月収3万の人生失望フリーランスが、1年で月収50万を達成できた話【#いなフリアフター】
こんにちは!こーすけです。
今回は #いなフリアフター という企画の参加記事になります。
企画の詳細はざっくり言うと
いなフリ受講したみんな、今何してるの?
という内容をそれぞれ書き連ねる企画です。
僕自身2020年の3月「田舎フリーランス養成講座 金谷26期」に参加して、そこから1年以上経った今でも関係者とは色々な面でお世話になってます。
そんな背景もあり、せっかくの機会なので自分も参加しようと思い記事執筆にいたりました。
今回の記事は、
いなフリ参加を検討してる人に向けて
「いなフリ受講で人生がどう変わるのか」を伝えます。
もしいなフリ参加を検討してない方も
「1フリーランスの人生を覗き見する」気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
田舎フリーランス養成講座(通称:いなフリ)は
現在「ワークキャリア」という名前に変更されてますが、
今回は自身の思い出補正込みで「いなフリ」という名前で統一させていただきます。
【自己紹介】
【こーすけ@東北フリーランス】
■ Twitter :フォロワー3,000人
■ YouTube :登録者数1,800人
■ 仕事 :ライティング/SNS運用/web系全般
■ 平均月収 :約40万円
■ 最高月収 :558,651円
フリーランス界隈の中では「それなりに頑張ってる方かな?」と自分では思っています。(もちろん自分よりスゴイ人は数え切れないほどいますが!)
こういった僕の発信や実績を見て、今では「直接会いたい」と言ってくれる人も増えてきました。本当にありがたい限りです。
じゃあ最初からこんな成果を出してたの?と言われると、そんなことは決っっっっっっっっっしてありません。
むしろ独立初月は
「絶望」
「不安」
「孤独」
「焦燥」
「迷走」
……などなど、負の感情が支配していました。
というわけであまり振り返りたくないのですが、僕のフリーランスなりたての頃を振り返らせて下さい。
【孤独フリーランスの始まり】
求人広告会社で働いていた僕は「正社員」の働き方に疑問を感じ、半年分の生活費を貯金して2020年1月フリーランスになりました。
フリーランスとして掲げた目標は1つ。
<年内月収50万円>
50万円というのは正社員ではなかなか稼ぎづらい金額だったので、この金額を稼げれば会社を辞めた過去の自分を肯定できると思い、この目標を設定しました。
あと、元々副業で仕事を少ししていたこともあり
まぁ独立してもなんだかんだ仕事は貰えるだろう
と軽〜い気持ちを持っていました。
そんな僕の考えとは裏腹に、そこから始まったのは"孤独と絶望"の日々。
・通るかわからない提案文を出し続ける毎日
・正解がわからないスキル勉強
・徐々に減り続ける貯金
…何よりそんな悩みを誰にも相談できず孤独に戦う環境が最高に絶望でした。
そして迎えたフリーランス1ヶ月目はなんと月収31,900円。月収50万なんて夢のまた夢です。
▼当時の心境を語ったYouTube動画があります(※今は非公開)▼
(内容要約)
フリーランスは孤独です。
僕は大学時代自分の誕生日に男女関係なく10数人が集まってくれていました。
ただ、そんな自分でも「フリーランス」という一歩道を外れただけで
突然仲間がいなくなり誰にも相談することができなくなります。
孤独の何がいけないのか。
「寂しい」とかであればそれはもう我慢すればいいんですよ。
ただ、人間は1人になると「堕落」します。
仕事も私生活も楽な方、楽な方に流れていきます。
人間「1人の意思」はとても脆くて弱いものなんだと痛感した1ヶ月半でした。
この動画を誕生日当日に撮影した自分のメンタルは称賛に値すると勝手に思ってます。自分お疲れ。
ひとまず僕はこの期間で「1人でがんばること」に限界を感じて、人から学ぶためにスクールを探し始めました。
【「1人」に限界を感じていなフリ受講】
フリーランスは全てが自己責任という意識を持っていたので、限界までは1人でがんばろうと思ったのですが僕は1ヶ月で限界を迎えました。早い。
限界を迎えて思ったのが、
・お金は払うから誰かにみっちりサポートしてほしい
・環境を変えて作業するしかない状態にしたい
というところです。
それらを踏まえて僕は合宿型のスクールを検索していました。
数十万円で通える3ヶ月のプログラミングスクール…
海外で開催されるweb制作フリーランス合宿…
