《無料公開済み》全国音楽聖闘士プロジェクト その1
全国聖闘士プロジェクトで気仙沼(唐桑半島)に行ってきました。
気仙沼って僕にとっては14歳の時の東日本大震災のイメージが強く、もともと遠洋漁業で有名とかぶっちゃけそんなに知りません。
でも遠洋漁業で有名ということは昔からいろんな人が入れ替わり立ち替わり出入りする街ということ。
演奏をしに行っただけのはずが、僕は唐桑の人々に染み付いた人間関係の築き方を目の当たりにするのでした。
※この記事は数日後に無料公開されます。
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※このプロジェクトに賛同してくださる方は、この記事のご購入やサポートによるご支援をご無理のない範囲でしていただけましたら嬉しいですし、もっともっといろんな場所へ行って音楽します。
はじめに
全国聖闘士プロジェクトで気仙沼(唐桑半島)に行ってきました。
気仙沼って僕にとっては14歳の時の東日本大震災のイメージが強く、もともと遠洋漁業で有名とかぶっちゃけそんなに知りません。
でも遠洋漁業で有名ということは昔からいろんな人が入れ替わり立ち替わり出入りする街ということ。
演奏をしに行っただけのはずが、僕は唐桑の人々に染み付いた人間関係の築き方を目の当たりにするのでした。
被害を目の当たりにしました
2011年3月11日、東日本大震災。
約2万人の犠牲者を出したのは地震そのものだけではなく、津波や火災でもありました。
9月3日に松島から石巻までの海沿いを走りました。
どこまでが津波で流されたのか一目で見てわかります。
ある地点までは建物は綺麗な建物ばかり、道もとても新しく綺麗。
そしてある地点からは年代を感じる建物が多くなります。
道には「過去の津波浸水区間」という看板があり風景を見てもそれはわかります。
もっと海沿いの道を行くと、工事の車両が多く出入りしていて砂埃もすごいです。
なかなか語られることは少なくても、ここで今も復興のために働いている人がいます。
それはもっと伝えられるべきだと思いました。
その辺りに津波の被害がそのままの形で残っているところはそれほど多くはありませんでしたが、翌日に行った高田松原津波復興祈念公園では実物を間近で見ることができました。
ぐちゃぐちゃの消防車、壊れた橋の破片。
奇跡の一本松や、その隣のホテル。
それを保存しようとしている人たちに心からの感謝をしたいと思います。
また、それらからはまだ僕には理解し難い現実を突きつけられました。
勉強し直して何度も実際にこの目で現実を見たいと思いますし、1度でも見た人間としてそれを知らない人にも伝えていきたいと思います。
震災後と唐桑
震災後、被災地にはボランティアをしに人々が訪れ復興のスタートが始まりました。
今回僕が演奏した唐桑半島の民宿「つなかん」がある、鮪立も津波で流された地域でボランティアの人々が訪れたそうです。
つなかんはまじやばい
つなかんは震災後に始まった旅館ですが、これがまた面白い人たちであふれていました。
はじめに言っとくと、20名くらいの方々とお会いさせてもらいましたが、全員大好きです。
まじでやばいですw
田舎って聞いていたので同世代は少ないだろうと思っていましたが、女将さんが気を利かせてくださりマジな同世代のやばい人たちを呼んでくださいました。
ここに書いていいかわからないすごい大人の方たちもいらしていて、ちゃんとカオスでしたw
大人の皆さんは一応ここでは触れずに、、、ですが
同世代まじやばい。
本当にやばい。
まず、唐桑出身の人がまじでいないw
みんな移住者でそれぞれにそれぞれの思いがあってここに集まっていました。
俺(移住ってそんなノリみたいなんでできるんだ…)
家族になりたい
全てが衝撃で、みんな出会って2秒で友達。
普通なんで来たかもわからない、よそから来た、知らん楽器の、知らん人なんてちょっとは警戒するよね?
とか思うけど、これが唐桑の凄いところで、人を信じる力がすごい。
僕は東京で音楽して学生団体やったり普通にビジネスしたりもして、もちろん相手を信用はするんですけど、ギリギリの騙し合いみたいなのも経験して実際に今も音楽のいろんな会社とそういう話をしたりしているので、人を信じる力ってそんなにないです。疑う力はあるかもしれません。
気仙沼は遠洋漁業の街、昔からいろんな人が出入りしていました。
その人たちをおもてなしする文化が染み付いていて、これまで全国47都道府県行ったけどこんなに早く受け入れてもらえた街はここだけです。(他にもあるかもだけど、まぁそれはこれから行ってみたい。)
女将さんが言ってました。
「ここでは一度出会ったらみんな家族」
聞いたことあるようなセリフだけど、説得力半端ねえ!
俺もこの人たちと家族になりてぇ!!
(ちなみにこの時19:00頃で、俺が演奏する前)
飯?聞くな。うまいに決まってる
とにかく目の前に用意していただいたすんげぇうんめぇ夜ご飯をバクバクと食べ(普段は演奏前食べないけどこの街では俺はこの街の文化に従う!)、道路一本挟んだ向かいの昔牡蠣小屋だったところをカフェにリノベーション中の会場に向かいました。
会場ではテレビの撮影中で、ペンターン女子っていう半島に移住した女の子の密着取材をしていて、その女の子(22)がコンサートの司会をしてくれました。
(実はその女の子が唐桑に来る前に住んでたところがウチから車で15分とかのところでまじびびったw)
コンサートも少しテレビの撮影してました。
コンサートで何があったのかは生で聴いてくれた唐桑の皆さんだけで楽しむとして、終わった後の話を。
打ち上げと思いきや
終わった後は、当たり前のようにみんなでワイワイとつなかんに戻り、打ち上げ、、、とおもいきやただの飲み会(音楽家の誰も行きたくないけど付き合いでいくやつとは違って、まじでおもろいやつ)に参加しました。
すごいのが、限定の貴重な日本酒とか、ここでは言っちゃいけないとおもうその大人の人のありがたい(まじでありがたい)お話や、ちなみに夕食では漁師さんからもらったというカジキをさばいてくださったり、なんかもうね、
やばい。
一応その夜の主役は俺なはずだったんだけど、俺は隅でポツン。
でもなんかそれが逆に居心地が良くて、、、
東京じゃあ絶対に会えないようなすごい人も来るらしいけど、つなかんで肩書きは通用しない。
つなかんでは女将さんが一番偉くて、その女将さんがみんな大好きでそこにいるんです。
芸大?は?音楽家?は?
ここは唐桑のつなかん。
まじで最高な夜でした。
後で聞いたけど、誰が来ても毎回主役はポツンらしいw
次の街へ
次の日の朝は、大人の人たちとちょっとだけ今後の活動の話をして、おおおおお大きな期待と荷物をカバンに詰めて帰ります。
せいぜい20時間弱しかいなかった街なのに、自分の故郷のような気持ちにさせてくれる唐桑。
俺「※まじですぐ来るんで.!!」
ちょっと泣きそうにもなりながら俺のバンにのって帰ります。
確実に音楽の人と人とをつなげる力を感じました。
「いってらっしゃい」
つなかんではお客さんを見送る時には必ずそう言うそうです。
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序盤にもあるように、この記事は数日後に無料公開されます。
そして、動画も公開されます。
今は福井にいます。
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