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Midnight #10 「集いし声が交わる夜」

扉の向こう ― 特別な夜のはじまり

夜の銀座は冷たい風に静まり返り、誰もが足早に通り過ぎる時刻。
けれど裏通りにぽつりと灯る「Bar Exchange」には、いつになく活気を帯びた気配が漂っている。
扉を開けると、ジャズの調べの奥に人の笑い声が混じり、普段よりも華やいだ空気が広がっていた。

白ジャケット姿のマスター、鷹宮 匠はカウンター内で忙しそうにグラスを並べ、ちょっとしたパーティーの準備を整えている。
この日は、「ささやかな交流会」と称して、最近バーを訪れた常連客が集う特別な夜。いつもの薄暗いバーに、テーブルを少し動かしたり、臨時の席を増やしたりと、いつもと違う賑わいを演出しているのだ。

鷹宮(心の声)「こんなに人が集まるのは、久しぶりですね。何か、面白い化学反応が起きるかもしれません」

そう思いながらグラスを磨く鷹宮の目に、次々と姿を見せる人々が映る。
――若手管理職の三雲 八重や、出版社社員の二人組
――商社営業の木瀬 陽琉が照れくさそうに入ってきたかと思えば、OLの早坂 美央が「お疲れさまでーす!」と明るく声を上げる。
――それぞれが近況をわいわいと報告し合い、カウンターやテーブル席が一気に埋まっていく。


一杯目 ― 賑わいの定番ラウンド

まず鷹宮が用意したのは、「お揃いのジントニック」
いつもなら個々にカクテルを出すところだが、最初は全員へ「乾杯用」として定番を振る舞うことにしたのだ。

鷹宮「皆さん、今日はようこそいらっしゃいました。とりあえず、この一杯で軽く乾杯しませんか?」

透き通ったグラスの中で、ライムがきらりと揺れている。ジャズのリズムが止み、一瞬だけ静かになる店内。
早坂 美央が声を上げ、楽しげに音頭を取った。

早坂「それじゃあ、せっかくだから乾杯しましょ! これからもいろいろあるだろうけど、お互い助け合って、楽しくやっていきましょう!」

全員がグラスを掲げた瞬間、氷がカランと鳴って小さな音を立てる。
喧騒の夜を切り取るような乾杯の合図とともに、それぞれが一口ずつジントニックを飲み干した。

武藤 一真(新聞記者)「いやあ、思いのほか大勢ですね。取材先で会った人もいるし、初めましての方もいるし。バラエティ豊かで楽しいかもしれません。…マスター、これは何かの計らいですか?」

武藤が鷹宮に声をかけると、鷹宮は控えめに微笑んだ。

鷹宮「交流会、と言っても大袈裟なものではありませんよ。最近このバーに来てくださった皆さんが、日頃の疲れをほぐせる夜になればと思いまして。どうぞ、ご自由に。二杯目以降はそれぞれお好みをお作りしますので」

和やかな雰囲気が満ちる中、乾杯のグラスを置いた人々が思い思いに会話を始める。
普段は静かなバーも、今夜だけは少し賑わいを帯びた“社交場”へと姿を変えていた。


カウンターのあちらこちら ― さまざまな声

ふと見ると、カウンターの隅では三原 玲司(自治体企画)が、企業の営業マンや出版社の社員と話し込んでいる。その表情はどこか晴れやかだ。
少し前までは多者交渉で頭を悩ませていたのに、どうやら手応えを得たようだ。

三原「大学と投資家の合意、あれから上手くいきそうなんですよ。連立交渉の考え方が功を奏して、まず二者だけでまとまった成果を他のステークホルダーに示したら、けっこう前向きに捉えてくれまして」

会社員らしき男性が「おお、それはすごいですね」と感心している。
三原も「まだ先は長いですけど、手応えがあります」と微笑みながら、2杯目のビールを楽しんでいるようだった。

一方、壁際のテーブルでは、OLの早坂 美央が上司のグチをこぼす横で、記者の武藤が「データ的には…」と茶々を入れている。その隣には氷室 澪(フリーコンサル)らしき女性もいて、クスリと笑っては的確なアドバイスを投げかける。

早坂「でもさー、武藤さん、理詰めで説得しても上司は全然聞いてくれないんですよー!」 武藤「論理を押し付けるんじゃなくて、相手が欲しがってるデータを見つけるのが大事なんじゃ?」 氷室「そうそう。それを“インセンティブ”として活かすわけです。早坂さんの上司が興味を示しそうな情報を整理して…」

明るい笑い声とともに、それぞれが楽しそうに杯を重ねている。
その光景をカウンター内から見守る鷹宮は、客たちのやりとりを温かい眼差しで追っていた。


二杯目 ― 個々のアレンジ

人々が思い思いのグラスを飲み干しはじめ、次の1杯を頼み出したころ、鷹宮は一つずつリクエストをこなす。
ソルティドッグを頼む人もいれば、モスコミュールウイスキーのオン・ザ・ロックを欲しがる人もいる。
そして、とある一角では守山 麗華(芸能プロ社長)が、いつも通り傲岸な雰囲気で座っている。

