「さいごに何食べたい?」
最後の晩餐、皆さんなら何を食べますか?
こんにちは、コッシーです。
さて、ノー友のくまさんがこんな素敵な企画を立ち上げられました。
くまさんは医療介護業界に従事し日々利用者さんを支援されております。くまさんの記事を読んでいただくとすぐ分かると思いますが、本当にお優しい方で常に利用者目線でいるその姿勢には学ぶべきところが多くあり、記事を読む度に感銘を受けております。
また、くまさんは文章もすごく上手で、その洗練された記事は始まりから終わりまで淀みなく流れるように読めて拝読後にはいつも心地良い気持ちにさせてもらっています。
くまさんのお人柄も文章も大好きで、僕はくまさんの大ファンです。#愛知県屈指のくまラー
そんなくまさんが初めて立ち上げた企画が今回の「さいごに何を食べたい?」です。
企画を立ち上げた詳しい経緯などは是非リンク先を読んでいただきたいのですが、とてもくまさんらしい優しさに溢れた理由だと思いました。僭越ながら僕も参加させていただくことにしました。
割と真剣に考えてみましたので読んでいただけると幸いです。
この「さいごに何を食べたい?」という質問自体はこれまでの人生で何度となくされてきましたが、その都度その場の思いつきやノリで答えており、今回のように時間を掛けて真剣に考えた事はなかったように思えます。
”さいご”を”最期”と捉えるとすると、単純に自分の好物をあげるのはやっぱり違う気がします。最期に食べる物は自分が後悔しない物、または自分が大切に想う人が後悔しない物ではないかと思いました。
その視点で考えると、小さい頃好きだった母親が作る肉じゃがコロッケは死ぬ前にもう一度食べたいと思います。また僕の誕生日に作ってくれていた(ここ何年か作ってもらっていない!)奥さんのレアチーズケーキも食べたいなと思います。
あとは僕の数少ない趣味の一つでもあるローストビーフも死ぬ前に作って食べたいと思いますが、ただ今回僕が選んだ最期に食べたい物はこのいずれでもありません。
何を食べたいかを考えていたら、数年前に亡くなった祖母との思い出が僕の脳裏に浮かびました。そしてその思い出の物を僕は食べたいと思いました。
それが何かを言う前に少し長くなりますが昔の話をさせてください。
僕が小学2年生の時にそれまで離れて暮らしていた父方の祖父と祖母と同居することになりました。
六つ上の姉は既に中学生という多感な時期だったため祖父母に甘える事はそんなにありませんでしたが、僕はもうベタベタに甘えました。
両親が共働きだったこともあり、学校から帰ると毎日祖父母の部屋に行き、お菓子をもらったり小腹が空くとカップ麺や簡単なご飯を作ってもらったりしていました。
その当時、僕はカップ麺の中で金ちゃんヌードルが1番好きでした。ある日、いつものようにカップ麺を作ってもらおうとした僕は祖母に「金ちゃんヌードルがいい!」とリクエストしました。
しかしその日は金ちゃんヌードルは無かったようで、ガッカリする僕を見て祖母はもっとガッカリしていたのを覚えています。
ただその日を境に祖父母の部屋の押し入れには段ボールいっぱいの金ちゃんヌードルが常にストックされました。孫に悲しい思いをさせたくない祖父母の愛を感じます。
そんな孫想いの祖父母が僕は大好きでした。残念ながら祖父は僕が高校生の時に亡くなってしまいましたが、相変わらず祖母の部屋を訪ねてはお菓子やカップ麺をもらっていました。
僕が大学生の頃だったと思います。祖母の物忘れが酷くなってきました。同じ物を何個も買ってしまったり、病院受診日を忘れてしまったり、薬を飲まなかったりと認知症が日に日に進行してきました。
就職も決まり大学卒業も控えていた時に祖母は今で言うグループホームに入居しました。共働きだった両親では徘徊や失禁失便を繰り返す祖母の面倒をみるのは困難でした。
社会人となり働き始めた僕でしたがちょくちょくグループホームへ大好きな祖母に会いに行きました。祖母は僕が行くたびに「よう来てくれたねぇ」くしゃくしゃの笑顔を見せてくれました。
たまに間違えて父の名前で僕を呼び、「ああ、○○ちゃんだったねぇ。おばあちゃんボケてしまったわ(笑)」と笑っていました。その度に「頼むよおばあちゃん。僕のことを忘れないでよ(笑)」と当時は認知症の事なんて全く理解していなかった僕は軽口を叩いていましたが、今になって思うとその言葉は祖母を苦しめていたのかもしれません。
忘れもしない社会人2年目の夏のことです。祖母のグループホームに僕は当時付き合っていた彼女を連れていきました。祖母にお付き合いしていた人を会わせるのはこの時が初めてで、もしかすると結婚を意識しており祖母に会わせたかったのかもしれません。(結局別れましたがw)
