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【創作】風のバイオリニスト①(3,359文字)
秋と本格的に意識するのはどのタイミングなんだろう。公園のベンチで一人、律音はそこかしこに赤い葉をつけた目の前の大木をぼんやりと眺めながらそう思っていた。
「四季を感じるといい。そうすれば律音の演奏はもっと素晴らしいものになると思うよ」
昔、父親の大祐から言われたことがあった。その時は抽象的過ぎてピンとこなかったが、今ならなんとなく分かる気がした。だけどそんなことを口にしたらきっと先生から鼻で笑われ否定されることは分かっていた。
チラリと腕時計に目をやる。昨年の誕生日に大祐からプレゼントされたクラッシック調のクオーツ時計。律音の年齢の子供にはおよそ不釣り合いなこの時計を律音は気に入っていた。お気に入りの時計はもうすぐ3時を告げようとしていた。
律音は深く溜息を吐くとゆっくりと立ち上がった。横に置いてある黒い樹脂素材の丸型のケースを掴む。ケースの右下には筆記体で『d.aizawa』と記されてあった。
d.aizawa_それは律音の父親である藍澤大佑のことを指していた。律音が小学校に入学する時、このバイオリンを大祐から譲り受けたのだった。
律音は大祐の弾くバイオリンが大好きだった。大祐は律音が赤ん坊の頃から、それこそお腹の中にいる時からバイオリンを聴かせていた。泣きじゃくる律音に大祐のバイオリンを聴かせると不思議と泣き止んでいたと前に母親の翔子が話していた。律音は厳格なクラシックも嫌いではなかったが、大祐が気まぐれに弾く童謡やアニメの曲がお気に入りで特にディズニーの『星に願いを』が大好きだった。
「いいか律音。”音楽”っていうのは音を楽しむことだ。まずは自分が1番楽しまないと聴いてる人には伝わらないと思うな」
即興で自由に音を奏でる大祐をまるで魔法使いのように律音は思っていた。まさに音を楽しんでいる、そんな大祐のような音楽家になりたいと小さな頃の律音は思っていた。だが大祐はバイオリンをやめてしまった。翔子の父親が経営する会社に専念するためだった。
「律音は音楽を楽しみなさい」
そう言って大祐は律音にバイオリンを託した。弱々しく微笑む大祐の顔を律音は今でも覚えていた。
再び時計に目をやると時刻は3時を回っていた。レッスンの開始は3時30分。その15分前には教室に入らねばならなかった。また深い溜息をついて歩き出そうとする律音の後ろからふいに声がかかった。
「お前もバイオリン弾くの?」
驚いて振り向くとそこには一人の少年が立っていた。タンクトップに短パンで両膝に擦り剥き傷が見えるところから、なんとなくやんちゃな印象を受ける。
「お前、5組の藍澤だろ?そのカバンってバイオリンじゃねえの?」
少年は律音が掴んでいる黒のケースを顎で指した。自分の名前を呼ぶ少年の顔には確かに見覚えがあった。同じ小学校の同級生で他の生徒と一緒に賑やかに遊んでいる姿を何度か見たことがあった。春の球技大会ではクラスの中心となって活躍していて女生徒から黄色い声援を受けていたのを覚えている。
「えっと。君は確か1組か2組の」
「若葉、若葉颯太」
「若葉君は何でここに?」
律音の通うバイオリン教室は学区から外れた隣町にある。市内でも有名な音楽教室で律音を担当する先生は名のある音大を卒業したらしい。そんな隣町で同じ学校の生徒と会うのはこれが初めてだった。
「颯太でいいよ。俺は師匠んちに行くところ」
「師匠って、わか…颯太君は何か習い事をしてるの?」
「これだよ。これ」
律音の言葉に颯太は得意気な表情になると、首を傾けて左手を体の前に固定し右手を左右に動かした。その姿はまるでバイオリンを弾いてるように見えた。
「おまえも弾くんだろ?バイオリン」
まさか颯太がバイオリンを弾いているとは思いもよらず、律音は言葉を失った。唖然とする律音をよそに颯太がまた顎でケースを指しながら言った。
「ほら、その手に持ってるカバンってバイオリンだろ?師匠の家で見たことあるもん」
人をみかけで判断してはいけませんと、幼少の頃からいろんな大人に言われてきた律音だが、颯太の見た目からバイオリンを弾いてる姿はとても想像できなかった。浮かない表情をする律音に颯太は「あー、お前信じてないな」とジロリと睨んだ。
「いやそういうわけじゃないんだけど、でもほらバイオリンってそんなに簡単に弾ける楽器じゃないからさ」
