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父親の死

前回の記事で16歳の頃に父親を交通事故で亡くしたと書きました。
その時のことを詳細に書こうと思います。

高校2年の夏、僕が塾から帰ってリビングでテレビを見ていると、寝室にいた母親がすごい勢いで部屋から出てきました。
「お父さんが事故をしたって…」
僕たちは慌てて家を飛び出し、警察の指示に従い病院の途中にある事故現場に立ち寄りました。
そこには父親が乗っていた車がトラックに突っ込み、車の正面が完全に潰れていました。
助かっているのか…。
そこで警察の方から父親の荷物を僕が預かりました。
携帯電話にメールの着信があり、知らない女性の名前が表示されていました。
まさかとは思いましたが父親は浮気をしていたのです。
これだけでも僕はショックでしたが、このことは母親にも弟にも見せられないと思い携帯電話だけは僕のポケットにしまい、すぐ病院に向かいました。
すると病院の廊下には父親のものと思われる血が垂れていました。
治療台に横たわる父親。
お医者さんの口から一言「お亡くなりです」
僕たち家族は泣き崩れました。
信じたくなかったです。
こんなことはテレビの世界だけで起こることなんじゃないの?という気持ちでした。

悲しみ続けてるわけにもいかず、葬式の準備が始まりました。
みんないいお父さんだったと泣いてくれています。
僕ももちろん父親のことは好きでした。
小さい頃は電車が大好きだった僕を駅まで連れていってくれて一緒に電車を見たり、高校生になる時に音楽が大好きだからギターを買ってほしいという僕にギターを買ってくれたり。
でも僕は浮気の事実も知っています。
すごく複雑な気持ちでした。
この事実を母親に伝えたら、母親は自殺でもするんじゃないか?弟は中学生だしこのショックに耐えられないんじゃないか?と考えました。
僕は長男だからこの複雑な気持ちは僕だけが抱えておけばいい、そう考えて父親のメールの履歴を全て削除しました。

忌引きの期間を終えると、僕は普段通り学校に戻りました。
その時のクラスのみんなの視線が怖かったので、本当は学校に行きたくなかったです。
でも大学進学を目標に勉強をしていたので、自分の人生を狂わせたくないと思い、普段通り登校しました。
教室に入るとみんなが僕に何と声をかけていいのか分からない様子も伝わりますし、可哀想だと思われてるんだろうなと思うと辛かったです。
そしてそれは担任の先生も同じで、僕に一言も声をかけてくれませんでした。
先生すらもそんな感じなのかと高校生ながら悲しかったことを覚えています。

家庭では父親のいない生活が始まりました。
そんな中、今まで関わってこなかった人たちも現れてくるんです。
母親を宗教に勧誘する人、高価な仏具を売りつけようとする人、そういった人たちに騙されないよう僕は母親を説得していました。

僕は今もすごく心配性で疑い深い性格なのですが、そうなってしまったのも、このような事がきっかけなのかなと思っています。

辛い毎日でしたが父親から買ってもらったギターが唯一の救いでした。
音楽には何度も助けられました。

そして大学受験を迎え、なんとか国立大学に合格することができました。
この辛い経験を乗り越えてきたことは、僕にとってその後の人生の自信となりました。

父親にはショックな気持ちもありますが、もしまた会えるなら上達した僕のギターを聴いてほしいですね。

P.S.
前回の記事で書いたうつ病の彼女と向き合っている中で、「ストレートで行きたい大学に合格し、行きたい会社に就職したあなたに私の気持ちは分からない」と言われたこともあります。
ショックでしたね。
僕の努力を全てへし折られた気持ちになりました。
でもそれをわざわざ主張したくなるくらい、彼女も苦しんでいたことも分かっていたから僕は言い返すこともできず、買っていたワインを一気飲みしてわざとぶっ潰れました。
お酒に逃げるのは危険ですし、良くないですね。
これもまた頭での理解と感情が追いつかなかった一例です。

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