【創作】風のバイオリニスト②(本文:2,035字)
「律音!あなたレッスンをサボって一体何をやっていたの!」
祥子の甲高い声が広いリビングに響いた。律音は黙って俯いたまま祥子の説教を聞いていた。今日自分が何をやっていたか、それを上手く説明できるとは到底思えなかった。
颯太の後について”師匠”と呼ばれる人のところへ行ったのが午後3時過ぎのことだった。それから自宅に戻るまでの約3時間の間に経験したことを、律音はまるで夢のような出来事だと思っていた。
結局、律音は祥子に全てを話さずにただ「友達と遊んでいた」とだけ説明をした。祥子は納得できない顔をしていたが何を言っても「ごめんなさい」と謝るだけの律音に根負けした様子で「次からはちゃんと行くのよ」と言い残し説教を終えたのだった。
夕食を終えた後、律音は一人演奏部屋へと向かった。もともとは大祐がバイオリンを弾くために作られたこの部屋には防音設備が整っていた。大祐がバイオリンをやめてからは主に律音が使っていたが、ここ1年ほどは全く立ち寄ることはなかった。ただ今日だけはどうしてもバイオリンを弾いておきたかった。今日の夢のような出来事を、久しぶりにバイオリンが楽しいと思えた感覚を忘れたくなかった。
譜面台にバルトークのバイオリン協奏曲第2番を置いた。律音が現在レッスンで練習している課題曲だった。不協和音が連続する複雑な性質を持つこの曲は小学生が弾くにはとても難解だった。実際律音も苦手な曲だった。レッスンではいつも先生から注意を受けていた。
「アクセントをもっとはっきりと!」「音の強弱が分かりにくい」などの指導を受けて、それを意識して弾くのだが、これまで一度とて満足して弾けたことはなかった。__今日を除いては。
黒のケースからバイオリンを取り出した。律音は颯太の”師匠”から言われた言葉を頭の中で思い返した。
「お前が音楽をやっていて1番楽しかったことを思い出しながら弾いてみろ」
今日、二度目となる過去の記憶を呼び起こす。昔、家族3人で大祐のバイオリンを聴きながら楽しく笑っていたあの頃の記憶を。
胸のあたりがじんわりと温かくなるのを感じた。
律音はふうと息を吐くと、バイオリンを首元に置いて弓を持つ右腕を上げた。左手を弦に添えて曲を奏で始めた。
アクセントのはっきりした音が演奏部屋に鳴り渡る。弓を持つ律音の右腕が力強く動く。そうかと思えば急激にテンポを落とし優しい音の粒がゆっくりと転がる。その後に続く不協和音の連続もリズミカルに右腕を動かしながら、駆け抜けるように弾いていった。
激しくそして難解な曲を演奏する律音の呼吸は次第に荒くなっていった。ただその表情には笑みがこぼれていた。箇所箇所でミスをして音がズレているのが自分でも分かる。普段なら間違いなく先生に指摘されるだろう。でも今の律音にはそんなこと関係がなかった。
「まずは音を楽しめ。それが音楽だろうが」
”師匠”の声が頭に響く。
大丈夫だ。今、僕は全力で音を楽しめている。
曲は終盤に差し掛かり、左手の指を弦に滑らせてグリッサンドを奏でる。律音は最後まで躍動的にまるで跳ねるような音を鳴らして第一楽章の演奏を終えた。額には汗が滲み、ぜーぜーと肩で呼吸をしていた。それでも律音は笑顔だった。
バイオリンが楽しかった、バイオリンが大好きだったあの頃を思い出して、涙腺が緩んだその時だった。律音の背後から大きく手を叩く音が聴こえた。振り向くとそこには大祐が立っていた。
「ブラーボ!!」
大祐はオーバーに声上げると、拍手をしながら律音の元へと近寄った。律音は慌てて目じりを拭った。
「父さん!いつからいたの?」
「帰宅した時に、かすかにバイオリンの音が聴こえてね。律音のバイオリンを聴くのは久しぶりだと思ってさ、すぐにここに来たんだ。それにしても上手くなったな。とても素敵な演奏だったよ」
そう言うと大祐は律音の頭をくしゃくしゃと撫でた。大祐が律音を褒める時には、いつもこうやって頭を撫でてくれた。久しぶりに頭を撫でられて律音は少し照れ臭くなった。だけど悪い気はしなかった。
「でも……ミスだらけだった。完璧とは程遠い」
「ミスなんて気にするな。まずは音を楽しむことが大切だ。今日の律音の演奏はとても音を楽しんでいたように聴こえたよ」
大祐が律音に微笑む。律音はそんな大祐の顔に懐かしさを感じた。ここ最近は全く見ることはなかった。それどころかバイオリンの話をするのも久しぶりだった。
「そう言えばママからメールがきたよ。レッスン休んだんだって」
大祐の言葉に律音は思わず目を伏せた。大祐は律音の返事を待つことなく話を続けた。
「友達と遊んでいたって聞いたけど、本当は何をしてたんだ」
優しい声で大祐が尋ねる。律音は大祐の方に目を向けた。大祐の顔は変わらず微笑んでいる。大祐になら今日のことを話していいのかもしれない。大祐なら信じてくれるかもしれない、まるで夢のような今日の出来事を。
そう思った律音は颯太と出会ってからのことをポツポツと大祐に話し始めた。
つづく……かもしれない
イラスト:玉三郎さん
文:コッシー
#玉腰コラボ
#勝手に命名すな
🎻🎻🎻🎻🎻🎻🎻
玉三郎さんが描かれたイラストを元に物語を書いております。
最終回はウィーンで師匠の息子と対決をする予定ですが、約5,000字書きましたが物語の中では1日も経っていないどころか肝心の師匠も出てきておりません!!
……えーと、ウィーンまであと何話書かないといけないでしょうか(笑)
ヘッダーは玉三郎さんが描いてくださった主人公の一人『藍澤律音くん(幼少期.Ver)』です。シャツのボタンを上までしめるところに育ちの良さが伺えます。さらにセンター分けと憂いた表情からなんとなく優しい性格なのが分かります。玉三郎さん、完璧でございます。どっからどう見ても律音です。本当にありがとうございます!!
颯太や大祐そして師匠のイラストも見たいので頑張って続きを書いていこうと思います!!
ゆっくりじっくり書いていこうと思いますので、続きを気長に待ってくれると嬉しいです。
そしてそして、玉三郎さん!!!読者賞おめでとうございます!!!
心がじんわりと温まるとても素敵な作品でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?