『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』より宮沢賢治『春と修羅』へ
梯久美子:著『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』は、ある想いを持ってサハリンを目指した作家達の軌跡を辿る旅の記録です。目指すというよりも、その時樺太/サハリンへ行かざるを得なかった作家としてチェーホフ、そして宮沢賢治の道程を追っています。
+
以前、宮沢賢治の詩から連想して「薄明穹(はくめいきゅう)」をテーマに「水琴窟」という鈍色に光る眼の、方舟のような作品を制作しました。賢治の詩には何度か「薄明穹」という言葉が登場しています。月や天体を表したものではないかと言われています。
また、『春と修羅』に「無窮遠(むきゅうゑん)」という言葉があり、天の頂きにある薄明の空間、それと対称的にブラックホールの様な地の底の恐ろしい何か、という印象を抱きました。賢治の中で天上界と、その反対側にある地獄のようなイメージが常にどこかにあったのではないかと思います。
賢治の最愛の妹であり、理解者であったトシの「死後の行き先」について賢治は逡巡します。自分が地獄へ行くのでは無いかと不安がっていた病床のトシ。その臨終の際に、「信仰によりトシが天上の世界へ行けた」という実感を得られなかった賢治。賢治はトシの魂の在りどころを求めて、岩手県花巻から樺太(サガレン)へと旅立ちます。
この旅の心象スケッチである「無声慟哭」「オホーツク挽歌」は、トシを失った悲しみと、果たして妹が成仏できたのかという疑いに押し潰されそうな賢治の苦しみが描かれています。
しかし、道中の旭川や樺太に降り立った賢治の詩には、旅による解放感・明るさが表れていて束の間ほっとします。旅にはふと光がさすように苦しみから解放される時間が訪れるような力があり、「一か所にとどまることができず、ここではないどこか遠い場所へと魂が向かってしまう」と語られる賢治には、必要な道程でもありました。「だが一方で、魔がさすとしか言いようのない瞬間に襲われるのも旅である」とも綴られ、道中、賢治は夜の海でトシの魂を降ろそうと降霊術めいたものを試みたり、まるで自殺者のように他者に見られた自分の姿を詩に残しています。
この『サガレン』を通して見る賢治の旅の軌跡、ゆらぎ、危うい、そして解放されていく賢治の心象に寄り添うことで、詩が入るという感覚がそれまで以上にありました。とても得がたい読書体験でした。
+
岩手出身で短歌を嗜んでいた祖母が、今月に入ってから危篤の状態にあるのですが、きっと宮沢賢治も好きだっただろうなと。年末にコロナに罹り、その時は軽症で済んだのですが、身体には負担と影響があったのでしょう。意識が回復したらこの本の話をしたいなと思っています。