様々な合宿型のスクールを探してる中に、「いなフリ」はありました。
無料面談の時に
自分のキャリアを見つめ直せますよ
という言葉に惹かれて参加したことを覚えてます。
「自分は本当にフリーランスになりたかったのか」
「フリーになったとしてどんな仕事がしたいのか」
「その仕事をしつつ自分はどんな人生を送りたいのか」
これについて話したい。実際にフリーランスとして活動してる人の思考に触れたい。(なんならその繋がりで仕事が欲しい。。)
そんな思いのもと、僕は1ヶ月の合宿型スクール「田舎フリーランス養成講座」に参加しました。
…ただ、本来1ヶ月で終わるはずのいなフリが僕は8ヶ月続いたのです。
【僕のいなフリは「8ヶ月」続いた】
▲いなフリ参加初日の僕▲
かなりワクワクしてますね。当時の自分に「お前はこれから8ヶ月東北に帰れなくなる」と伝えたらどんな顔をするのか。
結論から伝えると、僕は金谷26期に参加後30期までいなフリに関わり続けます。
26期:いなフリ受講生
27期:いなフリ講師補佐
28期:いなフリ統括
29期:いなフリメンター兼講師
30期:いなフリが開催されてるコワーキングスペースの住人
僕が参加した26期は2020年3月に開催されたため、ウィルスの影響で関東圏から東北に帰れなくなったという裏事情もありますが、結局僕は5期にわたって様々な形でいなフリに参加していました。
なので、正直言いますと、思い出がありすぎてここでは語りきれないです。。それぞれがとても濃くて、それぞれがとても苦しく、それぞれがとても楽しかった。
また、今回の記事はあくまで「いなフリを受講したこーすけが人生どのように変わったのか?」を主軸にしてるので、断腸の思いですがいなフリの感想は割愛します。
どうしても感想を聞きたいという方は僕のYouTube動画をご覧ください。僕は参加期間中に毎週感想をYouTubeにアップしてたので、今の僕が思い出しながら書くよりもこの動画を見る方がよっぽどリアルな感想を聞けると思います。
なんか当時の自分若いなぁ。
【はれて「東北フリーランス」に】
3月2日にいなフリに参加し、11月10日に帰省。合宿というか、旅行というか、もはや移住体験レベルのロングステイとなりました。
▲帰ってきて安堵する当時の自分▲
そして僕は千葉にいるときからずっと「東北フリーランス」と名乗っていたのですが、この日からようやく東北に拠点を移しての活動が始まったのです。
その日までは千葉にいながら東北フリーランスを名乗っていたので
・東北(出身)フリーランス
・東北(に帰りたい)フリーランス
・東北(が好きなだけの)フリーランス
というようなたくさんの異名を貰えたのも懐かしい思い出。
東北に帰ってきてからは、
地元の方からweb制作の仕事をもらったり、
東北のフリーランス仲間で会食をしたり、
東北で開催されるイベントに参加したり…
8ヶ月にわたるいなフリのおかげで、webスキルはもちろんコミュニケーション能力やフリーランスとしての働き方も心身に刻まれており、それなりに東北でフリーランスとしての活動を広げていきました。
そして迎えた12月…僕は目標にしていた月収50万円を達成できたのです。
この頃にはサブで掲げていた目標である
Twitterフォロワー2,000人
YouTube登録者1,000人
も達成できていました。
1ヶ月目にあれだけ苦しんではいましたが、結果を見たら「あれもいい思い出だったな」と振り返られるようなフリーランス1年目でした。
【いなフリのおかげで僕は】
孤独に耐え続けていた絶望の淵から立ち直り、こうして活動の幅を広げられたのは、紛れもなくいなフリのおかげ……ではなく自分のおかげです。
いなフリ受講を決意したのも自分、期間中にがんばったのも自分、一生懸命仲間を作ったのも自分…
これは「俺がんばったんやぞ」という話を伝えたいのではなく、結局はあなたもあなた自身で人生を変えないといけないということを伝えたいです。
いなフリ受講を検討してる方。いなフリは大きなきっかけになるはずです。ただ、どこまで行っても結局は自分次第。そのいなフリはきっかけに過ぎません。ぜひいなフリという舵を持って自分の船を進めてみて下さい。
いなフリ卒業生の方。今あなたが活躍できているのは、いなフリのおかげでもあるけど、何よりがんばった自分のおかげなはず。過去の自分ががんばったから今の自分がある。いなフリに感謝しつつ、過去の自分に最大の敬愛を送りましょう。
ここは僕のつまらないポリシーですが、
「全ていなフリのおかげです!」みたいなまとめにすると
