2022/09/07
ある出来事で、「自分を大切にする」ということについて、改めて考える。
「自分は雑に扱われて当然の人間。」「自分は追い詰められて当然。」「だって私だから、仕方ない。」「私がバカだから、仕方ない。」「私って本当に救いようがないほど、ダメな人間だ。」「死んだほうがいい。役立たず。」
そういう言葉が自己の中から湧いてあふれて止まらないのが日常だった。今は、それが非日常になりつつある。「病気の症状」となりつつある。
しばしば「私」や「自分」という一人称が「おまえ」「あなた」といった言葉にすり替わって、聞こえてくる。
その苦しみ。しかし、その苦しみに納得する。「だって私だから。」
まるで沼にはまったみたいな、闇に隠されて出られないような、本当にどうしようもない妄想的信念と、ゆがんだ認知と、耐えがたい苦しみ。
私の場合、私を救ったのは「想像上の母」だった。
その人が私を慰め励まし、癒してくれた。
私は「心の中の理想的な母」を想像して、その人が私を肯定してくれる姿を何度も何度も想像し、その人と対話し、その人に頼った。つまり、自分に。
その人に尋ねれば「自分を大切にする選択」を教えてくれた。
自給自足で愛情や承認を補填して、私は「大いなる無意識の傷」を癒してきた。また、そういった私をブレずに支えてきた夫の存在も大きい。
私はきっとやってのける。私の人生を。大丈夫。
あなたも私と同じだよ、だけど、大丈夫だよ、あなたには力があるよ、あなたは大切にされるべき存在だし、自分を大いに大切にしていいんだよ。
と、私にも、あなたにも、伝えたい。
生きててくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。あなたは、いろんなことを感じて、考えて、行動して、生きてる生身の人間なのだ。あなたがここに存在することは、本当にそれだけで素晴らしいよ。ありがとう。
そうやって、私にもあなたにも、こころから、伝えたい。
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