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百花繚乱、紅月夜の新旧を比較する


はじめに


新年早々波乱がありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は波乱の渦中におります、蓮巳敬人担当紅月箱推しPの幸水と申します。
皆様の自衛のために先に宣言しておきますと、私は新生紅月を基本的に肯定している立場にあります。

ですが、ここにおいてはあまりその立場は関係ないつもりでいます。あくまで私の意思としては、ですが。
こちらでは、私の持ちうる素人知識と、誠に勝手な音楽オタクの独断と偏見において、「百花繚乱、紅月夜(2025ver)」と、従来の「百花繚乱、紅月夜」を比較し、恐らく聞きなれている方ほど顕著に感じる「違和感」の理由を探りたいと思っています。
今後は、便宜上、従来の方を「オリジン」、新しく発表されたほうを「2025」と表記させていただきます。

また、この記事では音楽に詳しくない方にも伝わるよう、なるべく簡素に音楽の要素について説明する場合があります。詳しい方から見られれば一笑に付されることかと思いますが、お目こぼしいただけますと幸いです。
浅学ですので、間違いがございましたら手隙の際に訂正いたします。

初聴での気になった点

曲全体に関して、私が2025を初めて聞いてぱっと分かったことは以上です。

・歌詞割りが変わっていること
・歌、楽器の音すべてが新録であること
・新録に伴い、音の質がオリジンとは少し変わっていること
・「ギター」が、かなり主張を増していること

多くの方がどことなく感じる違和感は、やはり歌の新録によるものが大きいでしょう。
これはそれぞれの視聴環境によっても変わってきますが、2025の方は、より、音が中心寄りに鳴っているように思いました。

音楽には「パン振り」という概念があります。簡単に言うなら、どんな音をどの程度の音量で、頭の周りの空間のどこから流すか、という仕組みのことです。
「ライブ音響」や「立体音響」といわれるものは、そういったパン振りやリバーブを駆使して、まるでライブ会場にいるような音をつくっているのです。

オリジンの方では、歌が左右両方の耳から、まっすぐ聞こえてくる印象にあります。
ヘッドホンなどをすると顕著ですが、2025の方は、左右両方から聞こえるのは同じなのですが、より頭の内部、中心に寄って音が鳴っている印象があります。
いままでの、左右両方からまっすぐ入って来る歌声に慣れていると、どこか物足りなく感じるかもしれません。それが漠然とした違和感の一因でもあるでしょう。
もちろんこれは楽器の音についても同様です。録音環境のせいかパン振りのせいかはわかりませんが、全体的に音の鳴り方が、ほんの少しだけマイルドになっています。
録音時期や環境の違いによる歌やボイスの音質の変化についてはこれまでもよくあることです。アイドルルームでボイスを聞いていると、「あ、ここから録音環境が違う…」と思うことはよくあります。

それ以外の懸念材料について

先ほど、「音はそれぞれの視聴環境によって変わる」と強調したのには理由があります。最近のスマートフォンには、音を調整する「イコライザー」が、自動で設定されている場合があります。

イコライザーとは何かと申しますと。「音を、特定の周波数(高さ)ごとに判別し、個別に音量を調整するシステム」のことです。
恐らく、おおよそのイコライザーは自動的に、対応できる用途の広い「自動モード」などに設定されていると思います。

ですが、このモード、音楽鑑賞にはまったくもって向きません。

環境によって状態はそれぞれなため明確なソースは出せないのですが、電話やZoom会議など、人の声をクリアに聞けるように調整されているのではと推測しています。
するとどうなるかと言いますと、楽曲において重要な低音(ベース)も、曲を彩る高音の音も、すべて音量を下げられてしまうのです。

特に、紅月の曲はギターなどの高音も用いながら、ロック調のベースもゴリゴリに鳴っています。リズムをとるドラムの音量も下げられてしまいます。
その状態で曲を聞くのは、曲のすべての魅力を味わえないも同義です。

設定からいじれると思いますので、紅月の曲を聞くときはぜひ低音際立つ「ロック」的なモードか、カスタムでお好みの音質に調整するのがおすすめです。

2025における歌い方の変化について

本題に入ります。
2025の最初の一声を聞いて、「あ、歌い方が違う」と思いました。
細かいところを上げるとキリがないためまとめると、

蓮巳敬人

オリジン:凛としている。清廉、堂々とした佇まいのイメージ。音符の最後まで気を抜かない。語尾には必ずといっていいほど、激うまのビブラートがかかりまくる。歌が上手い。
2025:凛としたイメージはそのままに、歌声の「抜き」のテクニックがアップしている。語頭の発音ははっきりアクセントがあり、抜きは美しく。最初は決めつつ、リラックスして歌っている印象。より表現力が上がった。歌が上手い。

颯馬くん

オリジン:柔らかめの声質で真っ直ぐに伸びる印象。ビブラートがかからない。純粋でかわいい。守りたい。
2025:勢いづいて、活力みなぎる歌声。発声がはっきりとしていて、ビブラートがかけられるようになった。音符の長さのアレンジや、遊びも見られる。成長だ!!

