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よなぐにっき①

今、私は与那国島にいる。3ヶ月滞在する。

2025年1月上旬。南西諸島は曇り空が続き強い風が吹く。亜熱帯地域とはいえ、冬はあるようだ。内地の寒さと比べればまだましだが、ヒートテックは必要だったかもしれない。

島へは石垣港からフェリーで移動する。フェリーが出るのは火曜と金曜の週2回、それぞれ1本ずつ。4時間ほど波に揺られる。
後から知った話だが、石垣↔︎与那国間のフェリーは日本一のゲロ船と呼ばれている。トイレにも嘔吐専用の水面台があるほどだ。昨年から船に乗る回数が多いのでだいぶ慣れてはきているが、やはり違った。高速船だと波を飛び越えるジェットコースターに乗った気分になるが、このフェリーは波に船が操られ、波と船と自分が一体化した感覚に陥る。それに委ねれば気持ち良いが、窓の景色が上下左右に動くのを見ると、揺れている現実に引き戻される。

与那国島は石垣島周辺の八重山諸島とも離れている。石垣から飛行機に乗ればすぐだが、フェリーに乗り、荒波に揉まれながら移動した後では、絶海の孤島だと言わざるを得ない。八重山のエメラルドグリーンの浅瀬の海を抜けると、深い瑠璃色が続く。この時期だと雲が多く、遠くの島が見えないせいか、船だけが取り残されたように感じる。

午後、久部良港に着いた。ここ半年間、与那国島へ辿り着くことをゴールに旅路ルートを決めてきたが、着いてしまうと大した感動もなく、意外とあっさりしたものだ。
小学生の時に社会の授業で習った。最北端は択捉島、最南端は沖ノ鳥島、最東端は南鳥島、最西端は与那国島。「この4島の中で、日本人が定住しているのはどこでしょう?ー与那国島」。
人がいて、そこに根付いた暮らしがある。結局のところ、どこ離島も同じ、当たり前のことだ。

島には久部良・祖納・比川の3つの集落がある。久部良は台湾に最も近い、すなわち日本最西端の集落である。とは言っても、台湾が見えるのは、年に数回天候が優れた時だけである。

これから3ヶ月間お世話になる仕事先の職員の方が迎えにきてくれた。他にもその職場で働く何人かが同じフェリーに乗っていたようだ。5.6人いたと思う。私以外みんな男性で、いかにもバックパッカー的見た目の人が多い。東南アジア系の肌の色が濃い人も2人いた。名簿を見ると、女の人も何人かいるようなので安心した。他の人たちは飛行機で来ているのだと思う。祖納集落にある宿舎へ向かう。それぞれの素性が気になるが、長時間のフェリー移動で疲れているせいか、誰も話そうとしない。

久部良から祖納までは一本道だ。道の両側には、クバやアダンの木が生い茂る。3ヶ月前に奄美大島から始まり、与那国島まで南下してきた。南西諸島であれば、植生が似ているので、名前が言える植物が徐々に増えてきた。

途中には空港があり、開かれた広い滑走路が、車窓から見える。ここに来た理由として、昨年の春に観た映画がある。沖縄南西諸島での軍拡を扱った、『戦雲(いくさふむ)』というドキュメンタリー映画だ。有事が起これば、この空港も軍事に使われ、島民はここから飛行機で九州へ逃げる。

普通に人が暮らし、自然豊かな島だが、政治情勢に考えを向けると、なんともいえない気持ちになる。ごく普通の離島であるはずなのに、国家という枠組みの中では「最西端」というレッテルを貼られ、国防の要としての役割を果たすよう強要される。

沖縄と台湾の間にあり、双方の交流の中継地点となったことから独自の文化が発達してきた与那国島。島を歩き、人と話し、仕事をして、限られた期間の中でこの島のことを知っていきたい。

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