守山「ねえマスター、今日の私はシャンパーベースのカクテルがいいかしら。何か泡のあるのを頂戴。ちょっとしたお祝い気分なの」

守山はまるでステージで指示を出すかのように優雅な口調だが、鷹宮は慣れた様子で微笑む。

鷹宮「かしこまりました。ではシャンパンにフルーツのエッセンスを加えた“Kir Royale(キール・ロワイヤル)”風はいかがですか?」

守山「いいわね。今夜はこんなに人が集まってるもの。たまには派手に泡が弾けるのも悪くないわ。
…ああ、そうそう。うちのタレントたちのライブイベントも、自治体の人たちと絡めそうなのよ。まだ企画段階だけど。なかなか良い感じに話が進んでて、ますます忙しくなりそう」

こうして各所で交わされる報告や雑談が、バーの雰囲気をいっそう盛り上げていく。
赤峰 佐和子(不動産投資家)も姿を見せ、クールな表情ながら周囲に耳を傾けているのがちらと見える。
武藤が「赤峰さん、その後投資の話は進んでるんですか?」と話しかけると、「まあ、悪くないわ。興味深い提案もいくつかあってね」と、淡々と返事をしている。

まるで小さな交渉と情報交換があちこちで行われているようで、Bar Exchange のコンセプトを象徴する一夜だった。


三杯目 ― オリジナルの祝杯

ほどよい賑わいを見せる店内。そろそろお開きムードが漂う頃、鷹宮はふと思い立って、「皆さんに最後の一杯を振る舞おう」と提案した。
彼がカウンターで手早く数種類のリキュールを合わせながら、神秘的な深い紺色の液体を作り出す。
仕上げにレモンの皮を絞って香りを加え、軽くステアすると、淡く光を帯びるような不思議なカクテルが完成した。

鷹宮「今夜の締めに“Night Rendezvous(ナイト・ランデヴー)”をどうぞ。ベースはジンとブルーキュラソー、レモンの香りを添えています。
皆さん、それぞれの席で良かったら味わってみてください。少しだけ青い夜の輝きをイメージしました」

人々は半信半疑な様子で受け取りつつも、口にすると「おお…」「不思議な味がする」と口々に感想を漏らす。
すっきりとした酸味とわずかな甘みが混ざり合い、そこにジンのキレがアクセントを添える。目を閉じると、夜の海底を漂うような静寂と神秘が感じられるかもしれない。

早坂「こういうの、きれいで好きだなあ。なんかインスタに映えそう!」 武藤「深い青がすごく印象的だ。まるでこのバーの夜そのものみたいだね」 三原「青い夜…なんだか、みんなが集まった不思議な場所にぴったりだなぁ」

それぞれがグラスを傾け、青くきらめく液体を見つめる。仕事の悩みや進行中のプロジェクトのこと、将来への不安や希望――そんなものが一瞬ふっと忘れられるような、静謐でいて賑やかな時間。
Bar Exchangeは、その名の通り思いを“交わす”空間として、このひとときを彩っていた。


結び ― 写真と鍵の予感

店の奥で、一人そっと席を立った鷹宮は、ほんの合間を見つけて奥の壁を確認する。そこには常々と変わらぬ鍵付きの棚と、鷹宮が若かりし頃に写った写真――海外の景色を背景に、鷹宮ともう一人の男性が笑顔を浮かべる一枚が飾られている。

普段は静まりかえった店内でそっと写真に目をやるだけの鷹宮だが、今日のように人が多いと、逆に意識を逸らせなくなってしまうかのよう。
鷹宮は鍵棚に手を触れかけるが、すぐには開かない。そっと扉に指を滑らせ、思い出したように小さく息をつく。

鷹宮(心の声)「…今はまだ、ここを開ける時じゃない。…でも、いずれ」

そのまま何事もなかったかのように、カウンターへ戻る鷹宮。
たとえ表向きは賑やかな夜でも、その胸の奥には静かに疼き続けるものがある。写真の中の笑顔が語りかけるのは、もう少し先の物語。

一方、店内はそろそろ散会の空気だ。集まった人々が「そろそろ明日の仕事が…」「今日はお疲れさまでした」と声を掛け合い、店を後にしていく。
また、どこかで再会するだろうと誓いながら、ちいさく手を振る姿が微笑ましい。

そして、最後の客がドアを閉めると、ようやくBar Exchangeにいつもの静けさが戻る。
色とりどりの声が交わった夜の残響が、まだ壁際にほんのりと残りながら、ジャズのメロディがまたゆっくりと息を吹き返した。

鷹宮「今宵もお疲れさまでした」

そう呟いてグラスを片付ける鷹宮の背中に、微かな安堵と、そして遠い過去への懐かしさが滲む。
それは次の物語へと続く、小さなイントロダクション。今夜の“特別回”は幕を閉じ、そしてまだまだ“Exchange”の夜は続くのだ。

――様々な声が交わるこのバーは、いつかまた別の夜に、別の奇跡を見せてくれるかもしれない。


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