感情と、いじめという本能的な集団的攻撃
僕は普段の生活で、感情的思考と論理的思考が上手くかみ合わずに、相手とのやりとりが上手くいかない事がよくある。
だから、よく感情とは何かと考えているのだけれども、ホモデウスを読み終わったことも有り、段々「感情」が何かが理解できてきた。
その事が分かってくると、昨今の記事の切り取りから起きる炎上行為も少しずつ理解できてきたので、自身の理解も深めるために今回は、「感情」にフォーカスして話しをしていきたいと思う。
感情とは何か?
人は良く「何か怖い」とか、「何か好きじゃないなぁ」とか、言う事がある。
何か好きじゃないの「何か」
これは「詳しく言語化出来ないけど本能的か経験値的に感じる何か」の事で、「具体化出来ていない抽象的な感情」の事だ。
それでは感情とは何かというと、本能的な直感の事であり、
[1]DNAがもたらす生存本能
[2]人生の経験上知り得た快感か不快感
この2種類がそれに当たると思う。
[1]の生存本能
これは生き残るために生物の本能的に必要な機構=感情による行動の事だ。
例えば腕力で敵いそうもないライオンのような敵を見て恐怖を感じるという感情は、ヒトの本能として危険から自身を遠ざける事に役立つ。
怒りという感情も、大声で威嚇したり睨んだりすることで、相手を硬ばらせたり煙に巻く事で逃げ延びる役に立ったりする。
[2]の経験上の快不快
これは経験を重ねる事によって良いか良くないかわかってくる事だ。
例えば不自然なほどに清潔感がある人を見ると、実は言動も不自然だったりするので、「この違和感がある人は実は裏がありそうだな」などという、自己の経験からくる感情だ。昔詐欺師に引っかかったことがある。と言ったようにトラウマという形で蓄積されて行く。
この自分の感情という物を多くの人は理解していない。
だから自分が感情的になって行動した結果が上手くいかなかった場合に自己否定などに行き着き、心が悪化し、場合によっては身体にまでそれが影響してくる。
感情的に行動してしまった本当の理由は「霊長類ヒト科ホモ・サピエンス」の本能が出てしまっただけなのかもしれない。
そんな時に「なんで感情的になっちゃったんだろう?」という風に考えても、答えは「ホモ・サピエンス」だからというだけであり、感情という本能が出ただけだから、考えてもあんまり意味がない。
じゃあ、今後も「感情のまま生きていけばいいのか?」と言われれば、数万年前に戻って狩りをする生活を送るなら、感情に従って行動するのはいい事だと思うが、インターネットが広がってみんなの情報が繋がっている状態の昨今で、感情に従って行動するのが良くない事もある。
世界中がデータでつながり始めている今、人間の感情よりデータの論理的思考が社会として良い場合も多いからだ。
多対一、集団的狩猟といじめ
本来狩猟民族として生きてきた人間という生き物は、団体戦を主に行っている場合(そういう個体)が多い。
何故かというと、上記にあるように一対一の腕力じゃ敵わないライオンにも「多対一」なら勝てる可能性が高くなるからだ。
だから、大勢(多くの連携したホモサピエンス)vs強い個体(例えばライオン)の構図で狩猟をする事が多い。
この狩猟民族の癖が現代に残っているのが「いじめ」だったり、大衆による個人に対する社会的な制裁だったりする。
クラスで浮いている人がいたら、集団でいじめにかかる。これは連携してターゲットを追い込むのが本能として好きだからだ。
学校のようなストレスのたまる場所では、本能の開放によるストレス解消として通常と違う人に対していじめが行われる。
中世の貴族が狩りをするのもきっと同じような事だ。
昨今の不倫に対する異常な攻撃反応もこれと同じだ。
Twitterのインフルエンサーに対する攻撃も同じだと思った方がいい。
一対一、マタギ的狩猟方法
この世の中には群れずにも生きていける強い個体というのが一定数いる。
群れて相手を倒すより、知恵と教養と研鑽で一対一でも強者に勝つ方法を知っているマタギ的な人だ。
個体として平均値ではないため、数としては非常に少ないが、現代ではインフルエンサーという形で能力が発現している場合が多い。
しかしながら大衆は、この人に対しても多対一の構図で攻めてくる。
これが、今の日本の構図でありインターネットでよくあるコメント欄の同調圧力の正体だと思っている。
ここを多対一のまま戦うと、さすがに個体として強いマタギも負けてしまう。
これがベッキーさんの問題だったり乙武さんの問題の本質だと思っている。
一対一を5回やれば、マタギも大勢の狩猟者に勝てる
一対一で相手を仕留められるマタギ的な人は、個体の強さが尋常じゃないので、多数の相手でも一人にしてしまえば、ほぼ必ず勝てる。
100対1の場合に、1対1を100回繰り返す手法に持って行けばいい。
大衆の恐怖は伝染するので1対1を5回くらいやればおそらく100人は逃げ去るだろう。
大衆と戦う場合はこの方法が有効だ。
感情に従うとインフルエンサーを攻撃するようになる
このように感情とは狩猟民族ホモ・サピエンスの本能であり、大勢で一人を狩るのも多くの人の場合は本能であり感情だ。
だから、少しでも違和感のある人がいる場合「感情に従う」と、むやみやたらに攻めてしまう。
しかし相手が熟練のマタギの場合は簡単に返り討ちになるからやらない方がいい。
論理脳で行こう
感情ばかりに従うと、現代ではよくない事が多い。
だから、自分とか経験とか感情のように主観的な物は一度置いておいて
論理的に考えると、どうなるかだけを考える。
ここで必要なのが数学的思考や仏教的思考だ。他との関係は無視して考える。
そうすると、集団で石を投げる行為が、インターネットですべてが繋がっている現代でどれだけ意味がない事かわかってくる。
だから、攻撃したくなった時はすかさず論理脳に切り替える事が大切だ。
そんなこと言ったって感情もあっていいよね。
さて、こんな話をしていると「理屈ばかりで人でなし」とか言われることがよくある。
だけど攻撃したい感情は、現代では良くない本能の場合もあるから、それはやめようと言っているだけだ。
他の「感情」は、自分の中で良い方向に働くことが多い。
「楽しそうだからこれやってみたい!」とか、「何かこれ好きかも!」とか、そういうのは新しい経験上の快感を作ってくれる可能性が高いし、感情に従う事はストレス発散になるからとてもいい。
感情=emotionだから、エモくて楽しい事を色々するのがストレスを溜めないのにはいい。
感情と論理をバランスよく使っていく事が、きっと今を楽しく生きていく秘訣なんだ。
サポートいただけたら嬉しい限りです。