いつものように祖母の部屋を訪ねて、「おばあちゃん、元気にしてた?」と声をかけました。祖母から返ってきた言葉に僕は大きなショックを受けました。
「どちら様でしたかね?」
真顔でそう答える祖母が冗談を言っているとはとても思えませんでしたが、初めて祖母に会う彼女を驚かせてはいけないと思い、「冗談やめてよ、おばあちゃん!酷いなぁ僕だよ僕(笑)」とわざとお道化て言いました。いつものようにちょっと間違えただけかもしれないと期待をしましたが、現実は残酷でした。
「お部屋をお間違えではないですかね?」「私はあなたのおばあちゃんじゃないですよ」
施設のスタッフさんが「お孫さんですよ」と何度も説明をしてくれましたが、その日祖母が僕の事を思い出すことはなく、とても残念な気持ちで施設を後にしました。
その日たまたま僕を忘れてしまっただけかもしれないと、少し日を置いてから今度は1人で再び祖母に会いに行きましたが、この時も僕の事は覚えておらず、「どちら様でしたかね?私はあなたのおばあちゃんじゃないですよ」と前回と同じことを言われました。
決して祖母が悪いわけではなく、認知症とはそういう病気なんだと今の僕なら思えますが、当時の僕はそれが理解できませんでした。
「おばあちゃんは僕を忘れてしまったんだ…おばあちゃんの中では僕はもう他人なんだ…」
そう思ってしまった僕は祖母に会いに行くことをやめてしまいました。
祖母に会わなくなり、僕が祖母の様子を知るのはたまに母親から話を聞くくらいでした。母親の話では祖母の認知症はますます進行しているようでした。
その話を聞く度に僕の祖母に会いに行く気持ちはますます薄れていきました。
僕が祖母に会わなくなってから数年後のことでした。祖母はグループホームで急変し病院に救急搬送されました。「もう危ないかもしれない」と母親から連絡をもらった僕は仕事の都合をつけて病院へ向かいました。
祖母はベッド上で何本か管を繋がれている状態で意識のないまま寝ていました。当然声をかけても返事はありませんでした。
それが僕の見た最期の祖母の姿でした。祖母はそのまま病院で息を引き取りました。
大好きだった祖母の死は本当にショックで悲しくはありましたが、晩年の祖母を想うと正直安堵する気持ちも少なからずありました。
認知症が進行し問題行動したり、いろんな事忘れていく祖母の話を聞く度に大好きなおばあちゃんが壊れていくようで、僕はいたたまれない気持ちになっていました。
それは僕だけではなく家族みんな同じ気持ちだったと思います。大好きだった優しい昔の祖母を知っている人ほど晩年の祖母とのギャップに苦しんでいました。認知症は本当に残酷な病気だと思います。
祖母の葬儀はしめやかに執り行われました。本当に面倒見の良い人だったので多くの方が参列してくださり、そして涙してくれました。
葬儀も終わり落ち着いた頃、祖母の遺品を整理しているとグループホームの祖母の荷物から段ボールいっぱいの金ちゃんヌードルを発見しました。
「施設のスタッフさんから聞いたけど、買い物に行く度にこれを買ってたらしいの。部屋にあるって言っても言う事を聞かずに買っていたみたい。やっぱりボケちゃってたのかな(笑)」
そう言って母親は笑ってましたが、僕は…僕だけは祖母が金ちゃんヌードルを買物に行く度に買っていた理由を分かっていました。
僕が金ちゃんヌードルがなくてガッカリしないように、いつでも僕が金ちゃんヌードルを食べれるように買ってくれていたんだと思います。
祖母は僕の事を忘れてはいなかったのです。
母親からこの話を聞いた時、自分の過ちと祖母に対する申し訳なさとそして二度と祖母に会えない悲しさで僕は涙が止まりませんでした。
心の底から時間が戻って欲しいと願いましたし、祖母に会いに行くのをやめたのを大きく後悔したのでした。
あれから何度か金ちゃんヌードルは食べましたがその度に祖母を思い出します。そしてあの時の自分の過ちを悔やみます。
今回の企画で自分の最期に何を食べたいかを考えていた時にふとこの話を思い出しました。そしてもし自分が金ちゃんヌードルを最期に食べて死んだとしたら、天国のおばあちゃんにそれを伝えられるんじゃないかと、そしてそれを聞いたおばあちゃんは笑ってくれるんじゃないかと思いました。
寄り道が非常に長くなってしまいましたが、僕が最期に食べたい物は金ちゃんヌードルです。奥さんもこのエピソードは知っているので、たとえ僕が最期の時に金ちゃんヌードルを食べたいと言っても多分笑って許してくれると思います。
思いのほかとても長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さんが思う「さいごに何食べたい?」を良かったら教えてくださいね。
それではまた。
コッシー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?