紅郎くん

オリジン:こぶし、しゃくりの音程変化の使い方が見事。でも大きく元の音程からは外れないように気が配られている。鬼龍紅郎のスタンダード、という印象。つよい。
2025:元から得意としていたこぶしやしゃくりの技術が格段に向上。大きな違いとして、「がなり」が各所に入るようになった。かっこいい!

全体的に、歌での表現力と、歌唱力が格段にアップしています。
この曲が書かれた当時より紅月の皆は時を重ねて成長した、そのことが、歌声から肌で感じられます。

特に、蓮巳敬人の「ビブラートが落ち着く」という変化は、彼の歌が好きな私にとっては大きな変化です。オリジンのときは、本当にビブラートがかかりまくっていました。梅原裕一郎、歌がうますぎる。

しかし、ビブラートは、すべてにかければいいというものではありません。なだらかな曲調の場所ではゆっくり、激しいときは力強くかけるものです。

Cメロ、「季節の窓辺を彩り浮かぶ~」の当たりでは、ドラムなどの激しい楽器が減って、最後のサビにむかって楽曲的には「溜め」のターンに入ります。
オリジンでは、Cメロに切り込む蓮巳敬人の堂々とした歌声が、静かな曲の中にとても映えます。
2025では、曲調の変化に伴って、蓮巳敬人のビブラートは優しく控えめになり、のびやかな歌声に変化します。(蓮巳が顕著ですが、他3人でも同じです)

私は彼の激うまビブラートによって沼に落とされていますので、その刺激を求める気持ちもありつつ、2025を聞いて、「これが本来のアーティキュレーション(曲の強弱や表情)だったのか」と気が付きました。

この歌は、夢ノ咲抗争期に書かれた紅月の持ち歌だったことでしょう。
少し自由な歌い方になった2025と比較することで、オリジン側にも新たな発見がありました。
オリジンの百花繚乱では、蓮巳敬人の歌い方の気の張りよう、紅郎くんと颯馬くんの楽譜に厳格な歌い方から決して倒れるまいと君臨しようとした努力が見える気がしました。
私はアニスタで紅月のステージを見たときの、あの絶望にも似た「綺麗だ」「勝てない」という気持ちを新鮮に覚えています。その強さを出すためには、常に気を張っていなければいけなかったのではないでしょうか。

これは、同じ曲で比較しなければ一生気付くことがなかったことなのではないか、と思います。ただの深読みと言われればそれまでですが。

百花繚乱、紅月夜の楽器構成について

さて、「先にあげた「ギター」の話の前に、この曲の楽器の構成について分解してみましょう。
・篠笛
・三味線
・琴
・ギター
・ドラム
・ベース

あたりが主なのではないかと思います。
「三味線」と「琴」が少しわかりにくいかと思いますが、三味線は、最初や、サビの前でかっこよくベンベン鳴っているやつです。
琴はこの曲ではメロディーになることは少なく、コード演奏や装飾音で曲に彩りを足す要因なので、くわしくはパスします。
主に存在感をもって鳴っているのは、三味線と篠笛とギターの三つです。メロディではないですが、実は隠れてベースも大暴れです。

私はもとよりこの主な三つの楽器が、紅月三人それぞれを表す楽器として使われているのではないか、と思っていました。
篠笛=蓮巳敬人
ギター=鬼龍紅郎
三味線=神崎颯馬
の通りです。イメージにもよく合うと思います。

間奏の部分でよくわかるのですが、MVで颯馬くんの剣舞が入るパートは、間奏の中でも三味線が印象的に鳴り始める部分です。
高くのびやかに旋律を奏でる篠笛ははっきりと耳に残り、蓮巳敬人が高らかに歌い上げるときと同じ雰囲気を感じます。
ピュアな音作りで耳に飛び込んでくる激しいギターは、紅郎くんの歌声と、大立ち回りの印象にぴったりです。

追記:記事を書いた当初は笛の種類に自信がなかったのですが、調べを重ねておそらく篠笛だろうと結論が付きましたので、改稿いたしました。

この割り振りが、2025になってどう変化したか

楽器構成は変わっていませんが、2025になって明確に変わったものがあります。それが「ギターの音」です。
オリジンのピュアな音から比べると、エフェクトがかかってより複雑な音になっています。これだけで、かなり音の耳触りが違います。
この変化は、言うまでもなく維吹くんの加入によるものです。

