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デザイナーに与えられる「お題」と「課題」
デザイナーの使命として「課題解決」という言葉が良く使われているように思う。
顧客の抱えている課題を解決する手段として、Webやグラフィック、UIデザインなどを通して様々な課題解決に努めるというもの。
ごくごく当たり前に使われていて、何の疑問もなく口にする言葉。
これからデザイナーを目指す人達にとっても、「ゴールは課題解決」とSNSやオンラインサロンなどのコミュニティで耳にしているかも知れない。
そんなありふれた言葉となった「課題解決」。
Twitter(現X)などで頻繁に語られるこの魔法の言葉に違和感を感じることがある。
改めて考え直したい。
デザイナーとして「お題」と「課題」を履き違えいてないだろうか。
課題解決とは?
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「デザイン = 課題解決」みたいに話し始めること自体にそもそも違和感がある。
課題に対してデザイン制作を通して解決提案をする事柄を指すと思うが、例えばWebサイトを作ることが本当に最適解なのだろうか。
状況によっては、むしろ作らないという選択肢もあり、手段と目的の逆転現象がたびたび起こっているように見える。
一例を上げるとすると、「コロナ禍において飲食店の集客が非常に難しい」という課題に対して、デザイナーはどう答えるか。
例えばWebサイトを作り新たなサービス開始を呼びかけ、店舗に足を運んでもらおうなどと考える。あるいは新規ランチ営業等のチラシを制作しポスティングを用いた認知拡大の提案や、ノボリやポスター制作によって近隣住民に直接訴えることが出来ると考える。
ではデザイン制作以外に課題を解決する術はないだろうか。
店舗によってはGoogle ビジネスの登録・設定だけでも効果はあるかもしれない。従業員みずからSNSを開始しても良いかもしれない。従業員の手書きPOPでも十分かもしれない。そもそも食べログなどのサービスで十分認知できているかもしれない。
そんな場合にはデザイン制作の提案は費用対効果的にいかがなものか。結果的にむしろ作らないを選択肢として排除できないこともある。
ではなぜ「デザイン = 課題解決」みたいに話し始める人がいるかというと、答えは至極明確で、話し手が制作者だからだ。いわゆるポジショントーク。
(もちろん持っているスキルを駆使してなんとか課題解決に望みたいと思う制作者がほとんどであると信じているし、そもそも制作前提で相談される場合を想定して話し始めるのだろうけど)
課題解決方法はデザイン制作以外にもあるかもしれない。と考えてみる。
Aという飲食店主から、Bという飲食店主や企業経営者あるいは商店街会長などが相談を受けたとしたら、デザイン制作を課題解決の筆頭にするだろうか。
このような文脈で考えると、それはデザイン制作という手段とは違った少し上のレイヤーにある「デザイン思考」などの話になってくる。
目的はあくまで課題解決であり、手段はデザイン制作だけとは限らない。
デザイン思考については数多くの文献などが世に溢れているので興味がある人は調べてみて欲しい。
一例として以下サイトを引用させて頂く。
「お題」と「課題」。
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前段が長くなってしまったが、ある日そんな事を考えてたらモヤモヤしていたのでメモがてらこんなTweetをしてみた。
「お題」と「課題」
— こっしー / whom design (@whom_design) January 18, 2021
お題は与えられるもの
与えられた計算式を解くこと
ある程度答えがある
受験
課題は発見するもの
物事の本質を見極め解決すること
答えを作る必要がある
出題者#雑メモ#深堀り案件
そもそも、普段何気なく使っている「課題」とは何を指すのだろうか。
もしかしたら課題と思っていることの中にお題が含まれているかもしれない。ふとそんな仮説を立ててこのnoteを書くきっかけにした。
それぞれの最後にある単語を少し調整すると、
お題は受験
課題は出題
個人的にはこれがしっくり来た。
他にも良い例えがあるかも知れないけど。
デザイナーの仕事の流れとして、プロマネやディレクターが顧客からヒアリングした内容に対し、仮説を立てられた状態で受け取る事は多い。
〇〇という背景があって、そのための解決手段が〇〇だと思っている。
だから、こういうデザインが欲しい。
これは「お題」である。
ペルソナやトンマナなど制限された情報をビジュアルやUIの最適解として落とし込んでいく。
まさに受験のように、この問を解きなさいという指示が来てから始まり、後に閲覧数やコンバージョン数によって結果が可視化される。
この行為を課題解決と言い切ってしまう人や、そう教える人を時々見かける。冒頭で話した違和感の正体はこれだと思う。これはお題解決。
「課題は出題」と前述したのは、顧客の不安や悩みの奥底にはどんな問題が隠れていて、それを解決するため顧客はもとより自身に対しても出題(仮説立案)し、その最適解を探ることが重要と考えたからだ。
マーケティングという単語が広く認知されてきた背景にはこのような考え方が元にあるからではなかろうか。
仮説立案は何もディレクションする側だけに与えられた特権ではない。
デザイナーであれば誰しもが考えられることであり、与えられた仮説に問題や懸念があるのなら新たな仮説を提案する事ができる。
これは言われたことだけこなす姿勢、つまり受け身ではなかなか身につかない。指示が悪いから良いデザイン(課題解決)が出来ない!と思うことがあるなら、まずはここを見直してみたい。
成果物も自身に対する評価も大きく変わるはず。
お題は一方通行。課題は交差点。
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トップダウンで指示を受け、それを素直に(言われた通りに)こなすことに慣れてしまうと、「課題解決」という言葉の裏には自身に課せられたお題解決を指している場合があるのではないだろうか。
ただ目の前にある道(指示)を前進するだけ。
まるで一方通行であるかのように。
時には立ち止まってみたり、疑問が残るなら今来た道を戻ってみる。
交差点で信号待ちするか、近くの歩道橋を探してみてもいい。
目的地への最短距離を目指すもよし、少し寄り道してお土産を探すもよし。
もしかしたら、より本質的な課題解決方法が他にあるかもしれない、と更に視座を上げてみる。
与えられた指示が100%正しいのか。違うと思うならどうしてか。
その機能を実装するメリットやデメリットを理解できているか。
何より、そのデザイン(制作)によってどんな効果をもたらすのか。
そこまで考えて、初めて課題解決のスタートラインに立てる気がしている。
※全然関係ないけれど「下を向いて歩いていても小銭しか拾えない」と昔父親に言われたことを思い出した。きっと視座を上げろといいたかったのだろうと勝手に解釈している。(他意はなかったかもしれない)