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知ってる?ママン No.71"10番目?"
前回はこちら↓
転職をした僕は新しい仕事場でウキウキと仕事をしていた。これまで培ってきたものが生かされていく感じだ。
あの時に生まれた五女ちゃんはスクスクと育ち三歳になった。
みきさんは地域の子育て支援の活動を楽しんでいる。新しい地域で仲間もできてきたようだ。
3月には池川先生と蛯澤さんとみきさんとのトークライブが行われた。9人兄弟のお母さん。小さい体の肝っ玉母さんだ。
そんなみきさんが久しぶりに風邪症状。いつも元気な人なので・・・もしかして??妊娠?でもさすがに10人目は?と思っていると・・・妊娠検査薬で陽性反応。
去年夏に、避妊用のリングを抜いて半年・・・。41歳と47歳の僕たちのところに来てくれるのか?
まあ、油断はできない・・・切迫早産でなんども大変な目にあっているからね・・・。
最初は順調だった。22週を迎えた時、みきさんはお腹の張りを訴えた。そして急いで産院へ。
「切迫早産ですね。子宮の中から開いてきているのでこのまま入院にしましょう」
まさかの22週で入院。そしてそこから3か月。みきさんは入院。
前回は入院といっても2週間とかで帰れたのに・・・。この間、どんな風に家の中を回していたのか記憶が微妙なくらいだ。
何とか乗り切り・・・36週を超えてもともといた産院へ戻ることができ家族みんなが立ち会う中、令和の即位の日に雷と嵐と虹がかかる中生まれてきた10番目の六女ちゃん。
へその緒が二重に首に巻いていて・・・なかなか出てくることができずみきさんを泣かせて出てきた子。
僕は今回は半年の育児休暇を申請した。生まれてきたこの子と共に過ごし本当の意味で育児を味わうことを決めていた。たぶん、10人目は最後の子になるはず。これまではみきさんにまかせっきりだったこともやってみたいと思ったのだ。
産後に避妊の方法を考えて僕の方がリスクが少ないということでパイプカットをすることが決まった。
手術なんてしたことがなかったのでドキドキ・・・。初診で先生と話し年末に手術をすることが決まった。
手術台の上でオペを受けている時の姿は何とも・・・言えない状態。でも麻酔のおかげで痛みもなく、軽いもんだ☆と思っていたら麻酔が切れると・・・ペンギンみたいな歩き方に・・・。
それから1週間ほど・・・傷が落ち着くまでの間、消毒とテープ張りをしました。(育休中でよかった・・・。仕事をしている時なら痛みで無理だったかも・・・。)
お正月明けに病院へ行き、ちゃんとカットされているかのチェック。精漿というものに精子が含まれていないかを調べてきちんといないことが確認されました。
これで・・・安心して夫婦の営みができる・・・。感覚的に変わるのか不安だったけど2,3か月すると落ち着いてきた。子どもを授からない交わりと言うものが不思議と話す、みきさん。
確かに・・・不思議だった。これから先・・・もし次の子が欲しくなったらどうするんだろう?と考える自分もいた。
その時はまた、なにか方法を考えるんだろうな。いままでみたいに。
そして、コロナ騒動が来て子どもたち勢ぞろいの暮らしに。もう濃厚すぎて笑えるくらいの時を過ごしました。
お出かけはできないけれどおうちの中でみんなと過ごしこんなに幸せな時間を過ごしたことがあっただろうか?
僕は半年の育児休暇を1年に延ばした。そして六女ちゃんの伝えてくるインスピレーションをみきさんを介し届けてもらい、その通りに行動していった。
波動調整器について学んだり建築や不動産の資格を取ったり・・・。学んでばかりいたのかも・・・。
そして彼女と約束していることを実行していく話になっていったのだ。
次につづく・・・
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