2025で皆さんが驚いた点として、間奏に入る際のギターの「ギューン」という音があると思います。これは「ピッキングハーモニクス」奏法です。
落ち着きかけた曲調の中に突如押し入る激しい音、これが維吹くんの存在を主張する音でなくてなんだというのでしょう。

実際、2025のMVではこちらの音とともに維吹くんと颯馬くんの剣舞が披露されることかと思います。
この剣舞についても賛否両論ありますが、ギターが鳴ってしばらくした後、一度ギターは裏に入って、三味線が躍り出ます。
よく聞くと、ギターがおさまるタイミングで維吹くんは後ろを向き、この三味線が鳴る部分では、颯馬くんがひとりで剣舞を披露しています。
その後はギターも合流して、年下組二人の見せ場が終わります。
私はここについて、楽器の役割とメンバーの役割が合致して、きちんとそれぞれの持ち味を活かした見せ場が組まれているのではないかと考えています。


紅郎くんの「ギター」は、奪われたのか?

さて、前項で、紅郎くんの楽器はギターと述べましたが、それが維吹くんへと受け継がれました。
では、紅郎くんの楽器は何になったのでしょう。
オリジンのころから「大暴れしている」と書いた、「ベース」です。

百花繚乱でのベースの大暴れようは、凄まじいです。
私見ですが、和風を推し出したいユニットの曲であれば、最初からそれ以外の楽器は控え目に書くはずです。
ですが、百花繚乱はオリジンの頃から、ベースが好きなように大暴れしています。

ベースの大暴れ具体例


特に聞こえやすいのが、2番Aメロのベースラインです。
一番のまだまだ品行方正だった音とは違い、リズムアレンジは入り、ちょっとスラップするわ、ビブラートを鳴らすわ、大変に大暴れし、「すごい!かっこいい!」と思わせてくれます。
2番のサビ前では三味線に音を重ね、更に盛り上げてくれます。ベースだけ聞いてみるのも楽しいです。ラスサビでも、リズムを変えて暴れます。最後までチョコたっぷりです。嬉しい。

ですが。これが、2025ではもっともっと大暴れしています。

2025でのベース大暴れ

新録で音の質が変わったことに加え、ベースは紅郎くんの楽器と相成りました。
それによって、本当に、凄まじく暴れています。低音ブーストのスピーカーなどで流してみると振動がものすごいです。

2025では、オリジンでは比較的お利口だった一番からもう飛ばしています。
コードのルート音を弾くだけでは収まらず、ルート音のつなぎ目に小技を入れたり、メロディに追従したり、とても楽しそうです。グリッサンドも多い。羨ましい。

オリジンで「暴れ」が始まった2番のAメロでは、基本はそのままに、小技とアーティキュレーションが増える増える。ベーシストさんも楽しくなって遊んでいます。

そして一番大きな違いが、「ラスサビのベース」です。
オリジンでは、ラスサビではベースは音量を下げて潜り、暴れながらも全体でのバランスとしては控え目になっています。
それが2025では、ラスサビでも、ベースが前へ前へと出ます。やっていることは一緒でも、聞こえ方が違います。
そしてラスサビの「響き渡れ 丁々発止」に入ると、オリジンとは楽譜も変化します。本当に楽しそうに暴れて、音階が上がって盛り上がるのを後押ししているのが、すべてを貫通して聞こえてきます。

2025においてのベースは、紅郎くんの楽器という役割をもらい、確実に変化しているのです。
これまでの一連のことはあくまで私がそう受け取っている、というだけの解釈にすぎませんが、私は少しだけ音楽をかじった身としては、音の変化には何かの意図があると思わずにいられません。

2025ではそれぞれの楽器の音の音量調整も見直されているのですが、琴や三味線がいつでも存在感あるように聞こえます。雅ですね。

おわりに

好きなように書いていたらとんでもない長さになってしまいました。もし飽きずに読んでいただいた方がいるのなら、大変申し訳ない限りです。そしてありがとうございます。
繰り返しますが、私はこの記事においては、この変化による是非の話はしません。
どちらにもどちらの良さが受け取れますし、人は耳慣れたものを好むものです。変化がある以上、賛否両論は当たり前です。

あくまで、あんスタの音楽に魅力を感じている一人として、「オリジンと2025は音楽的にここが違う」という点を列挙したつもりでいます。もし言語化できない違和感に折り合いがつかない方がいらっしゃいましたら、参考にして頂ければと思った次第でございます。
もちろん、わたしが気が付かない点もいくつもあると思いますが、もしまた気が向きましたら、追記いたします。

どうぞよしなに。
これからも良いあんスタライフが待っているよう、界隈の片隅から祈っております。



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