はぐくみ・うまれ・そだつ No.47"揺れる・・・"
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四女ちゃんが生まれて4か月・・・長女ちゃんが小学校卒業になるため友人に卒業式の時に着る服をオーダーで依頼。完成が楽しみ。
実家の妹が4番目の子をまもなく出産するので久しぶりに里帰り。
にぎやかな空気を察してか・・・生まれてこず・・・帰宅に。その翌日、生まれてきました(;'∀')
もどってきて数日後の3月11日。
東日本大震災が起きました。
自分たちの住んでいるところ震度3強・・・
なんともいえない船の上にいるような動きに落ち着かない気持ちに。
急いで状況を調べると大変な状況が映像で映し出された。
実家の母たちは大丈夫だろうか?おばあちゃんたちは?妹は赤ちゃんを産んだばかり・・・。携帯に連絡するもつながらず・・・。
神様、仏様、だれでもいい、みんなを守ってください。と祈ることしかできなかった。
しばらくすると、メールが届いた。
「家族、みんな無事。」という母からの短い言葉。どっと力が抜けた。
パパさんからも連絡が来た。
その知らせを聞くと「よかったぁ・・・。」と心から安堵する言葉が聞こえた。町内会の自治会の役員でもあるパパさんは全体の安全確認もしないといけなかった。
このエリアの人の緊急時の備蓄は多く見積もって1週間分。そして400世帯以上の誘導をどのようにしたらいいのか、目の前に突き付けられたように感じた。
日に日に状況は危険度が高まっているように感じた。それまで環境の事や原発のことなど、講演会の主催などをして学んできたこと。
その話通りになっていく状況にどのようにしたら子どもたちを守れるか。考えていた。
食事、空気、水、暮らしの対応などなど。原発が爆発したニュースから数日、線量は確実にこのエリアでも上昇していた・・・。
パパさんは毎日、風向きをチェックするようになっていた。
地震から1週間、子どもも大人も茶色の鼻水や痰が出るようになっていた・・・。
そして・・・四女ちゃんは胸をべこっとへこますような呼吸に。急いで病院へ受診。肺炎という診断。
緊急入院をすることになった。それから1日もしないうちに・・・病院は肺炎の子で満床になった。
いったい何が起きたのだ?不安は募るばかり・・・。
長女ちゃんの卒業式は翌日。
残念ながら退院できず・・・わたしは欠席に・・・。
病室にはテレビから流れてくる報道・・・実際に目の前で起きている状況。
街で暮らしていることに急に不安が生じた瞬間だった。誰かに依存し続けなきゃいけないこの暮らし・・・まずくないか?と本気で思うようになっていた。
退院してから数日後、いつもお店に立ち寄りお買い物。
店長のおじさんさんに四女ちゃんを抱っこしてもらった。「この子たちが大きくなるころにはもっと安心して暮らせる世界になるといいな。」とはなされた。
長女ちゃんには「これ。プレゼント。いつも頑張っているから。」とおじさんはニコッと笑って長女ちゃんのお気に入りのジュースを1本くれた。「おじさん、ありがとう」ニコニコの笑顔で長女ちゃんはお礼を言った。
おうちに帰りみんなでご飯。お風呂に入って家族みんなで川の字でお布団に。
「みんなで一緒に過ごせることのありがたさ、体感中。」とパパさん。
ここ数日、わたしが付き添いでおうちを空けていたので大変だったらしい。
「ほんとだね。みんな一緒。私もうれしい。」とつぶやき眠りについた。
次につづく・・・
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