逆に信憑性も薄く読み手側も浅い印象を受けると思ったので、
少しだけ本音ベースで話しました。
ただ!間違いなくいなフリのおかげで人生が変わったと思えるのは仲間が増えたこと。これは絶対に自分一人では達成できなかった。過去の受講生と運営の株式会社Ponnufの方々が築き上げた「いなフリコミュニティ」に、自分が参加させていただけたことは強く強く強く感謝しています。特に孤独の辛さを知っているからこそ、ここに対して本当に強く価値を感じてる。
冷静に考えて、1年前に卒業したスクール経由で仕事がもらえたり、スクール仲間に夜の話し相手をしてもらえたり、この環境は本当にありがたい。独立初月の自分に「1年後たくさんの仲間ができてるから安心して大丈夫」と伝えておきたい。それくらいに感謝してます。
そして何よりこの「#いなフリアフター」という企画も、いなフリ関連で知り合えて今一緒に仕事をしてるななさまが企画したものであり、
ななさまががんばってるなら自分も記事書こうかな
と思って今記事を書いてる感じです。
こうして「この人のために」という思いのもとで行動を起こせるくらいに、大切な仲間とたくさん知り合えたことは本当にありがたい限り。
今僕は基本的に1人で仕事をしてますが、1人でいたとしても
・何かあった時に頼れる人
・困った時に相談できる人
・他愛もない話しをできる人
が身の回りにいるんだという安心感は他には替えがたいものがあります。
まぁ長々話してますが、今回の
「こーすけはいなフリを受講して人生がどうかわったのか?」
という問いに対する結論は
孤独で潰れかけた自分が、
いなフリを通して仲間ができ、
それが精神的支柱になって
今こうやってフリーランスとして活動できています
というものです。
割と仕事大好き人間に見られがちですが、意外と寂しがりだし人も好きです。いなフリを通して知り合えた方、今も関係を続けてくれてる方、いなフリを継続して下さってる関係者の方、本当にありがとうございます。
本編はここで終了です!
これより下記は僕の思いをつらつら書くだけの内容なので、
興味がある方のみご覧ください。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
【これからに向けて】
僕は今大きい夢を持っています。そのうちYouTubeなどで発表しようと思ってますが、その僕が思い描く夢に対していなフリの事業がすごくマッチしています。
なので今後ともいなフリとは何かしらの形で関わりたいと思いつつも、東北で開催されないかな?とちょっと思ってたり。
もちろんPonnufとしても僕としてもそれぞれの事業の方向性があるので、無理やり開催にこぎつけたり、僕が奔走して一生懸命場を整えたりはしませんが、もし将来機会があるなら東北の開催が実現できたら嬉しいなと思ってました。
また、それとは別に僕は自分の夢を叶えるために僕なりに活動を広げています。その夢を叶えるためにはもっと影響力も必要で、もっと実力も必要です。
そんな自分ががんばっている中で、「いなフリより知名度が上がったら面白いな」なんてことも思ってます。
いなフリ受講生が何かの拍子で僕が受講していたことを知った時に
「"あのこーすけさん"も受講していたの?!」
と言ってもらえるような存在になりたい。
(ここはもうただの妄想です。この目標を実現することで得られるものは僕の承認欲求だけです。)
ただ、そうなることで僕がいなフリに関わる時に、いなフリに対してもより大きく貢献できるのかな?とも思ってます。
「こーすけが講師をするなら参加したい」
「こーすけに教われるなら受けてみたい」
「こーすけと話してみたい」
それくらいの知名度を持てた時に、ようやく大きく恩返しができるかなと。
ここはプロローグ的な部分なので特にまとまりはありませんが、無理やりまとめるなら
いなフリ(現:ワークキャリア)とは今後とも関わりつつも、自分自身受講していた時以上にがんばり、「こーすけが受講してくれて良かった」といなフリ関係者側から言われるくらいの人になりたい
というところです。これは慢心とかではなく、自分のために、お世話になった方のために、自分自身ががんばりたいということです。
うーん、やっぱりここはまとまらないのでここまでにします。結局あとは行動で示すしかないのでね。いなフリアフター、ほかの方の記事もとてもおもしろいのでぜひ見てみて下さい。それでは!
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