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「櫓太鼓曲弾」の魅力



今年3月5日(日)放送のNHK総合テレビ
「林家正蔵の演芸図鑑」で、
「櫓太鼓曲弾」を勉強させて頂きました。


この2023年お正月3日の新春の寄席中継番組にも出して頂きましたのですが、
持ち時間が3分半でしたのを、
短くてやり足りない分をもう少しこちらでぜひどうぞ、、と
ご丁寧にNHKの演芸プロデューサーさんがお声がけくださり、
再び7分頂いたのでした。

両番組共、何をするかはスタッフの方と共に相談し、
映像を見て頂き、選んで頂きました。

早朝とはいえNHKの全国放送で技術的にとても難曲の「櫓太鼓」を演奏というのも、
私としてもアホか?と思えるチャレンジングな話なのですが、、

番組の名前も「図鑑」なんだし、、
(ヘタな見本があったとしてもしかたないだろう)みたいな妙な自己納得と、

このような難曲はそもそも完成は遠く、
高座百遍(稽古ではなく、高座に100回かけて芸を磨く、とする)必須のものだから、
「2023年1月の記録」ということでちょいとやってみようという気軽さというか…

芸の至らなさはそもそも諦め、前進あるのみの心境、ということであります。


事の起こりは敬愛する故八代目都家歌六師匠です。
噺家さんでありながら、晩年寄席ではのこぎり演奏をされており、SPレコード他音源収集の数もものすごく、落語のみならず音曲も大好きでいらしたので、SPで聴ける明治大正期の音曲師の師匠方の音源をたくさん聴かせて頂きました。
歌六師匠に芸のお話を伺うと、年齢差等々物理的なものはサッと飛び越えて、夢遊されるようにお話が弾み、場がワクワクの喜びに満ちました。先達への畏敬の念に溢れておられたのだと私は感じていました。

たくさん音曲のお話を伺い、音源を聴かせて頂き。。。
「櫓太鼓曲弾」は、
明治期の音曲師、宝集家金之助師匠のお得意のもので、SPレコードの音源をカセットテープに入れていただきました。

金之助師の神業に歌六師と唸りながら、
「これが寄席で聴けたんだから💕(遠い目)
なんとか…ならないかねぇ」のお言葉。

が、しかし、レコードの回転の加減なのか、本当に速いのか(多分キーもさほど高くないので本当に速弾きなのでありましょう)
何しろ速くて速くて、何が起こっているのかさえわからなくて、覚えられもしない。。

すごいなぁ…すごすぎるなぁ…と指をくわえて聴くだけの日々がどれほど続いたでしょうか。
今なら速度をゆっくりにする方法がいくつかありますが…当時それも身近にはなく。


さて。
櫓太鼓、といえば邦楽お好きな方に閃くのは義太夫の「関取千両幟」の櫓太鼓曲弾ではないでしょうか。
(義太夫というのは、文楽、人形浄瑠璃と組んでいる三味線音楽で、お三味線は太棹です。大阪の国立文楽劇場や東京の国立劇場でご覧いただけます)

若い頃に(確か国立劇場での)邦楽演奏会で女流義太夫の「関取千両幟」の櫓太鼓の舞台を拝見していた記憶だけがありました。

(金之助師匠は記録によると義太夫ではなく常磐津の師匠らしいのですが。)



そんな平成のある日。
偶々わたしの長唄の師、杵屋佐之忠先生の演奏会の客席に、女流義太夫三味線奏者の鶴澤寛也師匠を見つけました。
私は大興奮していきなりその場でアタック。自己紹介して
櫓太鼓教えてくださいとお願いしました(異様な猪突ぶり💦)

なんという無茶。。
何故猪突猛進できてしまったのか…もう覚えていません。。


演奏会などで一方的に寛也師を拝見しているだけで、直接の面識は確かなかったはず…なところ

寛也師はお許し下さり。

当たり前ですがいきなり櫓太鼓は無理なので(そのくらい私も分かります)

義太夫三味線の構えからバチの持ち方から基礎を教えて頂くも、
長唄の癖もとれずバチも満足に持てない私に根気よく稽古をつけてくださり、
(同じく三味線といえど、長唄と義太夫ではテニスとラグビーくらい違う感じです。←個人の感想です)

メリ(義太夫では、浄瑠璃のない三味線だけの部分・フレーズを「メリ」というそうです)から、名曲のさわりから、憧れのものをお習いし、

そして義太夫の櫓太鼓の手を教えて頂きました。

更に寛也師には、金之助師匠の音源も一緒に聴いて頂き、何が行われているのか想像していただいたり。

〜〜〜

その後、3人目を出産したりして寄席囃子の仕事と長唄のお稽古だけでまたもや手一杯となり、
義太夫三味線のお稽古は長らく復帰できませんでしたが、
どうしても義太夫が必要な公演の前などにはまた特別に寛也先生に特訓して頂いたりしていました。


近年、前後に小林一茶さまの句をつけてみたりしてなんとか形をつくり、

演奏も、なんとか慣れてきたらご覧頂こうと思いながらも、
果てしない道と亀の歩みの我が身に
全くその日が来ることを想像できていなかった、何の変哲もないいつもどおりの日常

と思って迎えていたこの令和5年弥生。

桃の節句に寛也先生は急逝なされてしまわれたことを、

わたしの櫓太鼓がNHKで放送された日に、
人づてに知りました。


お若いので、

俄には信じられず、
いやいまだに信じられず、


ことを理解できず。

筆も止まったまま3ヶ月経ちました。


師匠方にご恩返しをという目標はあっても、それをいつかできるという妄想さえ抱けない、悔しい恥ずかしい毎日です。



次のステップへ進む道をつくってくださり見届けてくださる師を持ち
師匠方を想うにつけ、身の引き締まる思いで


死んだらご報告することがありすぎて
毎日生きるのに忙しいです。


先生方には叱られること謝らなければならないことだらけなのは既に明白ながら、それでも少しでも成長すべく勉強するのに忙しいです。


一生か、それ以上をかけて、勉強したいことに出会えたのは、本当に幸せなこと、
感謝しかないので

とにかく少しずつ先へ進もう!力をつけよう!と思わずにいられない。

瞼を閉じて映る師匠達のお姿、耳に残る音があることの感謝。


三味線、すごい。
音楽、万歳。



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櫓太鼓曲弾ってなんだろう?という方のために、
単なる「イメージ」ですけど
ご参考まで、2年前の私の公演記録動画があります。

2021年3月3日お江戸両国亭にての
「Waライブ両国亭」より桂小すみ

34分29秒から櫓太鼓です。

https://youtu.be/GnqGKbA325o

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