”簡単に弾ける楽器じゃない”、そう口にして律音は後悔した。そんな楽器を弾いている自分がいかにも颯太よりも上だと言っているようなものだ。もう昔のようにバイオリンなんて好きでもない自分にそんなこと言える資格はないと思った。しかし颯太は気にも留めない様子であっけらかんとしていた。
「だよなぁ、普通そう思うよな。でも俺の師匠は昔有名なバイオリン弾きだったみたいで、いつも師匠のバイオリンを借りているんだ」
それならばあり得るかもしれないと律音は思った。過去にバイオリニストだった人ならごまんといる。かく言う律音の父親大祐だってそうだったのだ。”元”バイオリニストが気まぐれで子供にバイオリンを教えることならざらにあることだと律音は一人納得していた。そんな律音をよそに颯太は「そうだ!」と急に大きな声をあげて、目を輝かせながら言った。
「藍澤も一緒に師匠のところに行こうぜ!藍澤のバイオリンを聴いてみたいな!」
実は律音も颯太がどんな演奏をするか気になっていた。自分と同世代の演奏はレッスンや発表会などの”かしこまった”場でしか聴いたことがなかった。颯太のような”普通”の小学生がはたしてどんな音を奏でるのか興味はあった。出来れば颯太について行きたかった。しかし現実的にそれは不可能だった。レッスンを休むことは許されなかった。
「ごめん、僕はレッスンがあるから」
そう言って足早に立ち去ろうとする律音の腕を颯太がギュッと掴んだ。
「お前、本当は行きたくないんだろ」
颯太の言葉に律音はギクリとした。図星だった。もうずいぶん前からバイオリン教室は苦痛で仕方なかった。上達するためには我慢しなければならないと分かっていたがバイオリンを弾くことが全く楽しくなかった。
「クラシック以外は聞いてはならない」「ポップスなんて耳が腐るだけだ」「譜面通り正確に弾く」「アレンジなど100年早い」
いつもそう口酸っぱく言ってくる先生だが、律音には「音を楽しんでいる」ようには到底見えなかった。
「ちょっと貸して」
ふいに颯太が律音から黒のケースを奪い取った。返して!と取りつく律音から颯太はケースを抱えたまま距離を取るように走った。公園の奥へと走る颯太を律音は必死で追った。しかし決して運動が得意ではない律音が球技大会でヒーローとなる颯太に追いつけるはずがなかった。
颯太を見失い途方に暮れる律音のところに、遠くからバイオリンの音が聴こえてくる。律音は肩で息をしながら音の元へと急いだ。その音は公園の外れにあるため池の辺りから聴こえてくるようだった。
律音がため池に着くとそこにはバイオリンを演奏する颯太の姿があった。すぐにやめさせようと声をかけようとした律音の耳に懐かしい曲が聴こえてきた。
『星に願いを』だった。
颯太の弾く『星に願いを』は繊細で優しく、それでいてダイナミックで豪快な側面も持ち合わせていた。それはかつて大祐が弾いていた『星に願いを』を彷彿とさせた。
結局、途中で止めることなく演奏を最後まで聴いた律音の目からは涙がとめどなく流れていた。演奏を終えた颯太は泣いている律音に気付くと慌てて駆け寄った。
「ごめん!そんなつもりじゃなかったんだ!」
必死で謝る颯太に律音はかぶりを振って言う。
「違うんだ。颯太君の演奏がまるで父さんが弾いているように感じて。ちょっと昔を思い出しただけなんだ。でもすごいよ颯太君。素晴らしい演奏だった!」
「ありがとな。俺も藍澤の演奏を聴いてみたい」
颯太は真っすぐに律音を見つめて言った。律音にもう迷いはなかった。律音は腕時計を外すとカバンにそっとしまった。
「僕の名前は藍澤律音。律音でいいよ」
「うん、分かった。律音も師匠のところに一緒に行こう!」
そう言って笑う颯太と大きく頷いた律音の間に一陣の風が吹いた。それはまるで二人の出会いを祝福しているようだった。
つづく……かもしれない
#全くのノープラン
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この創作は玉三郎さんが描かれたイラスト(30日の)から発想しました。ちなみに玉三郎さんには全くの無許可です(おい)。
【追記】玉三郎さんが早速主人公の一人『藍澤律音』を描いてくださいました!ありがとうございます!!
こちらの企画にも久々に参加しました。
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