40歳から「エース」
絵に書いたような平凡なサラリーマン。
休みの日と言えば、妻と夕食の買い物。
娘は自分たちの友達との予定あるので、一緒に行ったりはしない。
いつもように会社に出社すると総務に新しい課長が赴任してきていた。
社歴は10年ほど先輩のベテラン社員。
当たり前のように歓迎会は開かれ
話を聞いた。
ものすごく多趣味。山登り、トレイルラン、サウナ、釣り・・・
今まで出会った中で、最もエネルギッシュで、行動力のある人物だった。
すぐ仲良くなり、半年後のある日突然矢印が自分に向いた。
金曜日、別の社員が彼に北海道の魅力について語りおすすめした。
翌日彼は、都内が雨であるという理由で北海道に出かけた。
「この行動力は見習うべき」
誰かに何かを誘われたり
勧められたりしても
自分が今までやったことがない事への
行動力は加齢により
失われている実感が自分にもあった。
休日に娘のピアノの発表会に出かけた。
毎年の恒例行事。
妻のお友達の夫の将太が話かけてきた。
「お前、いい加減ソフトボールやれよ」
「やります!」
将太からソフトボールに誘われたのは
少なくても15回目くらいだった。
僕の返答に相手はものすごく驚いていた。
娘のピアノの発表会で
僕は40歳からソフトボールを
始めることを決めた。
次の日曜日にグローブを買い
ソフトボールの練習に参加した。
ソフトボールを投げるのは
小学校6年生以来。
小学生の僕は人より運動神経は良く
地域のソフトボール大会では
「エース」を任されていた。
それなりに自信はあったのだが
その期待は悪い方に裏切られた。
ピッチングどころか、上から投げるキャッチボールすら出来なかった。
27年間、ボールなど投げたことがない。
その長い時間の中で、身につけていたはずの感覚は完全に失われていた。
ボールを話すタイミング、リリースの
ポイントがまったくわからない。
ショックだった。
練習の翌日肩に激痛が走った。
大人になってから
感じたことのない筋肉痛。
日常生活に支障があるレベルだった。
そこから僕の1人修行の日々が始まる。
練習は毎週日曜日。
だから毎週土曜日に自主練をやることに。
壁に向かってボールを投げて
感覚を取り戻そうと考えた。
しかし、大人になって改めて探すと
ボールを当てて良い壁はなかった。
他の人の家の壁にボールを当てるのは
大人になってからは出来ない。
そこで僕が見つけたのは公園の階段だった。
公園の階段に向かってボールを投げる土曜日の自主練習が始まった。
「何やってるんですか?」
1人で階段に向かってボールを投げ始めて
7回目の土曜日
チームの監督の祐二が公園で
僕を見つけてくれた。
「ボールを投げられるようになりたくて」
「なら僕付き合いますよ」
祐二との二人の自主練習を知った部長の
徹も付き合ってくれるように。
半年後ライトからホームまでノーバウンドで投げられるようになっていた。
その年の春の大会、秋の大会は9番ライトで出場させてもらった。
バッティングも守備も今までの日常生活では感じられない緊張感。
40歳になると仕事で緊張することなどない。
刺激的な経験だった。
人間やれば「欲」が出てくる。
僕はピッチャー、「エース」になりたい。
小学校6年生の最後試合。
大会の決勝戦のマウンドにたった
僕は緊張していた。
まったくストライクが入らず
フォアボールを連発。
途中でライトにポジションチェンジ。
チームは大敗した。
「あのマウンドにもう一度立ちたい」
次の春の大会「エース」として
出場を目指して
今日も僕は祐二と徹と自主練習に出かける。
私だけかもしれないレア体験
それは
しょんなことから
始めたソフトボールを始めると
小学生時代の悔しさを思い出し
それを晴らすために
もう一度マウンドに立ちたいと思い始め
40歳なのに、毎週土曜日ピッチング練習を
始める生活が始まった
です
#私だけかもしれないレア体験